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夢の話

こんばんは。考える葦です。

私の夢の話を聞いてください。

私の夢は、居場所のない子どもたち(居場所とは学校と家を指します)を見つけ出し、新たな居場所を提供するサービスを作る、または支援することです。

以前、『先生になりたい』という記事にも似たようなことを書いたことがあります。

その時は、目的を果たすためには教員になることが全てだと思っていました。

そのため大学に進学し教員免許を取得しましたが、この目的を果たすためには必ずしも教員である必要は無いのではないかと最近思いました。

教員としての経験は無駄にはなりませんが、目的の達成には都合が悪いかも知れません。

教員になれば、たくさんの生徒の相手をし、激務で本当にやりたいことが出来ないかもと思ったのです。

私が本当にやりたいこと、夢の話を聞いてください。


今日07/27の鬱日記やこれまでにも何度か書きましたが、私は大学時代にフリースクールでボランティアをしていました。

フリースクールとは、不登校などで学校にいけない子どもが学校の代わりに来る場所のことです。

私がボランティアしていたフリースクールにも様々な子どもがいました。

しかし、この子達は恵まれていると思うのです。

なぜなら、親がきちんと子どもの不登校の問題に向き合い、フリースクールをわざわざ探し、送り迎えをしているのだから。

現実問題として、不登校だけど親から放置されている子ども、学校が辛くて不登校寸前の子どもは多くいます。

そうした学校という安心出来るはずの居場所を無くしてしまった子どもたちを救いたいと思っています。


また、子どもの学校と並ぶ居場所として家庭がありますが、そこでの子どもの苦しみは外からは見えにくいものです。

私の話をしますが、私は恐らくアダルトチルドレンで、家庭環境に問題がありました。

簡潔に言うと、幼い頃の親からの暴力、父親の無関心、母親の日常的な私に対する否定などです。

私は自分の家庭が他とは少し違うこと、家庭環境によって形成された自分の性格によって幼少期からの生きづらさに繋がっていることを大人になってから知ることとなりました。

これは、私は子どもの頃から所謂『良い子』だったので、大人の誰もが「この子は何も問題がない」と思い込んできた結果ではないかと思います。

私は子どもの頃から辛かった、だけど誰もそれに気づいてくれませんでした。

私のように、外からは見えなくても辛さを感じている子どもはいるはずです。

そういった子どもたちも当事者だからこその目線で救い出したいと思います。


私が教員になるかは分かりませんが、教員になることがゴールではなく、目的はその先にあることを改めて肝に銘じることが出来ました。

以前の記事との重複がありますが、思考の整理が出来たので良しです。

乱文失礼しましたm(*_ _)m

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