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荒野の6トン制限標識と謎の橋(山口市阿東町・国道315号脇)

1 遭遇編

道路そのものを楽しむことを第一に考え、何か面白いものはないかなと見回しながら道路を征く。そうすると不思議なことに、大抵は何か出てきてしまうのである。これが日本の道路の懐の深さだと私は勝手に思っている。

山口県東部を南北に縦断する一般国道315号が国道9号と交差する徳佐の交差点、そこから更に北に約10kmのあたりで国道脇に発見された意味不明の状況が、今回のテーマである。

広域図。ピンクの丸で囲った辺りは、国道315号の東側すぐ脇を阿武川が流れる。国道は二車線の快走路で、交通量も少ないので、時折川面なども眺めながら南下していると、明らかに奇妙と思われる状況が目に飛び込んできた。路外に車を緊急停止させ、状況を確認する。

私が車を停めた状況。左の路面が国道315号。そこから脇に逸れて降りていく、橋につながる道路があるだろう。奇妙の片鱗は、すでに見えている。

これが全体図。何かおかしいでしょ?特に、橋を渡った先が・・・。
すぐ終わるので、ゆっくり見ていこう。

橋に向かってスロープを下って行ったところ。
もっとも目を引くのは、「山口市」の表示がある6トン制限の標識である。
黄色い車止めの先は、かつては人一人通れそうな道があった気配がするが、現在は藪に閉ざされている。車止めの先が6トン制限の対象とは考えられない。そうすると、この標識は橋を対象としているのだろうが・・・。
橋は、ねえ。手前側が自動車の出入りがしやすいよう切り欠いてあるとはいえ。

こんな、橋だぞ。
長さは目測20m未満。路面の幅は比較対象物がなくて分かりにくいと思うが、1.5m強といったところだ。とてもじゃないが6トンの重量のトラックが通れる幅ではなく、軽トラ1台がやっとのサイズ感だ。強度としては6トンの加重に耐えられるのかもしれないが、あまりにオーバースペック。
先の写真を見てもらえばスロープから橋の入り口にかけて多くの轍が残っているが、橋の上はほとんど交通量がないのだろう、轍はほとんど見えない。じゃあ橋入り口までの轍は何なのかということになるが、不明である。

銘板など橋そのものの素性が分かる情報は現場にはない。標識に「山口市」とあるので、市が管轄するもので、阿東町が山口市に編入された2010年以降に架設されたものではないか、という推測ができる程度。橋の見た目からは比較的最近できた橋のようなので、推測と外観に矛盾はないと思う。

まあ、そんなことより、気になるのは橋を渡った先のあれですよね、やっぱり。私もあれがなければ、わざわざ車を停めて見に来たりしていない。
あれを、近づいて観察してみよう。

橋を渡りきった先は舗装も途絶えた、荒野。
これほど意味不明な状況にある標識を、私は今まで目にしたことがない。
橋からの直進を通せんぼするように屹立するこの山口市印の6トン制限は、どこの誰に向けられたものなのか?皆さんには分かるだろうか。

標識の右側はこのようになっている。車1台分程度の幅の砂利道が河原の方へ回り込むようにして続いている。なだらかに石を積んだ擁壁の下へ。

擁壁の下には、イノシシ用の罠が一つ。このくらいなら、軽トラの荷台に積んで橋を渡って来られそうだ。他には何もない。道もどこにも続いていない。

標識の左側。右側と同じように回り込んで河原に降りる砂利道と擁壁があるが、こちらには罠は仕掛けられていない。道も何も見えないのは、右側と同じ。
つまり、標識前の砂利敷の場所は、橋以外の他のどの道とも繋がっていない場所なのである。砂利敷の周りは原野で、6トンの重量の車両が通る道など影も形もない。

標識と同じ視点から橋を見つめ、考えた。この名称すら分からない橋は、この6トン制限標識は、何のために生まれ、ここに存在しているのだろうか。まさかイノシシの罠を設置するために架設された橋とは考えられない。
結局、現場では何も分からず、帰宅後に改めて検討することとなった。

2 検討編

私は、まずこの橋の素性を知るべく、山口市管理の橋梁リストをチェックしてみたが、それらしい橋は分からなかった。そもそも正確な地名も分からないので、リストとの照合は困難だったのだ。

次に、地理院地図や航空写真にヒントを求める。

現在の地理院地図でも、この橋は確認できる。
その扱いは橋ではなく、徒歩道である。幅からすれば妥当なもので、6トン制限の徒歩道という笑える状況になってしまっている。
渡った先には道が描かれていないのも現地の状況と合致。
ただし、地図では橋近辺が田となっているが、今の現地は見ていただいたとおりの原野である。かつては田があったということがヒントになるだろうか。
また、橋が跨ぐ川には、何箇所も堰の記号がある。砂防ダムと思われるが、これも関係するかもしれない。
それともう一つ、橋の南西に、行き止まりの軽車道がある。

もしかしたら、こんなふうに道が繋がる予定がある、若しくはあったということを証する未成道の欠片という可能性。

結局、現在の地理院地図からは、橋の用途として、
1 元々は田と行き来するための農道的道路の跡説
2 砂防ダム建設の工事用道路の跡説
3 未成道説
という3つの仮説を立てられると思うが、決め手はなく、6トン制限標識の存在意義も不明である。

次に、航空写真。

1974年ころ 地理院地図

1974年ころの写真。丸で囲んだのが現在橋がある場所だが、その同じ位置に橋が架かっている。現国道315号の対岸は田として整備されているように見える。この写真からは、橋は国道から田へ行くための農道のように見えるが、事はそう単純ではなかった。

2013年 地理院地図

時代は流れて2013年。丸印の位置に橋は存在していない。現地での推論として、現在の橋は2010年以降の架設と考えていたことが裏付けられた。国道315号の対岸は、既に田ではなく原野に見える。

2014年 地理院地図

そして、2014年である。何やら工事が行われている!やはり丸印の位置に橋は存在していない。
さらに、

2014年 地理院地図

この赤い直線を引いた範囲、国道315号の対岸にも道形が見える。
工事用道路だと思われる。

2023年 Googleマップ

そして、現在。問題の橋は存在するが、橋に続く道は存在しない。しかし、冬枯れの季節には、2014年の工事用道路の一部の痕跡が見て取れる。
結局、このように歴代航空写真を並べてみても、はっきりしたことは分からずじまいである。しかし、2014年の工事との関連性は疑われる。銘板もない無骨な橋の姿、不釣り合いな6トン制限など、生活橋ではない、いかにも土木工事のための仮設橋や速成された資材搬入路のような印象を受けるのだ。
では、2014年の工事とは何か。これについては、阿武川氾濫などの被害をもたらした2013年7月豪雨被害の災害復旧・防災工事の一環である可能性が高い。

結局、先に挙げた3つの仮説、
1 元々は田と行き来するための農道的道路の跡説
2 砂防ダム建設の工事用道路の跡説
3 未成道説
はどれも不正解だと思われる。

災害復旧工事のための必要性から架けられが、工事が終わった現在はその役割を終え、時折イノシシの罠を仕掛ける猟師が利用する以外に人通りの絶えた名無し橋。
工事が行われた当時は意味があったが、既にそれも失われた6トン制限の標識。
以上が私の最終答案である。

おわり

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