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【短編小説】俺はただあなたに(『Love Communication』トリビュート小説)

裸じゃない時も、俺を見てよ。

少しですが、軽度の性的描写があります。

■あらすじ
月に一回か二回、女に呼び出されるのを待っている俺。
体以上の関係になりたいが、彼女には他に想い人がいるようで……。

THE YELLOW MONKEY『Love Communication』
から着想を得た短編小説。

 俺はいわゆる、都合つごうのいい男ってやつなのだろう。
 彼女から連絡が来るのは、月に一度か二度。会えるのは、彼女の体がかわいた時だけ。ことが済んだら彼女はさっさと帰る。こっちからの連絡は完全に無視。
 これを都合がいいと呼ばずしてなんと呼ぶ。
 頭ではちゃんとわかっているのだ。彼女と俺の関係は対等ではないし、続けても未来はないと。
 でも彼女の魅力の前に、俺の理性はあまりに無力だ。
〈今日、会える?〉
 俺を呼び出す時の彼女の声は、今すぐ欲しいって感じで、ぞくぞくするほどつやっぽい。それで俺は前回のひどい扱いもすっかり忘れて、ほいほい出向いてしまう。
 待ち合わせはいつも同じ、駅の近くのチェーンのカフェ。俺は毎回、三十分は早く着くようにしている。彼女を待たせたら悪いというものあるが、悪い虫が寄ってこないようにするためだ。彼女を昼間の駅前のテラス席にひとりで座らせておいたら、何人の男に声をかけられるかわからない。怖いのは、彼女ならその誘いに乗ってしまいかねないことだ。渇きをいやしてくれるのなら、俺である必要はないから。
 彼女は約束の十分前に来た。彼女に気づいてすぐ、俺はカップに少しだけ残していたコーヒーを飲み干す。
「今日はありがとう」
 俺のいるテーブルまで来ると、彼女が微笑んだ。ほんの一瞬、目を細めるだけの、びたところがまったくない笑みだ。でもその目は、内にこもった熱でうるんでいる。それを見られただけで、俺はもう今日来た意味の半分くらいは回収できた気分になる。
「行こう」
 そう言うと彼女は座りもせず、ひとりで先に歩き始めてしまう。俺は手早くカップとトレーを片付けて、彼女を追いかける。
 彼女は後ろ姿ですら華がある。道を歩いているだけで映画のワンシーンみたいだ。けれどあまり見とれていられる時間もない。ホテルに着くまでの数分間は、彼女と会話できる貴重な時間だ。
「最近はどう? 忙しい?」
「いつも通り。変わり映えしない」
「それは仕事で? それとも私生活?」
「どっちも」
 彼女のガードは固い。どんな小さいことでもいいから彼女を知りたい俺を、彼女はひらりとかわす。だが深追いは禁物だ。何せ今の俺は、お預けをくらっているわけだから。
 彼女の体に触れるお許しが出るのは、ホテルの部屋に着いて、彼女が服を脱ぎ始めた時。ようやく彼女の肌に触れられた瞬間は、俺の全細胞が歓喜し、脳がしびれるくらいの多幸感で満たされる。
 つれない態度の彼女も、服を脱ぎ捨てた途端、全身で俺を求めてくる。
 熱っぽい視線で、指や、脚や、舌をからませてくる。
 その瞳に、体に、俺を受け入れてくれる。
 言葉ではなかなか本心を聞かせてくれない彼女だけど、体への要望は素直に伝えてくる。どこがいいのか、もっとなのか、待てなのか。俺は彼女のサインを見逃さず、少しでもいい反応が返ってくれば、ますます張り切って彼女を高みへと連れていく。
 汗ばんだ彼女の肌は、しっとりとした透明な膜に覆われているみたいに見える。サナギから出てきたばかりのチョウみたいに、無防備で、繊細せんさい。これまでの服を脱ぎ捨て、産まれ直しているみたいだ。
 のけぞらせた彼女の細い首を、ひと粒の汗が滑り落ちていく。俺はキスでそのしずくをなめ取った。
 その途端、枕を掴んでいた彼女の腕が俺の背中に回される。かかえこむみたいに、がっちりと。背中に爪が食いこんだ。
「もっと」
 俺の胸に顔をうずめた彼女が、もう一度繰り返す。
 俺はリクエスト通りに腰を振る。腕の中で彼女のあえぎ声が大きくなっていく。
 でも俺には、乱れた彼女の髪の毛しか見えない。
 
