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【ザ・フォーク・クルセイダーズ】アルバム”ハレンチ”解剖【ソーラン節】

1.ソーラン節
 日本人ならば赤ん坊を除いて誰もが知っている曲。ニシン漁の労働歌であり原曲はロシア民謡であると言われている。このことはとりもなおさず日本人の北方帰化説を裏付けしており、大変興味深い曲である。したがって今日ではロシアのことをソ連と呼んでいる。(フォークル百科事典第三巻、第六章参照)

”ハレンチ” ライナーノーツ抜粋

第一次ザ・フォーク・クルセイダーズが残した唯一のアルバム。
ハレンチ・ザ・フォーク・クルセイダーズ(以下、ハレンチ)。

ザ・フォーク・クルセ(イ)ダーズはフォーク・ソングというジャンルの中でも、”カレッジ・フォーク”と言われるカテゴリに属されます。

「民謡をもう一度若者の手に」というアメリカ合衆国での――フォーク・リバイバルという運動がありました。
日本でもこの思想は若者=大学生に広がります。
大学生の間で流行ったから「カレッジ・フォーク」というわけです。
なので、ジャンルとしては日本特有の名称なんですね。

第一次フォークルは「世界中の民謡を紹介する」というコンセプトのグループでした。
その集大成となるアルバム”ハレンチ”に収録されている12曲のうち、帰って来たヨッパライを除く11曲が、国内外の民謡や流行歌です。

ここではアルバムに収められた曲を1曲1曲解体し、フォーク・ソングへの理解をさらに深めて行こうと思います。

今回はハレンチの1曲目、『ソーラン節』について語りましょう。


”ハレンチ”ライナーノーツで見る『ソーラン節』

日本人ならば赤ん坊を除いて誰もが知っている曲。ニシン漁の労働歌であり原曲はロシヤ民謡であると言われている。

ハレンチ・ライナーノーツ 引用

そうらん節。ソーラン節。

ドラマ金八先生で知っている人も多いでしょう。
わたしも小学校の運動会で踊りました。
教育現場で使用されているという意味では、赤ん坊を除いて誰もが知っているというのは過言ではありません(現代の話)。

この歌は北海道のニシン漁の現場で歌われていた労働歌であるというのも、フォークル百科(嘘)の通りです。

ソーラン節は、4部で構成される(6部の場合もある)ニシン場作業唄のうち、”沖揚げ音頭”と呼ばれる部分を切り取ったものです。
鰊場作業唄は作業内容の順番に、
船こぎ音頭→網起こし音頭→沖揚げ音頭→子叩き音頭
の順番で歌われます。
船をこいで沖に出る→網に鰊を追い込む→追い込んだ鰊をタモ網で船に揚げる→網に産み付けられた卵を棒で叩き落して回収する。
一連の流れを歌にしているというわけです。

このうち、「ヤレンソーラン」と掛け声よく歌われるのが、沖揚げ音頭です。

動き付きで見ていただいた方がわかりやすいでしょう。
この動画は鰊場作業唄の一連です(タイトルは沖揚げ音頭となっていますけど、4部すべて歌われています)。
6分13秒からが”沖揚げ音頭”です。
お時間ありましたら最初から視聴してみると、動きで流れが入ってくるのでいいかもしれません。

おわかりでしょうけれど、このライナーノーツは基本的におふざけです。
原曲はロシア民謡と書いてありますが、わたしが調べてもどこにもそんなことは書いてありませんでした。
もしかしたらそんな説もあるかもですが……

このことはとりもなおさず日本人の北方帰化説を裏付けしており、大変興味深い曲である。したがって今日ではロシアのことをソ連と呼んでいる。(フォークル百科事典第三巻、第六章参照)

ハレンチ・ライナーノーツ 引用

ここで草不可避です。
北方帰化説は実際にある説ですが、「したがってロシアのことをソ連と呼んでいる」は「ソーラン」を「ソ連」にひっかけたギャグでしょう。
当たり前ですが、北方帰化説が唱えられている対象の時代には、ロシアもソ連も存在しません。
こんなん解説する意味よ。なにが「したがって」じゃい。

さて、そんなツッコミを入れさせていただいたところで、民謡「ソーラン節」について少し、お話しようと思います。


民謡「鰊沖揚音頭」

民謡の成立年代を特定することは、大学の研究者ですら困難でしょう。
Wikipediaには江戸中期頃の俗謡集に似た歌詞がとありますが、その時代に実際にソーラン節……鰊沖揚音頭が歌われていた記録はないようです。

