外見至上主義の個人的追憶
「自分の顔、何か変になってる…」
鏡を見て、小学2年生の時衝撃を受けた。
自分の顔が、思っていたイメージとかけ離れていたためだ。
成長に伴い、目や輪郭の雰囲気が変わり、自分だと思えなかった。
「何で人間に生まれちゃったんだろう…」
と鏡の前でつぶやく小学生時代だった。
見た目による格差は、女性にとって肌身で感じるものだ。(今の時代、男性も同じなのでは。)
「見た目が良い」
事により、性格が最悪だとしても、クラスのヒエラルキートップに君臨されてしまうと、いじめ問題の多発や、学校の治安悪化に繋がった。中学校の治安は最悪だった。
顔の作りで人生が大きく左右される人間社会に益々嫌悪感を持った。
大学に上がり、化粧をするようになった。
最初は自分に似合うメイクが分からなかったが、練習した。
「可愛い方が得」
私も一番じゃなくていいから、他の人から少しでも可愛いと思って欲しい。
太りやすいので、ジムに通い、食事制限した。
大学2年生の頃は、自分のメイクやファッションの方向性が定まり、自分史上一番可愛くなったと思う。(あくまでも自分史上だが。)
すると、周りの対応が変わったのだ。
「春日可愛くなったね」
「高校の時と比べて綺麗になった」
可愛らしい初対面の女の子から、ペアを組もうと誘われたり、友達関係において困る事がなくなった。
楽しい学校生活を送れた事には感謝なのだが、自分の中にある大きな違和感を拭う事ができなかった。
「外見で付き合う人を決める。
外見で判断される。
内面を見てはもらえない。」
ショックだった。何故なら、自分は地味で目立たなかった昔の自分が忘れられないからだ。
昔の自分も、精一杯勉強やら何やら日々頑張っていた。
そんな時の自分は無視され、時にいじめのような事をされ、人間って本当に不平等だ。
精神疾患を発症し、そんな時できた友達は誰もいなくなった。
あからさまに避けられ、二度と会わない、そんな人もいた。
私はほっとした。
これが人間の正直な姿なのだ。
歳を重ねた事と、服薬の副作用で体重が増え、若かりし頃の面影は全くなくなった。
でも、今の自分が自分史上一番好きだ。
紆余曲折したが、やっと本当の自分に会えた気がする。
見た目関係なく側にいてくれる家族、数少ない友人を大切に、日々生きていきたい。
こんな長文を読んでくれたあなたにも、深い感謝と愛を送りたい。
お読み頂きありがとうございました😊
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