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第33話 喧嘩

 廊下でのひと悶着の後、私はヤトを抱きながら紅牙組の大広間にいた。壁には何本もの日本刀が飾り付けられていて、まるで決闘場のような重々しい空気が流れている。そんな空気の中心にいるのが、焔だった。いつものような冷静な表情を浮かべているものの、その目にはかすかな怒りが宿っていた。

 そして、そんな彼と向かい合う形で立つのが、紅牙組の若頭、財前。

 財前は腰に差し込んだ刀を鞘ごと抜き、別の男に渡す。拳と拳の勝負、ということなのだろう。二人の周りを、私たちを含め紅牙組の組員たちが取り囲んでいる。もちろん、この場にはあの花丸もいた。

「喧嘩って?大丈夫?何があったの?」

 花丸は困惑した表情でヤトに尋ねる。今はちょうど昼時。きっと昼食の準備をしていたのだろう。私と同じく、白い割烹着に身を包んでいる。

「さあ。焔どうしたんだろう。財前からあんなに喧嘩をせがまれても受けなかったのに。凪は知ってる?何があったのか」

 ヤトの言葉に私は苦笑いをした。焔からしてみたら相手の発言に乗せられたという感じだろう。そう考えると、申し訳ない気持ちになる。私が財前のパスケースを拾って余計な質問をしたばかりに、まさかこんな大事になるなんて…。だが、そんな私を察してか、ヤトがこう言葉をかけてくれた。

「大丈夫。焔、強いもん。負けないよ」

「喧嘩も強いの?焔さん?」

 私の質問に、ヤトは自信満々にこう答える。

「うん。肉弾戦で互角に闘えるの、多分丹後くらいじゃないかな」

 丹後…。SPTで焔と同じ幹部の男。私のおばあちゃんと因縁があるようで、私への当たりもキツイんだけど…。

「丹後さんも喧嘩強いの?」

「かなりね。強いっていうか、怪力っていうか…」

「へえ」

「あ、始まるみたいだよ!」

 花丸の声を合図に、私とヤトは一斉に中央を見る。周りでは組員たちが若頭、財前に熱いエールを送り続けていた。

「やっと、やっと喧嘩ができるぜぇ。俺はなあ、お前と会った時からずっと白黒つけたかったんだ」

「どういうことだ?」

「俺くれぇの男になるとな、相手の力量がだんだんわかってくる。あんたは合格だ。つまり、かなりの強者ってことだ。あんたみたいな強い男を見るとな、俺の中の喧嘩魂に火が付いちまうのよ!」

 財前のボルテージは完全に上がっていた。どうやら、財前は根っからの喧嘩好きらしい。財前の言葉を受けて、紅牙組の男たちも熱狂している。

「俺の分析によると、あんたは内に闘志を秘めるタイプだ。俺はな、そういう男の感情が爆発する瞬間っていうのが堪らなく好きでよぉ」

 財前は首を軽く傾けながら、楽しげに語る。酒を飲んでいるせいか、若干ふらついているが、ギラギラとした闘志は揺るがない。

「まあでも、結局のところ俺が勝つんだけどな。お前は俺に勝てない、なぜなら―」

 そう得意げに財前が右人差し指を立てた瞬間、突如として繰り出された焔の鋭い正拳が財前の頬を捉えた。

「ぶふぉぉお!」

 思いっきり後ろに吹き飛ばされる財前。突然の出来事に、私もヤトも、花丸も、見ていた紅牙組の男たちも、全員言葉を失っていた。一方の焔は冷静に立ち尽くしている。そして、倒れ込んだ財前の方を向きながら、こう静かに告げた。

「どうした?まさか、これで仕舞いか?」

 焔の言葉が聞こえたのか、財前はゆっくりと起き上がる。その表情は怒りに満ちていた。

「て、てめえ…」

 そして、次の瞬間、周囲の紅牙組の人たちからもブーイングの嵐が焔に降り注ぐ。

「突然攻撃するなんて卑怯だぞ!」

「正々堂々っていう言葉、てめぇ知らねえのか!?」

 次々に飛び交う怒号。だが、焔は表情ひとつ崩さず、こう答えた。

「正々堂々というのは、私の中ではスポーツなど、ルールが定まった枠組みの中で成立するものだ。悪いが、日頃からそんなことは関係ない連中とばかり闘っているものでな。正々堂々などという綺麗ごとは、私には通じないのだよ」

 焔はゆっくりと、財前に歩み寄る。

「それに、君はさっき私の連れに大変な無礼を働いた。そんな輩の口上を長々と聞けるほど、私はお人好しではない」

 瞬間、私はキュンっと胸が高鳴るのを感じた。

 …いや。キュンっとしている場合じゃないんだけど…。

 私はブンブンと頭を振って、再びキッと前を見る。

「言っておくが、一応配慮はした。君は喋りながら四回も隙を見せた。一回目は『ずっと白黒つけたかった』のあたり。二回目は『喧嘩魂に火が付く』のあたりだったか。三回目はその後、少し首を傾げた時。話が終わるまで待とうとも思ったが、さすがに埒が明かないのでな。四回目が今の正拳だ。つまり実際のところ、君はもう四回殴られているのだよ」

「な、なにいい!」

 冷静な焔の分析を聞きながら、私はあることを思った。SPT会議の時、そして私との稽古の時。こんな風に焔が饒舌になる時はいつも…。

「なんか焔さん…」

「絶好調って感じだね」

 私とヤトは、顔を見合わせて笑う。彼がこんな風に余裕を見せる時は、間違いなく状況を掌握している時だ。さらに、焔の口上は止まらない。

「とはいえ、私が知っている連中なら、一回目から確実に殺しにかかっているだろうな。そう、例えば…ミレニアとかな」

 ミレニアの名前が出た瞬間、紅牙組全員の空気がガラリと変わった。一人ひとりの顔を見ると、表情が凍っていたり、怒りを滲ませている者もいる。

 これは一体…?紅牙組はミレニアと何かあったのか?

 そう思いながら大広間の中央を見ると、財前がゆっくりと立ち上がるところだった。

「おもしれえ。本気で殺しにいくぞ、この野郎!」

 次の瞬間、財前が焔に向かって思いっきり駆け出していた。禍々しい殺気だ。財前の大きな掛け声が周囲にビリビリと響く。あまりの勢いに、私は足がすくみ、つい目を閉じてしまいたくなる。

 だが、目を閉じる前に決着はついていた。焔は大きく足を踏み込んだかと思うと、財前の顔面にとどめの正拳を食らわせていた。

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