とはいえ少なくとも明治時代には歌われていたようで、大正3年に発行された”俚謡集”という本にも、北海道の民謡として鰊沖揚げ唄が掲載されています。

動画を聴いていただいた方はわかると思いますが、鰊作業唄の沖揚げ音頭は、今耳にするものとだいぶ違います。
これには理由があります。

原曲……民謡ですと”正調”と言われる鰊作業唄は仕事・労働歌と呼ばれるジャンルでして、楽器を使ってお上品に歌われるものではありません。
今よく耳にする「ソーラン節」のベースは、1935年に今井篁山いまい こうざんという北海道の民謡家が、この沖揚げ音頭に伴奏をつけるため整えたものです。

今井さんが整えたのはメロディだけではありません。

沖揚げ音頭は仕事歌ですから、漁夫たちが順番に歌詞を即興で作り、歌いまわしていました(船の上で歌う専門の仕事もあったようです)。
もちろん「お決まり」の歌詞もありますが、そのライブ感を楽しむため、即興の歌詞も積極的に作られ、歌われていきました。
7・7・7・5の都都逸調を使えば、誰でも作詞ができました。
今井さんは雑多に散らかっていた歌詞も整理したのです。

力仕事の男たちが即興で歌詞を作る。
そこには真面目ったらしい歌詞だけでなく、下ネタ満載な歌詞も好まれて歌われます。
今井さんはもちろんここは削りましたが、ですがいやいや、仕事歌の醍醐味はここにあるのです。

下ネタ・お下品な話というのは、人類共通の、頭を使わない笑いの元です。
ニシン漁の仕事場へはいろいろな地方から人が入ってきていましたから、こういう共通のものは大事なんですね。
仕事歌というのも、共同体として一体感を得ることができる、最適な道具だったことでしょう。

けれど共同体である作業員同士ならともかく、外野の人間に聴かせるとなると、お下品なものというのはよろしくありません。
子どもも聞きますし。
とくに今の世のお母さんたちは、子どもを滅菌室で育てたい傾向にあるようですから、仕事歌としてのソーラン節なんて聞いたら蕁麻疹でも出てしまうんじゃないですかね。
そういうことも考慮して(してないと思うけど)今井篁山はあくまで男らしく恰好よい部分を切り抜いたということです。

以降、今井ソーラン節を基調とし、フォークルをはじめ、さまざまな歌手がソーラン節を歌いました。
その代表的なものを4つ見ていきましょう。
時代によって変化するソーラン節の面白さを感じていただけると思います。


時代別『ソーラン節』-1928年

1935年に今井さんが整える前にレコーディングされた、正調の沖揚げ音頭の音源が、Youtubeにアップされていました。
歌詞も動画内にありますが、私的にもまとめてみましたので、見聞きしてみましょう。

この音源の録音は、国立国会図書館によれば、1928年だそうです。

8番の歌詞に注目してください。
上述したお下劣な、春歌や猥歌と言われる形態の歌詞が歌われています。
鰊群来にしんくき」という専門的な言葉も使われています。
他にも
鰊来たかと稲荷(おキツネ様)に聞けば 
どこの稲荷も コン(来ん)と鳴く
なんて、かわいらしく、ポンと膝を打つような歌詞もあります。

笑いあり、しみじみあり、巧さあり、お下品ありの、まさにいろいろな人が歌いまわした仕事歌の雑然とした楽しい歌詞になっています。

次は時代は上がり、次は1956年。
現在70代くらいのひとに聞けば誰でも知っているスーパースター、
歌謡歌手の三橋美智也さんが歌ったソーラン節です。


時代別ソーラン節-1956年


1番2番は鰊の仕事っぽいですが、
続く3番4番はなんだかしっとりしてますね。
湿度が高い。
仕事の勇ましさ、恋のほろにがさ、陸で待つ奥さんの気持ち。
もちろん1928年の歌詞にもしっとりした歌詞はありましたが、
全体的に洗練されてスッキリしています。
おかげで仕事歌らしさは少し無くなりましたね。

じつは同じ年、あの今井篁山さんもレコードを出しています。
Youtubeにあるんですが、同じ時代なのに異様に音質が悪いのはなぜ? となります。
今井さん版の歌詞は以下の通りです。

やはり元々の歌を整えた方だけあって、現場の匂いがします。
勇ましい歌詞の中、3番だけひそかないじらしさを感じさせてくるあたり、いやらしいですね。
いやらしいです。

