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絶え間ない他者との交渉の物語/オンライン演劇『不本意アンロック』評

 アイドルグループHKT48のメンバーが、自ら企画、脚本、演出、出演、衣装・美術、音響・映像、広報を務めてオンライン演劇を上演するプロジェクト「HKT48、劇団はじめます。」、通称「劇はじ」。オンライン演劇を展開する劇団ノーミーツの支援を受けながらふたつの劇団、劇団ミュン密と劇団ごりらぐみがこの2月に旗揚げ公演を敢行した。
 何を隠そう、HKT48のファンである私も、それぞれの公演を観劇した。特に、劇団ごりらぐみ『不本意アンロック』(作・豊永阿紀、演出・下野由貴)は、私にとっても、大好きな作品になったので、レビューを書くことにした。
 以下はいわゆるネタバレを多分に含む。本公演は既に千秋楽を迎えているものの、未観劇で再演や映像化を期待されている方にはご留意いただきたい。

物語に誘う導入部──観る者を置いていかない工夫

 『不本意アンロック』は、トラブルに巻き込まれて会社を退職し、在宅ワークで食いつなぐ本作の主人公・後藤佳のパソコン画面の中に、未来人・エニシが現れるところから物語が始まる。エニシは佳に「あなたには未来を変えるキーパーソンになっていただきます」と告げるのであった。
 エニシいわく、大変なことになっている2121年を変えるのに佳は適任なのだという。突然のことに戸惑う佳だったが、エニシに見事に言いくるめられ、協力することになる。

 当初、佳は、未来、歴史を変えてはいけないのではないか?といういわゆるタイムパラドックスに言及し、エニシからの要求を拒もうとする。タイムパラドックスは、逆説というだけあって、考えはじめるとかなりどつぼにはまってしまう性質のものだ。しかし、エニシは、ドラえもんを20世紀に送り込んだセワシの話を持ち出し、さらりとかわしてしまう。
 このあたりに、われわれ観劇者を置いてきぼりにしない本作の巧妙さがある。タイムトラベルのSF的なワクワク感はもちろんある。その一方で『ドラえもん』が、タイムトラベルの設定を借りた日常ギャグマンガとして成立しているのと同様に、本作も未来人が目の前にやってくるというSF的舞台設定をあくまでも設定として流し、物語を動かしはじめるのだ。
 100年経っても、からだごと過去に行くことはできないという旨の画面越しのエニシの説明もまた、『ドラえもん』以上に生々しく、絶妙な距離感の"未来"である。この導入部で、佳が少しエニシを信じてしまうのと同じように、われわれも本作の世界に没頭する準備ができる構造になっていると言えよう。

目的が転換する──未来を変えることと自分が変わること

 SFの設定を深掘りすることはしないものの、本作の大きな筋は未来を変えるという点にあるのは揺るがない。エニシのいる22世紀の状況が、本作の中盤、エニシから語られる。
 われわれのいる2020年代からオンライン社会は急速に発展し、22世紀の未来では、ほとんどの人が、現実のくらしをそのままオンラインに移したバーチャル世界で生活しているのだという。そこでは、犯罪防止のために、人工知能(AI)がトラブルが起きたと判断した人同士を、二度と会えなくしてしまう「強制シャットアウト」が実装されている。この強制シャットアウトの「やり直せない」怖さに気付いた人々は、本音を隠し、当たり障りのない言葉を並べている。
 これがエニシの変えたい未来であり、すなわち本作はAIに任せずに自分で選択する世界、何度でもやり直せる世界を、2021年の佳が取り戻す物語である。

 しかし、あくまでも過去への直接的な介入はご法度らしい。エニシは、佳に取ってほしい行動をキーワードで伝え、佳は手探りながらキーワードに沿って行動していく。
 エニシは、これを「小さいこと」と表現する。大きな火事の原因のたばこを拾うとか、心理テストでなりたい結果に合わせて少し答えを変える、などの喩えが要所で登場する。

 さて、佳は、キーワードに沿って、具体的に3人の"キーパーソン"と出会う。

 バーチャル世界の開発者の幼馴染み、栗内朔。彼は中学生のころ、開発者と仲違いしており、このことが、開発者が強制シャットアウトを実装する動機となっている。しかし、朔と同じマンションに住む佳が、佳のもとに誤配された同窓会のはがきを朔に届けることで、2021年2月、開発者との再会を果たす。

