"いばしょ"が無かった、21歳までの僕へ。
いままであまり書くことがなかった、僕の過去について語ってみようと思います。読むかたによってはトラウマを想起させるような内容になるかと思うので、無理のない範囲で読んでいただけたらと思います。
僕の、〈かぞく〉。
実は自分は、21歳になるまでいわゆる機能不全家族とよばれるような家庭の中で育ちました。機能不全家族とは、家族の誰かが依存症や虐待などの問題を抱えていて、健全な関係を築けないような状態の家族を指します。自分の場合は、物心ついたころから両親のケンカが絶えず、週の半分はケンカの声を聞きながら布団に潜るようにして眠っていたのをよく覚えています。
ケンカがない日も、母はいつも父に不満を持ち、常にストレスを溜めて機嫌が悪そうな顔をしていました。僕が小学生のときには、母が何度かパニック発作を起こし、何が起きたのかもわからないまま救急車を呼んで病院まで付いていったことがあります。高校生になる頃にはうつ病、アルコール依存、たばこ依存を併発し、母は焼酎を大量に開けては泣き散らし、父に対する愚痴をこぼし、その横で僕が「うんうん」と聞きながら勉強をしていると、気づけば母はキッチンの換気扇の下でたばこをふかしたまま泥のように眠っている。少し起きて朦朧とする母を布団まで連れて行って、布団をかけて自分はまた夜中まで勉強に取り組むという、そんな日々を送っていました。書きながら「僕は当時どんな気持ちだったのかな」と思い返してはみますが、本当に感情がなかった。
――これが自分にとって当たり前だったし、
"家族ってこんなものだ"と本気で思っていました。
母がこうなってしまった原因が100%母自身にあるのかというと、やはりそう言い切れるほど物事は単純じゃありません。父も父で、他人に興味がない性格で、母が困っていても助けようとしないし、僕もあまり父親に関心を向けてもらえなかったと感じています。特に、"愛情"と呼べるような感情を向けてもらったという感覚が、僕の人生の中からすぽっと抜け落ちたかのように、存在していないのです。
――悩みを共有してくれない。息子のことも気に掛けてくれない。
心に抱え続けた暗い気持ちが、母を複雑な状況に追いやったのだと、いまなら理解ができます。
そして自分にも、家族を機能不全に陥れる原因はあったのだろうと思います。自分も父に似て、どちらかというとマイペースで他者の感情が理解できない性格だという自覚があります。成人してから精神科で自閉症の傾向があると診断され、すべてが腑に落ちたような感覚がありました。
だからこそ、この歳になってやっと、両親の非を責めたいという思いに駆られることはだいぶ減りました。僕にだって両親への不満はたくさんあるけれど、自分も含め、3人みんなの性格に歪な特徴があって、相性が悪かっただけ。そういう捉え方もできるようになったとき、家族の誰かに非を押し付けるだけではなくて、ある種"仕方なかった"とも思えるようになってきたのです。
24歳になったいまはこうして俯瞰して振り返ることができていますが、ほんの数年前までは幼少期の話題を出すだけで手が震えるほど苦しかったのを覚えています。
なぜ、過去を振り返るのか。
正直、こんな話誰も聞きたくないだろうと思っていままで明かさずにいましたが、僕がいまやっている家庭教師の仕事、LGBTQに関わる仕事の原点は自分の過去にあるんだと最近気づき、こうして数回に分けて投稿することを決めました。
いま、つらい環境にいる人、過去つらい環境にいた人、無理して読んでは欲しくないけれど「あなたはひとりじゃないんだよ」というメッセージになってくれたらうれしいです。少しでも希望を持って終わるような文章にしたいと考えているので、これからも読んでいただけたらと思います。