「朝一杯のおしっこから ~秘伝・口伝・尿療法~宮松宏至著」1984レビュー その2
「朝一杯のおしっこから ~秘伝・口伝・尿療法~宮松宏至著」1984レビュー その2
宮松さんを尊敬する小生は、宮松さんの著作を読んできたのだが、この一冊だけは、想像を絶する世界の話のように思え、手に取ることができなかった。そう私にとって『禁断の書』であったのだ。
ところが、ひょんなことから、手に取る事となった。
その経緯は、『第4代インド首相 モラルジ・デサイ氏との邂逅』に詳しく書いた。
https://ameblo.jp/papadad/entry-12813857208.html
フォト・ジャーナリストとしてボヘミアン的(バガボンド的)に世界をさすらった宮松さんには、ぜひ、「一代記」を書いて欲しいと私は常々思っていた。
本書を読んで、その私の願いは、少しかなった。
本書には、尿療法そのものの記述がメインであることは確かなのだが、宮松さんの1984年までの半生記も書かれていたのだった。まさに半生記、ものがたりそのものであった。
記録映画作家故土本典昭氏の宮松さんを評した言葉
~著者の眼重しは驚嘆するほどやさしい。弱者へのかかわりひとすじにおいて、これほども無限の滋愛にいたれるものか、それを巧まずして(効果を考えたりせずに)ときあかしている意味で、すぐれた新しいタイプの日本人・・・~
まさに、今でも、新しいタイプの日本人のものがたりであり続けている。
下世話に表現すれば、宮松さんの半生記は、めっちゃ面白いのである。学校を卒業して、会社に就職して結婚して・・・という標準的人生、私などは、ややドロップアウトしている方なのだが、そんな私から見ても、めっちゃ面白い。奥様とのなれそめは、感動的であった、
大学卒業後、横浜のホテルに就職した宮松さん。趣味のカメラが忘れられず、同僚から若き写真家本橋成一氏を紹介される。本橋成一氏は、当時、ベトナム戦争の報道写真で第一線に立っていた岡村昭彦氏を紹介する。
『ベトナム戦争とウクライナ・ロシア戦争』に岡村昭彦氏の事を書いた。
https://ameblo.jp/papadad/entry-12811896276.html
すると、岡村氏は、宮松さんに「筑豊に行け!」と勧めた。
同時に、その頃、筑豊で炭鉱労働者の生の声を伝え続けていた記録作家上野英信氏の存在を知った。
二十代半ばの宮松氏は、ホテルを退職し、筑豊に向かった。
そして上野氏の勧めもあり、横浜のホテルマンから筑豊の日雇い労働者に転身したのである。
しかし、後にドヤ街の火事に巻き込まれ、焼け出され、やむなく横浜へ舞い戻る事となった。
帰郷後、アメリカのノースウエスト航空に就職した。
ノースウエストは、当時ベトナム戦争下、米兵をベトナムに輸送する仕事も請け負っていた。宮松氏は、客室乗務員としてベトナムと横田基地を往復した。
航空会社に勤めながら、それでも写真に対する思いは断ち切れなかった宮松さんに、写真の大仕事がやってきた。
筑豊でお世話になった上野英信氏が、南米に炭鉱離職者を訪ねる取材旅行のカメラマンとして随行することになったのである。航空会社を辞め、八ヶ月に及ぶ長期取材旅行に旅立った。1974年の事である。
その南米への取材旅行が終わると、今度は、水俣病と同じ水銀被害に苦しむカナダの先住民居留地、グラシイ・ナロウズに行き、共に生活することを決断、決行した。その生活は6年間に及ぶ。興味深かったのは、その間の宮松さんの生計は、カナダ政府が新進気鋭の芸術家を支援するプログラムにカメラマンとして選抜され、カナダ政府から生活費が支給されたのであった。さすが移民の国である。
6年が過ぎ、支援プログラムから支給された滞在資金が底をついた宮松さんは、先住民居留地を引き揚げ、トロントに移り住んだ。
居留地では、村長のように信頼され、居留民の幸福のために尽力された宮松さんであったが、水銀被害で、水俣病に似た症状に苦しむ居留民の健康の回復には貢献できなかった。その点で無力感に苛まれた宮松さんは、知人の縁で、鍼の勉強を始めた。
その頃、自動車の修理のために訪れた修理工場の工員から、尿療法のことを初めて聞くことになった。
そう、インドの首相が、自ら尿療法を実践していたと、そしてその首相は驚くべき健康体を獲得し、その後99歳まで健康を維持し、天寿を全うされた。
東洋の鍼の施術師としてのキャリアを確立していくと同時に、自ら尿療法を実践し、実験台となって、驚くべき驚異的な効能を体験し、患者さんにも紹介していき、めざましい成果を積み上げていかれた。
それら尿療法も含めた施術の一つ一つが克明に記録され、非常に興味深い。
ただ、宮松さんにとっても、最初の一杯、チャレンジの時の心の葛藤は、私にとって想像を絶する世界と書いたが、それは宮松さんも同じであって、場合によっては死を覚悟するくらいの葛藤だったのである。
いわば通過儀礼の如く、皆、その葛藤を乗り越えねばならないのであった。
よくよく文献などを当たってみれば、尿療法は旧約聖書にも書かれてあり、太古の昔から人間の営みの一つであって、世界中でそれを実践する人たちは存在し続けてきたのである。
本書では、1971年イギリスで出版された「WATER OF LIFE(生命の水)」ジョン・W. アームストロング著が紹介されていた。これは宮松さんが紹介した時点1984年では邦訳が出ていなかったが、その後1994年に、翻訳され「生命(いのち)の水―奇跡の尿療法」 というタイトルで出版された。
結局、一銭もかからない尿療法の普及は、製薬会社の利益を奪うおそれがあるということで、イギリス政府はこれの普及を阻みやがて消えていったという。
さて、私にとって想像を絶する世界の禁断の書を読んで、つくづく思うことは、人間の身体は神の宮であって、そこに一切の無駄はなく、自然治癒力という「神の御業」が備わっているということ。
神の宮たる人間の身体への信頼は、神仏への信仰が大前提である。
コロナパンデミック、そしてお注射による甚大な副作用の世界的現象をみるにつけ、人間の身体が単なる機械に堕落してしまった、それはとりもなおさず人間の神への信仰がなくなってしまったことと呼応するような気がするのである。
尿療法の奥には、神の宮としての人間の身体の神秘が躍動している。
皆さまにも一読をおすすめしたい。
コロナパンデミックの意味も、炙り出される。
最後に、本書には実際に尿療法を実践している人々の体験談が掲載されている。
実名は書かれてないが、宮松さんの知人友人の手記である。
私が心打たれたのは、もちろん、それぞれの方に起こった奇跡のような健康回復はもちろんなのだが、知人友人の方々の多くが、作家であったり、映像作家であったり編集者であったり、表現のプロの方々であるゆえ、その体験談そのものが、一つの読み物として完成度が高く、文体に香があり、文学作品を読んでいるような趣があり、私はこのような上質な体験談を読んだことがなかったので、その事に驚いた。表現者の資質が、単なる体験談をして一つの文学作品に昇華させているような感動を覚えたのであった。
ぎふチャンネルで、日ごろ、サプリの体験談として「ドサ~~って出るわ出るわ・・・」みたいなものばかり視聴していたので、とりわけ、(笑)。
最後の最後に、若き日の宮松さんのいつも手放さずにいたという座右の書「魯迅選集全13巻」に興味を持った。う~ん、無理だろうけど、ちょっとかじってみたくなった。
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