 次に出会うのは、占い師、朱流セイル。セイルは、自らを、24歳がターニングポイントと占い、芽が出なければ25歳の誕生日できっかりと占いを諦め、実家に帰ろうとしていた。エニシの語る史実では、セイルは戻った地元で、旅行中の開発者を占って、強制シャットアウト実装の後押しをすることになっている。
 しかし、その誕生日の前日、佳は、動画サイトでセイルの占い配信を観る。コラボ配信でセイルは佳を占い、この様子を偶然見ていた人気配信者がセイルに注目することで、セイルは一躍有名になり、実家に帰ることはなくなる。

 これらはまさに、「小さいこと」の積み重ねだがこれだけですぐに未来が変わるわけではない。
 最後のキーパーソンは暮井周。佳は、エニシの示すキーワードから、佳の高校の同級生で、勤めていた会社の同期でもある安辺樹が、周とSNSでつながっていることに気付く。だが、佳と樹もまた、些細な行き違いから疎遠になっている。
 周と接触するには樹と話をしなければならない。佳は、樹ともう一度向き合う決心を付けられないのだった。

 佳の背中を押すのはエニシだ。樹とのすれ違いについて語る佳に対して、エニシは自身の友人とのちょっとした喧嘩から、強制シャットアウトが実行され、二度と合えなくなってしまったことを明かし、本当の今さらなど、佳の時代にはないのだと諭す。
 そして、ついに佳は樹に電話をかける。

 ここに佳の中で目的の転換が起きている。
 エニシの提示するキーワードに沿って行動してきた佳。あるいは作中で語られるように、幼い頃から家の手伝いをしてきて、仕事でも先輩のサポートを積極的に行ってきた佳。こうした佳の行動原理は「失う怖さ」にあるのだと、セイルが占いによって看破している。それは即ち、周りからのイメージを守ること、どう見られるかを考えて行動を選ぶことだ。佳自身もこのことに気付いている。そしてそんな自分を変えたいとも思っていたのかもしれない。
 「やり直せる」ことの意義が、現在と未来の対比からあぶり出され、佳は「やり直す」ことを自ら選択する。それは自分のためであり、「やり直せない」時代を生きるエニシのためでもある。
 エニシと出会ってから、受け身の行動を取ってきた佳が、主体的な行動を始める。未来を変える過程に、主人公の変化が伴うことで、物語がクライマックスに向けて加速していく。

視点の交換──打ち明けあいが未来を少しずつ変える

 佳とエニシは、お互いの友人のことについて打ち明けあうことで、一歩前へと進む。やり直すこと、やり直せる未来を守ることへの一歩である。
 あるいはセイル。彼女もまた、占いへの道を歩むことを決意させた出来事を佳に打ち明け、つながっているものを見逃すな、と佳の背中をそっと押す。

 佳は樹に電話をかけ、樹を介して、周と3人でビデオ通話をすることになる。周とは初めて会うし、樹とも、会社を退職して以来の再会だ。

 半年前、佳は勤めていた会社でデータ改ざんの濡れ衣を着せられ、戒告の処分を受ける。樹は佳を信じると声をかける。では、なぜ佳と樹の二人は疎遠になってしまったのか。
 同期入社の佳と樹は、社内で比べられていた。佳はできるやつとの評価、一方の樹は頼りないと言われていた。実際に佳は樹の仕事をよく手伝っていた。同期だから、助けねばと考えて。しかし佳は、ある出来事をきっかけに、自分は樹を助けることで、自分の存在価値を確かめていたのではないか、と思うに至る。それを黙って受け取る樹のやさしさを感じながらも、佳は会社を辞め、樹の前を去る。
 一方の樹は、佳を信じ、佳の濡れ衣を晴らす証拠を探し出す。しかし、データを改ざんした張本人にそのことを知られて、樹もまた追い詰められていた。佳がエニシと出会った直後、樹から電話の着信があった。それは樹からのSOSだったわけだが、佳は樹と向き合う勇気を持てなかった。

 周は、仕事では樹のこと手伝いながら、最終的に樹からの助けを無視した佳を糾弾する。佳もまた、私は樹から逃げたのだと打ち明ける。
 だが、樹はそれを否定する。佳が入社直後、”逃げずに生きる”ために”頼ってほしい”と樹に言ったことで、樹は佳の希望になろうと誓い、さらには佳に仕事を手伝ってもらうだけでなく、佳からも頼ってもらえる存在になろうと決めたのだ、と。

