お母さんと私

絵本のことを思い出して泣いたら少しスッキリした。

家族のことはいつまでも私の後ろ髪を引く。

小さな時から幸せな家で暮らしてみたいと思っていたから、大人になって10年近く努力もした、話し合いも数え切れないくらいした。
それでも、だめだと確信し家を出た。

絶縁に至ったまでの歴史と現実もまた当事者の私が痛いほど知るところ。
簡単に決断したわけじゃない

私の運命として、幸せな家庭を私が手に入れることは今世はほぼ不可能。なぜならそれを幼い時に味わったことがないから、そういう状況に順応できないから。

私が子供の時に得たかった得られなかったこと(平和で暴力や泣き叫ぶこととは無縁のやさしい帰りたくなる家)は、大人になって得られるものじゃない。
そこが得られなかった深くて取り返しがつかないダメージは、大人になって完全に埋められるものじゃない。

もしお母さんがうちは虐待があったと認めてくれたら、少しは救われたかもしれないけど、そういうことは認めないし障害についても受け入れられる器のある人じゃない。
それを期待したら可哀想だなと思うほどに、お母さんは子供だから。

だけど、お母さんは私より大人の時もあった、例えば絵本を読んでくれた時みたいに。
そこがまた辛いんだよな

お母さんは小さくて弱い、私との相性も良くないから、私がお母さんに色々望んでしまうとお母さんを苦しめることになる。
実際お母さんは自分の仕事で薬を飲む前の時期に個人情報を無くして、1ヶ月鬱になって家にいた。あの時は今後どうなるのだろうとヒヤヒヤした。
お母さんは、お母さんである前に1人の精神疾患持ちなの。

本人は否定してるけど、結局生活に支障が出てきて、発達障害がある人にしか効かない薬が聞いたからそれを頼って生活している。
あたしはそこまで分かって、絶縁した。
これまでは母のことしか書いてないけど、知的障害の弟との話だって山ほどある。

努力はした、だけど、優しくて安定している実家や両親というものは、今世は手に入らない。
わたしは私で辛くとも家に助けを求めない、関わらないことでお母さんの負担は少なくなるという側面も絶縁した一つの理由。
私のことは本当に理解できないと言わんばかりの母の様子だったし、私が求めることは母の苦手分野だから。

私も助けを求めないから、あちらも私を助けなくていい、そのかわり、関わらない。
これが、精神疾患が家族を覆い尽くす時、英断な場合もある。

人生でいちばん手に入れたかったものが、死んでも手に入らないのは残念だけど、今回の人生はこんな感じ。

決して軽い気持ちで絶縁したわけではないことは、今一度私自身に再認識させておきたくて頭を整理したくて書いた。

世間ではとても理解されない状況だと思う。それもまた、悲しさや苦しさに拍車をかける。
母を精神科に連れて行った時、医師も母の特性がわかってくれたようだったので、母とあの医者との付き合いが続いていることを願う。

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