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光めざして放った矢は、今もどこかに刺さったまま / もう会うことのない人たちへ #2

もう会うことはないだろうけど、どうしても思い出してしまう人っていませんか?

東京と岐阜で長く暮らしてきたことで、それぞれの土地で出会った人がまた別の場所で生活をはじめることもありました。今日は高校時代に出会った人とおよそ10年越しに再会した話をします。

すみません、今日も女人の話です。金曜なので許してください。

しかもなんと2日かけて書いたら8300字になりました。ビールでも飲みながら休み休み読んでください。ふせんとか栞があったらなあ…それでは。

近付いてて、届かなくて

先輩をはじめて確認したのは、入部届を出した翌週のことだった。

「夏も冬もエアコン完備」と美人な3年生に勧誘されて弓道部に入った僕は、この日も高校から30分ほど山をのぼった先にある武道場をめざして自転車を漕いでいた。

同期よりも向かうのが少し遅れたので、急いで駐輪場に自転車を突っ込んで鍵をかけていると「ヤッホー」と後ろから声がする。振り向くと、うちの高校の制服を着た女子生徒がこちらに手をふっている。

このときから僕はすでに人の顔と名前を覚えるのが苦手だった。田舎町から遠方の大きな高校に通うことになり、知らない顔が爆発的に増えてしまったことも拍車をかけていただろう。

だけど長いまつげの奥に光る、ガラス玉のような眩い目を、僕は過去にも見たことがなかった。かすみ草とかよりも、ガーベラがはっきりと似合う人だった。

思わず見蕩れていたが、「弓道部だよね?」と言われて我に返る。同期に女子は3人しかいないので、そのうちの1人でないことぐらいさすがの僕にも分かる。ということは先輩か、どおりでスカートが短いんだなと納得した。

2年生だというその人と弓道場まで並んで歩きながら互いに自己紹介をすると、僕は脳内の「絶対忘れないリスト」に名前と顔を何度も書きこんだ。その日は部活が終わって家に着くまで頭が熱かったことを覚えている。

我が弓道部は男女混合で、それまで暗い男たちとばかりつるんできた僕には情報量が多すぎた。20人近くの女子と同じ空間で同じ練習をするだけでも慣れないし、そもそも積極的に会話できるタイプでもない。

例によって暗い男の同期たちとばかりつるんでいたが、中学まで野球をやっていた僕には十分すぎるほど華やかな空気だった。

弓道場は射手が弓を引く射場と、挟んで28メートル向かいの的場に分かれている。的場の隅には小屋があって、的中を知らせる電光掲示板を操作したり、射手が放った矢を拾ったりするために生徒二人で待機することになっていた。

同期とペアになるとテストのこととか部活に関係ない話をし、男子の先輩と一緒のときは射型についてアドバイスをもらった。しかし女子の先輩と二人のときは何を話せばよいか分からず、射手が弓を引き終わる約五分間を沈黙することもしばしばあった。”暗い男”なので仕方ない。

でも、”センパイ”は違う。いつもどおり「ヤッホー」と手を振って小屋に現れると、○と✗のスイッチを押しながら他愛もない話ばかりした。バンプオブチキンの好きな曲とか、バイオハザードの映画とか、デビルメイクライをやり過ぎて朝になった話とか、話の内容が”暗い男たち”と大差なかった。

彼女は理系を選んで男友達も多いといってたから、話すテンポとかも似たのだろうか。あの弓道場で誰よりもまぶしかったのに、誰よりも近づきやすい人だった。

1年生があっという間に終わり、僕は2年生になった。

3年生にとって最後の大会となるインターハイ予選を週末に控えた練習終わりのこと。どちらから声をかけたかも覚えてないけど、弓道場を出てからセンパイとメールアドレスを交換した。

彼女はお世辞にも弓道が上手とはいえなかったから、この週末で敗退して引退するんだとなんとなく分かってたと思う。だけど陽が暮れゆく駐輪場で赤外線通信が終わるのを無言で待ちながら、センパイは本当に引退するんだと理解してしまい、その日はバンプオブチキンを聴きながら帰った。

3年生が引退して最上級生になってから何度も連絡しようとしたけど、受験勉強の邪魔になったら嫌だし、何より同じクラスに彼氏がいることを知っていたので一度もメールを打つことはなかった。