 
 シャワーはいつも彼女が先だ。何度か一緒に入ろうとしたことがあるが、毎回「今度ね」のひとことで受け流された。
 交代で浴びた俺がバスルームから出る頃には、彼女の帰り支度したくがほとんど整っている。乱れた髪も、シーツに拭い取られたメイクも、全部きれいになっていて、彼女だけ部屋に入ってきた瞬間に巻き戻ったみたいな不思議な感覚になる。
 だが、部屋に入った時と決定的に違うことがひとつある。
 彼女はもう、俺のことを見ない。
「このあと、時間ある?」
 俺は体を拭きながら彼女に尋ねる。背中はひりひりするので、そっとタオルに水滴を吸わせるだけだ。
「ごめんね。行くところがあるの」
 いつも通りの答えだった。俺としても、言うだけ言ってみた、という感覚に近い。たぶんうそだろうが、信じるふりをする。
 どうやら彼女には、他に想う相手がいるらしい。
 以前、俺がシャワーを浴びている間に、彼女がスマホの写真を見ていたことがあった。彼女と男が顔を寄せ合っている自撮り写真だ。彼女がすぐにスマホを隠してしまったのでちゃんと見たわけはないが、ぱっと見ただけでは記憶に残らない地味な印象の男だった。ついさっきまで俺の腕の中でさんざんないていたのに、その直後に写真を見たくなるほどの男って、どんなやつだ。
 いったいどこの馬鹿だ。こんなに想われているのに。好きでもない男を呼び出さなきゃいけないほど寂しい思いを彼女にさせて、何をやってんだ。連れてきてくれたら、ここでぶん殴ってやるのに。
 彼女も彼女だ。そんなやつ、さっさと忘れてしまえばいい。その方が絶対に楽だ。
 俺なら、彼女に寂しい思いなんかさせない。
 そうこうしているうちに、身支度を終えた彼女が立ち上がった。
「またね」
 彼女はまだかすかに火照ほてりの残る顔で俺に言う。その顔は色っぽいけれど、もう待ち合わせの時のようなときめきはない。単に礼儀として言葉を置いただけだ。
 ここで俺も「またね」と返して、彼女を見送る。そうすれば、きっと、また彼女と会えるから。間男まおとこは引き際が肝心かんじんだ。
 なのに、言ってしまった。
「ホテル以外でも会いたい」
 寂しくなってから呼び出すんじゃなくて、寂しさを感じないくらいそばに、俺を置いてほしい。
 裸でない時も、俺を見てほしい。
 そいつがいなかった分の時間も、俺が埋めるから。
「やめておきましょう」
 即答だった。あなたなら、わかってくれるでしょ? とでも言うみたいな目で、俺を見る。ベッドを出て以来、初めて俺を見てくれた嬉しさも、今ばかりはむなしかった。
 ずるい。
 ふたりのためにはその方がいいみたいな言い方をしているけど、結局それって全部そっちの都合じゃないか。
 そもそも君が俺に優しくしたのがいけないんじゃないか。最初はこっちだって割り切った関係のつもりだったのに。君がそうやって俺を甘やかすから、ダメだってわかっているのに、気持ちが抑えきれなくなった。
 いっそのこと、はっきり言ってくれればいいんだ。
 体以外は興味ないって。
 冷たくして、二度と近寄るなって言ってくれたら諦めもつくのに。
 君なら、このつらさがわかるはずだろ?
 なのに、なんでそんなひどいことをするんだよ。
「俺ならいつでも君のそばにいられる」
 彼女の顔が凍りつく。まずいと思いつつも、止められなかった。
「もう忘れちゃえよ。でないと君が苦しいだけだぞ」
 彼女は何も言わなかった。こわばった顔のまま固まっているが、瞳だけはゆらゆらと揺れ動いている。その目が徐々に赤くなっている気がしたが、確かめるより先に彼女は目を閉じてしまった。それはつまり、俺の想像が的外れではなかったってことだ。
 でも彼女は、俺に何ひとつ説明してくれない。そのまぶたによみがえるのは楽しかった記憶なのか、悲しみなのか、怒りなのか。どんなやつと、どんな事情があったのかさえ、教えてくれない。
 やがて深呼吸をひとつした彼女は、ドアノブに手を伸ばした。
「さよなら」
 目を細めただけの微笑みをひとつ残して、彼女は部屋を出ていってしまう。
 ドアが閉まると、空調のブーンという音が急に大きく聞こえた。
 部屋にひとり残された俺は、ベッドに伸びる。大きくため息をつくと、なんだか笑いがこみ上げてきた。
「やっぱ、ダメかぁ」
 自嘲じちょうは止まらない。笑いすぎて涙が出てきた。
 背中はいつまでも、ひりひりと痛かった。

<了>

Photo by Samantha Hurley
Edited by 朝矢たかみ


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