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尾道かわいい橋散歩 3 そして妄想へ…

これまでの2回、尾道の名も無い(少なくとも名を示すものはない)かわいい橋を見てきたが、最後に紹介する橋は趣が異なる。というのも、この橋は歴史ある神社の参道として、今なお多くの市民に利用され愛されている橋だからである。なぜ敢えてこの橋をレポートするのかは、後に分かる。

尾道市西則末町に烏須井(うすい)八幡神社という地元民に親しまれている神社がある。宮司のご子息と私の弟が同級生だったりする馴染みのある神社であるが、一般的には願い玉というお守りで人気である。観光的な話は私にはよく分からないので、こういうサイトを見てほしい。

地理院地図。ピンクのラインが参道で、その南端に橋がある。
この橋の姿が、これだ。

東側から撮影した姿。御神燈の提灯が結えられた由緒正しそうな石碑に挟まれて静かに佇んでいる。自動車が乗り入れないよう車止めがしてある。親柱は健在。

向かって右手の親柱。宮前橋と名が刻まれている。親柱の存在も、橋名の判明も、本シリーズ初だ。宮前橋、神社の参道にふさわしい名前じゃないか。

左手の親柱の文字は風化してかなり読みにくくなっているが、平仮名で「みやまえはし」と書いてあるようだ。

橋を渡って西側から。こちらの親柱の文字も東側と同じであった。

左右からよく観察してみる。モルタル補修されている所も散見されるが、基本的には石橋である。わずかにアーチ状に撓んでいるが、これがアーチ橋だとは誰も言わないだろう笑。橋脚の一部は相当痛んで傾いており、自動車を通せないのは無理もない。
宮前橋については、もちろん好きな橋ではあるのだが、多くの市民に知られている橋だし、私が語ることはこれ以上ない。

さて、ここからが本題なのだが、なぜ宮前橋を取り上げたかと言えば、それが石橋だったからだ。本シリーズの1と2を読んでくれた方なら分かると思うが、既に紹介済みの名もなき橋も、石橋であった(1の橋は橋脚のみ石造りという変則的な橋であったが、石が素材として使われているという広義の石橋とさせていただく)。

私は散歩しながら、なぜ石橋なんだろうと疑問に思っていた。
なぜ石を使ったのか。道路ファンは(少なくとも私は)こんなことばかり考えながら街を、道を、橋を、隧道を歩いている。
そして、多くの場合、土木構造物というものには何らかの、それは地理的、力学的、歴史的、文化的、民俗的、心理的、様々な要因による必然性というものが存在していると思っている。だから、なぜ石橋を作ったのかという疑問にも、おそらく何か納得の行く正解があるのだと思う。
以下の記述は私の脳内での想像の飛躍であって、確認された正解ではないし、現状確認の手段もない。自由に想像してみる楽しさというのを少しでも感じていただけたら幸いである。

=====以下脳内=====
石橋と対置するものとして木橋を想定したとき、石橋のメリットというのは、その堅牢さによる永続性であろう。石造りのアーチ橋、全国各地にあるめがね橋と呼ばれる橋などは、アーチ構造+石という堅牢さの権化のようなもので、古いものでもまだまだ現役で頑張っている橋が多くある。
では、私が見た石橋は、堅牢だったか?

うん、とっても不安だね!

私が紹介した橋は、お世辞にも堅牢とは言い難い、不安定な見た目の橋である。もちろん経年による劣化はあるだろうが、構造的に単なる桁橋で、堅牢さを志向した設計になっていないように思える。頑丈で長持ちする橋を作りたくて敢えて石を使った、というのは違うだろうと結論づけておく。

それなら木橋でよかったんじゃないか?木橋の材料となる材木は、木造家屋が主流だった我が国ではありふれた素材としていくらでも手に入るし、加工も容易だったのではないか?耐久性は低いかもしれないが、架替えのコストもそんなには高くならないだろう。そもそも、石の加工には石工という技能者を必要とする点で、ハードルが高いだろう。石を使ったのは不合理な選択だったのではないか。

いや、単に不合理な選択というのは土木の世界では除外して考えるべきだ。何らかの理由・優位性があったに違いない。
そういえば、石橋など石造りの構造物に使われる石のイメージは、大柄なレンガのようなブロック状に加工したものが多い気がする。それに対してこれらの橋に使われている石は、ホームランバーのような長細い形状だ。そして私は長細い形状の石を知っている。

墓石か。違う、あれだ。雁木だ。港町の風景を彩る雁木(船着き場の階段状の構造物。階段状なので潮の干満に影響されず船を寄せることができる)、あの石にそっくりだ。
尾道やお隣福山の鞆の浦は雁木の風景が有名ではないか。雁木があったということは、石工もいたに違いない。あるいは、加工の際の端材や不要となった雁木をそのまま用いることができれば、木橋よりもさらに経済的に橋を作ることができるのではないか?港町尾道ならではの素材だ。この線で何か情報はないだろうか?
=====脳内終わり=====

このように考えて少し調べてみたが、尾道の雁木と石橋の関連性に関する情報は、当然見つけられなかった。私の想像が外れているか、今まで誰もこんなことに関心を持ってこなかったか、その両方かだろう。
雁木単体に関してはこちらのサイトでの紹介が興味深かった。
一部を引用する。
「尾道には優れた石工が多かったため、長大で優美な石積み雁木が構築され、港を象徴する風景を形作ってきた。しかしこれら雁木の大半は主に戦後に破壊され、ほぼ絶滅している。」
どうだろうか。戦後という期間がどの程度のものかはっきりしないが、絶滅したと思われた雁木の中から状態のいいものが移設され、橋として生かされていたというストーリーが思い浮かぶではないか。
この想像どおりであれば、あの小汚くて危険な橋も往時の港町の残滓として愛おしいものに思えてくるだろう。

以上、特に根拠のない妄想にお付き合い頂き恐縮である。妄想にふけってみるのも道路を楽しむ一つの方法であるということくらいは、伝わってるといいな。

おわり



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