ゲームばかりやってたのに成績はとても優秀だったセンパイは、地域で一番有名な大学の薬学部に合格したと聞いた。卒業式で写真を撮ったはずなのに、どこを探しても見つからない。

僕はなにかやらかしてみたい

高校を卒業すると、僕は東京へ進学してそのまま就職した。入社して何年か経ったある日、仕事から帰って缶ビール片手にFacebookを見ていると、弓道部の男の先輩がアメリカに出向するという投稿を見つけた。

コメント欄をのぞくと懐かしい顔ぶれが「頑張れよ」などと励ましの言葉を交わしている。あの山の上の弓道場で過ごした日々を懐かしみながら画面をスクロールすると、”センパイ”の名前を見つけた。苗字はまだ、変わっていない。

新しい人たちと新しい生活を前に進めるうち、昔が懐かしくなる瞬間が時折あった。僕は何かを取り戻したくて、それが何かもよく分からなかったけど、センパイに友だち申請を送った。5分ほどで承認されると、止まっていた時計の針が動き出した気がした。

昨今は「承認ありがとうございます」と御礼を言う文化のおかげで、容易にメッセージを送信することができる。あの日交換したメールアドレスには、一度も送れなかったくせに。しばらくすると絵文字をふんだんに散りばめた返信が届いた。こういう文面でメッセージを送る人なんだと初めて知った。

センパイは薬学部を卒業して製薬会社に入社したのち、新しいキャリアを探ろうと全く違う分野に転職して人事の仕事をしているらしい。大学からずっと名古屋に残っていて、転職してからはアフター5を謳歌しているとかなんとか、とりとめのない話をした。

「いつか名古屋で飲みましょう」なんてありきたりな言葉でやり取りが終わったけど、僕は本当に名古屋に行く作戦を立てることにした。この日寝る前に聴いたのはバンプオブチキンではなく、銀杏BOYZの”青春時代”だった。

何ヶ月か経って、3連休を取るチャンスを手に入れた。その年は仕事が忙しくて盆に帰省できなかったので実家に2泊すると連絡したが、最後の夜は名古屋経由で東京に戻ろうと決めていた。

「直前過ぎると予定が合わないけど、先に押さえすぎても必死感が出る」とモテる友達に教わったので、2週間ほど前にセンパイに連絡した。文面を練りに練ったメッセージだったが、また5分ほどで「空いてるよ」と返信が来た。モテる友達はすごい。

かくして僕は、およそ10年ぶりにセンパイと会うことになったのだ。

背伸びしたら驚くほど容易く触れてしまった

残暑がまだ服にまとわりつく9月の下旬、僕はセンパイと金時計前で待ち合わせをした。名古屋のカップルの待ち合わせはここと決まっている。それにしてもここまで話が順調過ぎる。もしかして僕を誰かと間違えているのでは?美人局だったらどうしよう?

くだらない心配をよそに、「ヤッホー」という声がした。淡いブルーのワンピースに身を包んだその女性は、間違いなくセンパイだった。

その日僕は名古屋の店を知らないフリをして、センパイの行きつけに連れてってもらった。これもモテる友達からのアドバイスだ。センパイはいつも仕事終わりに行くというスペインバルに僕を案内すると、慣れた手付きで樽の椅子に座りメニューの紹介を得意げに始めた。モテる友達は本当にすごい。

名古屋での生活や仕事のこと、他の弓道部員の話など会話に困ることはなく、この10年の答え合わせに夢中だった。だが僕は、化粧も薄くて制服か袴姿のセンパイしか知らない。こちらを見つめる大きな目を引き立てるようにアイシャドウが奥行きをもたせていて、僕は何度も吸い込まれそうになる。

ワイングラスが似合うこの人は、センパイというよりも間違いなく大人の女性だった。

どうしてもひとつ、気になったことがあった。ワインボトルが空いたころ「付き合ってる人はいるんですか?」と尋ねると、しばらく「うーん」とうなってから「まあそういう人はいるよ」と濁したのだ。

