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国道187号ドライブガイド3 新晩越・犬戻トンネル旧道編 後編

前回は晩越隧道を東から西に抜け、ほぼ90度の右カーブを進んだ先にある石碑を発見したところで終わった。今回はその続き。

これがその石碑だ。高さ2mを大きく越えるような大きな石碑。道路開通記念碑のようなものを期待したのだが、その表面には・・・
「?翁水力電氣功績碑」
一番上の文字だけは残念ながら現地で解読できなかった。
この碑文から明らかなとおり、期待された道路開通記念碑のようなものではなく、水力発電関係者の功績を称える顕彰碑であるようだ。

揮毫者は「錦鶏間祗候従三位勲二等髙岡直吉」。よく読めたなとお思いかもしれないが、実は裏がある。

文字通り、石碑の裏。
狭いスペースに体をねじ込み、無理な体勢ながら上下2回に分けて文章全体を撮影してみた。裏側は風化が進んでおらず、文字が鮮明に見える。先程の揮毫者も裏を見れば一目瞭然だったのだ。
ここで碑の中身に深入りするつもりはないので、興味がある方はこちらの水力発電所ギャラリーさんを見てほしい。碑の中身から関連情報まで非常に詳しくまとめられている。

余談だが、探索後に興味を持ってネットで調べ物をしようと思うと、上記水力発電所ギャラリーのような個人サイトや個人ブログに行き当たることが多い。こうしたサイトは多くが10年、20年以上にわたって存続している、マニアの情熱の塊のようなサイト達である。さすがにマニアック過ぎて情報が見つからないだろうと思うことでも、やたらと詳しいサイトがあったりして、そういう先行研究に大いに助けられたりする。逆に、私が取り上げたものを扱う他サイトがないときなどは、先駆けとなった喜びを感じたりもするものだ。
インターネットの大海のほんの片隅に存在する、風変わりな情熱に裏付けられた知の断片たちの中には、その深さにおいて他の追随を許さないものが無数にある。そこにこそ、最近何かと話題のAIではたどり着けない、人間だけの楽園が広がっているようにも思う。
余談終わり。

石碑を過ぎると、道は高津川沿いにゆるくカーブを描きながら、現道の新晩越トンネルと犬戻トンネルの間の橋梁区間と立体交差する。
橋梁の緑が目に鮮やかである。
この辺りの旧道は、見ての通り二車線幅のきれいな道路という以外の何物でもなく、取り立てて語るべき内容はない。旧道とはいえ現役の道なのだからそれでいいのだ。
現道との交差を過ぎ、北へ進むと、やがて橋がある。
地図では76.7という水準点の南に小さな橋の記号として描かれている橋が、これだ。

橋を南側から見た写真と親柱。親柱には「かじやだにばし」と「鍛冶屋谷川」とあった。おそらく北側の親柱には、「鍛冶屋谷橋」と「竣工年」の記載があるはずだ。さっそく行ってみる。

はい。
昭和9年3月!けっこう古い!
さきほどくぐってきた晩越隧道の竣工年が昭和11年なので、ほぼ同時期と言っていいだろう。私が今通っている旧道は、昭和9年~11年ころの間に整備されたものだと推認できる。

この鍛冶屋谷橋だが、とにかく橋上からの眺めが美しい!眼下を流れる高津川は、一級河川の中でも唯一、支流も含めてダムがない川として有名なんだそうだ。その水質は何度も日本一に輝き、清流・高津川の名を世に知らしめた、らしい。私はあまり全国の河川事情に詳しくないため、しまね観光ナビの記述をまるっと使わせてもらった。
ともあれ、そのような知識がなくとも、目の前の川の透明度が非常に高く美しいことは、見れば分かる。この川の景色は、100年前とほとんど変わらないはずだ。

そして、景色だけでは終わらないのが私。橋南側の道路脇にこんなものを発見した。

ちょうど日陰になって目立たない場所に、堂々たる「島根県」。
国道187号の指定は二級国道時代の昭和28年まで遡るのであるが、国道指定以前は県道であったという道が多い。この「島根県」は、県道時代の遺物ではないかと思う。

そしてこの存在感あふれるお地蔵様である。風化しきって顔などなくなってしまっているが、部分的に新しい石に置き換わっていたり、金属製の器状のものがまだきれいだったりして、大切にされている雰囲気がある。
見ての通り相当古いもので、県道時代、あるいはそれ以前からあったものかもしれない。
私はそっと手を合わせて、この後の旅程の無事をお願いしておいた。

以上、この旧道で印象的だった隧道と橋を中心としたレポートだった。
鍛冶屋谷橋を渡ったあとは、左側に展開する高津川と山々が織りなす景色を眺めながら車を走らせ、何の問題もなく現道に合流を果たした。
この旧道部分は、長いトンネル2本で地形をショートカットする現道と比べれば冗長な線形であるが、十分な道幅と絶景、そして古い道路構造物というドライブを快適にする要素に満ちている。現道が安全と便利さを得るために捨て去ったモノたちが私には愛おしい。
そう知ってしまった私は、今後この区間を通る際、もう二度と現道を通ることはないのだろうと確信を持って予想しているところである。

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