 佳は確かに、樹を助けることで自身の存在意義を見出していたのかもしれないし、樹はある意味では佳から離れていこうとしていたのかもしれない。この一面の事実を以てして、佳は、樹との距離や壁を感じたのだろう。
 しかし、一方の樹の視点からは、樹もまた佳を頼ることで自分の存在意義を見出していた。だが、佳のために、佳の力を借りずに自分も成長しようと決意した。
 このように、二人の打ち明けあいから視点が交換され、二人の距離の意味が明るみになる。作中、「キーパーソン」のモチーフとして、万有引力発見のきっかけになったとも言われる「りんご」がたびたび登場するが、まさに互いの引き寄せる力が、この二人の間の距離として現れている。

 もう一度やり直すことを決意する佳と樹に対し、周は、また同じことを繰り返すと警告し、二人の前を去る。
 樹によれば、周は先日、同窓会で、けんかしていた友人と再会し、またひどいことを言われたのだと話していた。周はそのことを重ねているのではないか、と樹は推察する。樹は、周とはネット上のつながりだが、力になりたいと佳に漏らす。

 樹ともう一度向き合うことのできた佳は、今度は樹のため、樹の友人である周のために、自分のつながりを総動員する。
 占い師、朱流セイルをビデオ通話に呼び出した佳は、占いの力を借りて周とけんかしている友人を探し出そうとする。セイルは佳の近くにいる、最近会った人間だと占う。
 佳は、同窓会のはがきを届けた、上の階の住人、栗内朔のことを思い出す。朔もまた、朔のもとに誤配された佳の荷物を届けに来ており、連絡先も残していた。
 佳はすぐに朔をこのビデオ通話に加える。朔に周とのことを質すと、バーチャル世界を作ろうとする周を、ベンチャー企業の社長として支援したいと思っているらしい。周は、まさに未来のバーチャル世界の開発者本人なのである。一方で朔は、周が考えていた、トラブルを起こした人同士を、二度と関われないようにする機能(つまり、強制シャットアウトである)のことは否定した、という。このことが、周のアイデアの全否定だと、誤って伝わっているようなのだ。
 前にもこんなことがあったのでは?と問うセイル。まさに、中学生の時の仲違いも、周のアイデアに強い関心を持っている朔と、それを全否定と受け取ってしまった周、という構図だったことが明かされる。ここでも視点の交換が起き、朔は無自覚に周を傷つけていたことに気づく。
 朔はどうも、言葉の選び方がへたくそで、こうやって誤解を招いてしまう。それでも、そのたびにやり直せば元に戻る、とセイルは指南する。

 周をもう一度ビデオ通話に招き、朔は周の誤解を解こうとする。周は、また同じことを繰り返す、と疑念を持つ。佳と樹に対して言ったことと同じだし、その考えが強制シャットアウトの根底にある。一方の朔は、同じことを繰り返しても、やり直せないことの悲しさを説く。
 周と朔は思いを打ち明けあい、やがてやり直し続けることを決意する。これは、すなわち「強制シャットアウト」構想からの解放である。
 エニシを含めた6人の打ち明けあいが、未来を少しずつ変えていったのだ。

予感させる、脈々と続くわれわれの営み

 5人のビデオ通話に、佳だけに見える形で現れたエニシは、未来が修正されつつあることを告げる。歴史の修正作業により乱れるエニシの映像。戸惑う佳に、エニシは、あなたはもう自分がどうしたいかで動けている、あなたたちの作る未来で私は生きていく、と言い残し、画面から消える。うろたえる佳を心配する4人。佳は「大丈夫」と自分に言い聞かせるように答える。

 やり直すこと、やり直せることの大事さに気付いた彼らは、きっと「大丈夫」だと思う。彼ら/われわれがやり直し続けることが、100年後の未来につながる。100年の間にやり直しをあきらめてしまえば、また「強制シャットアウト」はわれわれの中から生まれる。エニシの言ったことはそういうことだろう。
 明日へのさまざまな予感を残し、物語は終わる。物語「不本意アンロック」が閉じてもなお、互いに引き合い、離れながら、未来へ向けてわれわれの営みは脈々と続く。

多様な場面設定で獲得した普遍性

 私は、劇団ノーミーツの作品は観劇していないことをここで断っておくが、ノーミーツが長編第1弾を公演していたのと同時期に、劇団ロロが上演した連作短編のZoom演劇『窓辺』を観た。
 この『窓辺』や、NHKなどが立て続けに制作したリモートドラマがそうだったように、オンライン、リモートで会話劇を展開しようとすると、ビデオ通話がツールとして必要で、なおかつそれが舞台設定にも組み込まれてしまう。『窓辺』は新型コロナのない世界線で、ビデオ通話を普通の会話の手段として置いていたように感じたが、それよりも先んじて制作されたリモートドラマは、ビデオ通話を必然として成立させるために、新型コロナ禍で自宅にいる私たち、という現実も物語に反映させざるを得ないようだった。それに、鑑賞者にとっても、ビデオ通話はコロナ禍の緊急措置のようなものに映っていたかもしれない。