僕だってこの10年間、ずっと清らかだったわけじゃない。大声で人に言えないようなこともしたし、ひどい目にもあった。彼女と同じ表情で同じことを言う女性は何人もいる。でもルックスが良くて人たらしな性格をしていれば仕方ないかと腑に落ち、ワインを飲み干した。

その日3時間ほど飲みながら会話して分かったことはいくつもあった。アフター5を利用して”社交界”に繰り出し、医者や経営者と飲み歩いていること。たしかに彼氏はいないけど”一緒にいる男性”は何人かいること。そして僕が終電の新幹線に乗ってから、駅に男が車で迎えに来ること。

彼女は「どう立ち振る舞えばいいのやら」と嘆いたが、まんざらでもない顔をしている。

店の会計をしたのち改札まで見送りに来てくれたが、前へ歩き出してすぐに振り返っても、彼女の姿はなかった。売店で缶ビールを買い、ホームにある喫煙所でずっと我慢していたタバコに火をつける。

今ごろもう車に乗ったんだろうか。どこに行くのか聞かなかったけど、男が運転するってことは酒も飲めないしそのまま家に向かうんだろうか。ガラス張りの部屋に煙がすぐに広がり、名古屋の街並みに白いもやがかかった。

ビールを半分ほど飲んだところで新幹線が着いたので、僕は自由席に乗り込んで窓の見える椅子に腰かけた。缶の残りを一気に飲み干してからスマホをチェックすると「今日は時間が足りなかったけど、次はゆっくりしようね」と画面に小さく書いてある。

僕は黙ってポケットからイヤホンを取り出し、耳に突っ込んで銀杏BOYZの”駆け抜けて性春”を流した。

終わることのない恋の歌で 
すべて消えてなくなれ すべて消えてなくなれ
烈しく燃える恋の歌で 
夜よ明けないでくれ 夜よ明けないでくれ

他の誰でもない、自分のせい

時間はさらに1年経過する。その年は前年よりもさらに忙しくて、連休という概念が失われた世界を生きていた。担当していたクライアントのイベントが一段落した10月。調整により3連休が取れることになったので実家にでも帰ろうか悩んでいたところ、僕は名古屋に”忘れ物”があったのを思い出した。

あれから少しやり取りが続いたがすぐに途絶えてしまった。他の女性とメッセージを交わしても、頭に浮かぶのはセンパイの顔。なのに忙しさにかまけたり、医者とか経営者とか顔も知らない男たちに怯えたりして、自分の気持ちに蓋をして棚の奥にしまいこんでいた。

おいおいしっかりしてくれ。今の僕は昔と違うじゃないか。会いたい人に会うフットワークも、物怖じせずに女性と向き合う度胸も、ちゃんと手に入れてきたはずだ。

叶わない恋を自分以外のせいにするのは、もうやめないか?

「お久しぶりです また帰省するのでスキマで飲みましょう」とかそんなようなことをメッセージしたが、2日以上経っても返信はなかった。1年も経てば興味もなくなるし、あの男とそのまま結婚したかもしれない。

今回はタイミングが違ったのかなと、名古屋の後輩男子の家に行く手はずを整えていた休日、スマホの通知が鳴った。

「遅くなってごめんね 待ってたよ

そして僕は助走をつけた

11月に入ると、名古屋の夜にも次の季節を予感させる風が吹いていた。定時で退勤してスーツのまま新幹線に飛び乗った僕は、ホームに降りると金時計ではなくJRに乗り換えて別の駅に向かう。

名古屋からさほど遠くなく、ビルやマンションが立ち並ぶこの街に、センパイは暮らしている。

この日は彼女も仕事が遅くまであるらしく、21時過ぎに駅で待ち合わせてから店を目指すことになっていた。先に着いて改札の横で待っていると、黒やねずみ色に染まったサラリーマンの群衆のなかで一際目立つ、ライトブルーのトレンチコートをまとった女性があらわれた。

彼女は革製の大きなトートバッグを右手に持ち替えながら「久しぶり」と淑やかに告げる。そして急ぐように、二人で街へ向かった。

テラス席のあるダイニングバーに着くやいなや、ビールを注文して乾杯する。この1年間の仕事や弓道部の同期が結婚する話で盛り上がっていると、あっという間に23時を回っていた。「パブが近くにあるから行こう」と彼女が言うので、僕は何も言わずについていく。