さて、次は10年ほど飛びまして、
主題であるザ・フォーク・クルセイダーズのソーラン節(そうらん節とも)です。


時代別『ソーラン節』-1967年

仕事歌に非常に近いです。
雨が降る日は~」は1928年Verでも歌われていましたね。
ちょっと変更されていますが意味は同じ、いわゆる小泉構文でしょう(暴論)。
男度胸なら五尺の体」も1928Verに全く同じものがあります。
さすがにフォークルがどのレコードを参考にしたかまではわかりませんが、三橋美智也さんの歌謡曲的なレコードではなく、”民謡”として売り出されていた音源を参考にしていたことがわかります。

世界中の民謡を紹介する。
第一次フォークル、ひいてはカレッジ・フォークの理念に沿って活動していたんだな、ということを、ソーラン節一曲で教えてくれています。

ちなみに、ですが。
Wikipedia見てて初めて知ったのですが、これのギターはキングストントリオの曲が元になっているとありました。

よう発見するなあ。
聴き比べてみるとなるほど、これをかきならしたら確かにフォークルのソーラン節になるわと、目から鱗でした。
というかよくこれとソーラン節合わせようとしたな。

さてさて、最後は一気に時代を飛ばしまして、1998年です。
わたしたちがもっともよく知るソーラン節は、おそらくこの1998Verのソーラン節です。


時代別『ソーラン節』-1998年

運動会やイベントで流れるのは、おそらくほぼ100%このソーラン節でしょう。
テンポが速くロック調な、フォークルとはまた違ったアップテンポなソーラン節は、
ロックソーランとか南中ソーラン節と呼ばれます。

歌詞はもはや仕事歌の原型がありません。
それもそのはず、この曲はダンス曲とするためにアレンジされたバージョンだからです。

詳しくは語りませんが、稚内南中学校という学校の生徒がテレビ局の大会で踊るために、伊藤さんがアレンジをしたのですね。
踊るためです。
ですから、歌詞に仕事歌を使う必要はなかったのです。

この大会は後にドキュメンタリー化され、全国テレビで放送されます。
さらにその後、ドラマ金八先生のラストで生徒全員が伊藤多喜男さんの音源でソーラン節を踊る放送がありました。
テレビドラマの影響力は半端ではありません。
金八先生の放送以降、学校や保育・幼稚園でソーラン節を踊ることは主流となり、それと同時に、伊藤多喜男さんのソーラン節、通称「南中ソーラン節」も一緒に全国に浸透していくのです。

南中ソーラン節の原型である音源は、伊藤さんが1988年に発表したものです。
これは仕事歌にほとんど忠実な歌詞で歌っています。
ですが残念ながら、こちらはあまり広まりませんでした。

このため、ソーラン節は勇ましく踊る歌、という印象が強くなったというわけです。

以上、時代別ソーラン節でした。


まとめ-時代で変化する歌

いかがでしたか。
1928年から98年。
70年をかけて変わっていくソーラン節の紹介でした。

もちろん1928年以前にもソーラン節は歌われ続けていましたし、
歌詞をまとめたら100は優に超えるものが発掘されるでしょう。
今回は4つ時代から5人のソーラン節を見てみましたが、もちろん、音源になっているだけでも数えきれないほどのソーラン節が発売されています。
紹介したものがすべてと言い切るつもりは全くありません。

それでも、やっぱり時代によって変わっていくソーラン節は、フォーク・ソングを考えるうえで、非常にわかりやすい題材の一つとも言えるでしょう。

民謡を再び若者たちの手にという理念から発展していく60年代のフォーク・ブームも、昔の歌を必ず正しい歌詞を使い、手拍子で歌っているわけではありません。
時には歌詞を替え、時にはメロディを少し変えて、ギターに乗せ、エレキ楽器だって使い、現代風にアレンジして歌っていたわけです。

仕事歌として発生したソーラン節は、同じメロディ、節回しであるならば、歌詞は自由です。
メロディだけで、ソーラン節はソーラン節であるのです。
民謡であるのです。

ざっくばらんに言ってしまえば、メロディと歌詞は別々であるというのが、民謡の特徴です。
メロディという箱に歌詞が詰められていると言えばいいでしょうか。
歌詞は自由に取り出すことができ、また、新しい歌詞をメロディという箱に入れることだってできます。
ですがそれは新しい曲になるのではなく、やはり「ソーラン節」という既存の曲のままなのです。

現在では歌というのは権利という箱に入れられ、メロディと歌詞は混然一体のものとして扱われます。
歌詞を取り出して新しいものを入れようとしても、権利という蓋のせいでそれは叶いません。

権利という箱からメロディと歌詞を取り出し、これを変更して無理矢理に民謡としたらどうなるか。

次は、「悲しくてやりきれないへと至る道」でも取り上げた、イムジン河についてお話します。



長々とした記事を読んでくれてありがとう。
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では、また次の記事で。


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