 『不本意アンロック』はその点で、メインとなるシチュエーションに、佳とエニシの時空を超えた通信を置いた。これにより、設定としてのビデオ通話から離れ、未来人と現代人の小気味よい会話劇が展開される。
 さらに、佳とセイルのコラボ配信、携帯電話で会話をする佳と樹(二人の会話だったらこうなるのがまだ一般的だろう)、背景画像の合成を利用したインターホン越しの会話など、実に多様な場面が設定されている。
 終盤こそどんどん人が増えていくビデオ通話劇が作品を盛り上げるが、これはむしろ、われわれの現実が1年でこの状況を必然にしてしまった感がある。エニシの言うように、私たちの時代からオンライン社会はどんどん発展していくのだろう。
 このように場面設定の工夫と、現実が追いついたようなビデオ通話の自然さによって、この物語の世界には新型コロナがあるかないかよくわからない。ところどころ匂わせるようなセリフは出てくるのだが、新型コロナがなくても成立する普遍性を帯びている。

 この普遍性こそが『不本意アンロック』のメッセージを際立たせているのではないか。
 新型コロナ禍は、人と人とのつながりを強制的に断ってしまったきらいがある。しかし、平時でもわれわれは、気付かぬうちに、誰かと離れていたり、誰かを傷つけたりしている。その時にわれわれはやり直すことができるのだろうか。世界がどんな状況であれ、他者との絶え間ない交渉こそが、未来への一歩。本作はそのことを強く訴えているような気がする。

オンライン演劇とはなんなのか

 この「劇はじ」プロジェクトを通して、私はオンライン演劇の可能性を見た。

 どうしても、オンライン演劇という試みは、まだ緊急避難的なもの、本来の演劇の制約条件として見られているのではないだろうか。
 しかし、初期のZoom画面そのままの配信から一歩進んで、今回の上演の舞台となったオンライン劇場「ZA」などは、テクノロジーによって、表現の可能性を広げている。

 単なる録画配信や会場・ステージからの生配信とも異なる。「ZA」では、観劇中に回線不調が発生した際のための短時間のアーカイブ配信は行うものの、基本的にまさにその瞬間に行われているものを観劇する同時性を有する。
 そして、演者もまさに鑑賞者と同じ、オンライン空間にいる。観客同士もまた、オンライン劇場に設けられたチャットを通して、仄かな同空間性を感じている。

 演者と鑑賞者のインタラクティブな関係の構築にはまだまだ課題はあるように思えるが、同時・同空間性を持つオンライン劇場の中で、劇場の特性を生かした演劇がまさに行われている。
 劇場には円形劇場もあれば、プロセニアム形式の劇場もあるし、屋内もあれば屋外もある。オンライン演劇/劇場はそのバリエーションの中にあるのかもしれない。

 私の今日の観劇歴の起点となった、茨城大学の講義「水戸芸術館で学ぶ音楽、演劇、美術」の中で印象に残っている話がある。演劇は一人から二人になることで会話が始まり、二人から三人になって、劇的に発展したというのだ。なぜなら会話が止まらなくなるから。
 それでは、人数を増やして発展した演劇を、もう一度ひとりひとりにバラバラにして、オンラインで繋ぎ直したとき、それは演劇の発展なのか、再構築なのか、あるいは演劇でないなにかになってしまったのか。ここは議論のわかれるところだとは思うが、このことは決して制約などではなく、可能性なのだろう。
 表現の新しい選択肢として、オンラインという舞台が形作られようとしている。これもまた演劇、芸術の未来へ続く営みに違いない。

劇団ごりらぐみ旗揚げ公演『不本意アンロック』
作:豊永阿紀
演出:下野由貴
出演:堺萌香、松岡はな、今村麻莉愛、神志那結衣、秋吉優花、松井健太ほか
2021年2月20~28日 オンライン劇場「ZA」

プロデューサー:武田智加、地頭江音々
宣伝・広報:熊沢世莉奈、渕上舞、村川緋杏
衣装・美術:宮﨑想乃、川平聖、後藤陽菜乃
音響:坂本愛玲菜、竹本くるみ
映像・配信:田中伊桜莉

監修:劇団ノーミーツ
企画・制作:株式会社Mercury/劇団ノーミーツ

HKT48、劇団はじめます。 https://no.meets.ltd/hkt48/
劇団ノーミーツ https://nomeets2020.studio.site/
HKT48 http://www.hkt48.jp/

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