サッカーの試合を観てはしゃぐ外国人をかきわけて席を見つけると、すぐにセンパイはお手洗いに抜けた。僕はその隙にタバコに火をつけて大きく吸いこむと、溜め息と一緒に煙を吐いた。

これからどうするかなんて野暮なことよりも、彼女に聞きたいことを何も聞けていない状況の方がもどかしい。もしあの男と今は何もなかったら、僕は思いを打ち明けるつもりでここに来たからだ。

彼女が席を探す姿が見えたのでタバコをねじ消して灰皿に入れ、誰もいない隣のテーブルに忍ばせた。席を立って迎えに行き、そのまま二人でカウンターに並んでジャックダニエルのロックとカンパリオレンジを注文した。

乾杯して一口飲んですぐに「去年の車の男とどうなったんすか」とぶっきらぼうに聞いてみる。彼女は「何もないよ」と言ったが、僕はこれっぽっちも安堵できなかった。表情が少しこわばったからだ。

「この一年なんもなかったんですか」と尋ねてみたが、「まあねえ」とかはぐらかすばかりで埒が明かない。なにか隠し事をしてるのか、それとも相変わらず医者や経営者と飲み歩いているんだろうか。

僕はこの10年間で培ったなけなしの勇気を振り絞って「俺が好きって言ったらどうします?」と、あと一口飲んだら、言うつもりだった。そしてグラスを手にとった瞬間、彼女は僕に言った。

「ちょっと歩かない?」

月まで届くような翼がほしい

グラスに残ったウイスキーを一気に口へ注ぎ、僕は彼女を追うように店を出た。熱い喉を押さえながら「どこ行くんですか」と尋ねると、ここから1時間歩くと家に着くと説明する。買ったばかりの革靴で足が靴ずれしないか心配したが、僕はすぐに彼女のトートバッグを受け取って歩き始めた。

住宅街を沿うように暗くて狭い道を進んでいるうち「ここを一人で歩くのは怖いんだ」と彼女は呟いた。「いつも一人なんですか」と聞いてみると、「この道を誰かと一緒に歩くのははじめて」と言う。

しばらくして車線がいくつもある大きな道に抜けると、歩道が広くなったので並んで歩いた。街灯が二人をオレンジ色に照らし、沈黙をつつみこむ。耐えきれなくなった僕は「好きな人とか、いるんですか」と、消えそうな声を思い切り投げつけた。彼女はふうっと一息ついてから言った。

「彼氏ができたんだ」

僕が会おうと連絡したとき、彼女は別の男に告白された直後だった。すぐに返事はしなかったけど、僕が名古屋に来る数日前に「よろしくお願いします」と伝えたらしい。時系列が錯綜して正確な情報を見失いそうになったが、今この時点で彼女に彼氏がいるという事実は変わらない。

「相手は医者ですか?やっぱ社長とか?」と僕はおどけて聞いてみる。すると予想外な答えがかえってきた。

「高校の時に付き合ってた人から、よりを戻そうって言われた」

僕はたぶん、足が止まったと思う。

1時間以上かけて歩くと、彼女の住むマンションの目の前まで来た。周りの建物より一つ飛び抜けた高さがあり、1階にはファミリーマートが入っている。僕は「じゃあここで」と去るつもりだったが、彼女が何も言わずにエントランスに入っていくのでついていった。

オートロックを操作して自動ドアを進み、エレベーターに乗る。彼女は4のボタンを押すと「今日はすまなかったねえ」と頭を下げるそぶりをした。僕は「いえいえ」とかそんなことを言ったんだろうけど、彼女のトートバッグから手を離せずにいた。

ここでバッグをかえしたら、もうずっと会えない気がする。僕は悪い方の予感が、必ず当たるタイプの人間なのだ。

しかしエレベーターは僕の気持ちもつゆ知らず、まっしぐらに4階を目指す。ドアが開いて外に出ると「悪かったねえ」とおどけながら僕の手からバッグを受け取ろうとした。僕はとっさに、これは自分のものだといわんばかりに持ち手を強く握った。

そこから10秒ぐらい顔を見合っただろうか。いや、よくて5秒、きっと3秒ほどだろう。僕は観念したようにバッグをおろしてセンパイに渡した。

「風邪引かないでくださいね」

「お互いね」

「彼氏によろしく」

「ありがとう」

「おやすみなさい」

「おやすみなさい」

エレベーターの窓からセンパイを見ていた。ドアが閉まり、下に降りて、顔が、身体が、靴が、上に消えていく。

1階のファミリーマートに駆け込み、缶ビールを買って外の灰皿に向かった。プルトップを鳴らし、息が続くまでビールを喉に流し込む。たまらずタバコに火をつけて、深く、深く吸い込んだ。しばらく空を見上げた後、スマホを操作して電話をかけた。

「今から行くわ」

それだけで僕は嬉しいのさ

2.3分ほどで捕まったタクシーに、4時間前に降り立った駅の名前を告げた。今思い返しても、センパイと後輩男子の家が同じ駅を挟んで反対方向だったのは奇跡としか考えられない。

ふと足に刺さるような痛みを覚え、靴と靴下を脱いだ。かかとの皮がべろんとめくれて血が滲んでいる。もっと早く気付いてれば面白かったのにと、ちょっと後悔した。

センパイと二人で歩いた道を、タクシーは戸惑うこと無く引き返す。ひょっとしてもうすぐ着くんじゃないかと、慌ててイヤホンを耳に突っ込んだ。

星降る青い夜さ 
どうか どうか声を聞かせて 
この街を飛び出そうか 
つよく つよく抱きしめたい

もしセンパイに連絡するのがもっと早かったら、ジャックダニエルをあと一口なんて考えなかったら、駐輪場で交換したアドレスにメールを送っていたら、今日この瞬間の景色は変わっていたのだろうか。悔しかった、情けなかった、不甲斐なかった。

なのに僕は、ほんの少し嬉しかった。

名古屋に行って、センパイはすっかり変わってしまった。

何の医者なのかどこの社長かも知らないけど、センパイが遠くの人になってしまったと、1年前に再会したときからすでに寂しかった。10年が経ち、全く違う女性になってしまったような気がして、時間を呪うこともあった。

だけどセンパイは、過去を忘れてなんかなかった。どういう経緯なのかは聞かなかったけど、青春を共に過ごした人をもう一度選んだんだ。心には、僕たちの故郷がしっかりと残っている。

あの人は間違いなく、同じ場所で同じ時代を生きた、僕の大好きなセンパイのままだった。

わたしはまぼろしなの 
あなたの夢の中にいるの 
触れれば消えてしまうの 
それでもわたしを抱きしめてほしいの 
つよく つよく つよく

タクシーを降りてしばらく歩くとローソンに着いた。店内に入ると後輩がカップラーメンの棚を見つめながら眠そうにしている。申し訳なさもあったが、「俺さっきまですげえ美人と飲んでたんだぜ」と今すぐ自慢してみせたかった。

かわいそうだし何か買ってやるかと、僕は買い物かごを手にとって店の奥へ歩き出した。かかとの痛みはもう、忘れている。

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長文でしたね、最後までお付き合いいただきありがとうございます。ビールで一息つきましょう、タバコも吸いますか?

その後悪い予感は無事的中して、センパイには一度も会ってません。どこで何をしているのか、誰とゴールインしたのかも知らないです。

あれから何年も経って、僕が名古屋を飛び越えて岐阜に帰ってきたことなんて、きっと知る由もないでしょう。

残心

先日、弓道場の近くを通ったときに少し様子をのぞいてみた。

たまたま母校の生徒たちが部活に励んでいて、僕は通路のガラス越しに眺めることにした。射手が放った矢が的に中たると、「良し!」という部員たちの爽やかな声がこちらまで響いてくる。

僕たちがこの弓道場で過ごしたのは、今からもう12年前のこと。弓道場のつくりは少し変わってしまっていたけれど、あのとき仲間と競い、ときに励ましあって弓に熱中した残像が、目の前に映し出された気がした。

あの恋については”暗い男たち”の一部で共有されていたが、12年ぶりに弓道場を訪れ、こうして文章にできたことで無事に供養された。

28メートルどころではない途方もなく遠くへ放った矢は、的に届くことなく、今もどこかにひっそりと刺さっている。



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