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#6 椅子に座って本を読む



去年の今頃、私は病みに病んでいた。

20歳を迎えたことに絶望していた。

思い切って電話をかける。
「9月に20歳になったんですけど」
「まぁ、おめでとうございます」
「ありがとうございます。でも、このまま大人になるのが怖くて。上手く生きていける気がしなくて。」

カウンセラーの方に泣きながらそんなことを言ったような気がする。
当時(と言ってもたった一年前)の私は、誰にも手がつけられないくらい、凝り固まった考え方の人間だったように思える。
全てを善悪で考え、そうするべきかしないべきかで判断し、価値のある人間になることを望んでいた。
人に優しくするけど、それは本当に優しい心が存在していたわけではなくて、「人に優しくするべき」であり、それが正義だと考えていたからだ。

そこから何度か、保健室に通い話を聞いてもらった。そのうち自分がそんな考え方をするようになった原因にも気づいた。通いはじめてから2ヶ月ほど経ったとき、次の予約の日の天気予報が大雪となっていたので、カウンセラーの方に「雪で交通機関が止まると思うので、予約をキャンセルする」とメールしたきり、保健室に通わなくなってしまった。

それから少しの間、バイトもせず家に篭った。
今考えれば、お金もなく外にも出ず、本当に何をしていたんだろうか。
今の私なら「お金ないからバイト探そ!」となるはずだけど、そうしなかったということは本当に、そうできないくらいだったんだと思う。

春が来て、少しずつ調子が戻った。バイトも始めた。そこから私は、本を読むことにした。

私は元々の性質上、自分の考え方以外、他の考え方が思い浮かばない。
「普通はこう考えるでしょ?他にどんな考え方があるの?」といったように。
でもそれだと、とっても苦しい。とってもとっても辛かった。
だから本を読んで学ぶことにした。

最初のうちはnoteに読書感想文を書いていたけど(マジで少ないですが投稿してますので読んでいただけると嬉しいです)、就活やバイトで時間がないのと、自分は文章を書くより読む方が好きで上手く書けなくて、書くのをやめてしまった。
しかし今でも読書は続けている。

「本棚を見るとその人の性格がわかる」というのをよく聞いたことがあったけど、その通りだと思う。
姉の本棚には、ミステリーが多い。高確率で誰かが死んでいる。
しかし読書を始めた私の本棚は、姉と全く違っていた。ここでわざわざ説明はしないけれど、そのかわりこれからもちょくちょく本を紹介していけたらいいなと思う。

最近読んだ本を紹介する。

チェ・ウニョンさんの「わたしに無害なひと」



短編集だがどれも良かった。
特に好きなのは「砂の家」

好きなシーンは、主人公の女性とその女友達モレが家で料理を作って食べた後、紅茶を飲んでいるときのなにげない会話だ。

「二人で一緒に暮らせばいいかも。将来は二人で暮らそう」
「私は男の人と暮らすつもりだけど」
「男の人とは恋愛だけにしてさ、私と暮らそうよ」
「そっちの態度次第かな」
「本気で言ってるんだけど。私、頑張るから」
「わかった。一緒に暮らす男の人がほんとにいなかったら、そうしようかな」
「それ、社交辞令じゃないよね」
「彼氏がいるのはそっちのくせに、なによ。そんなこと言って、その人と結婚しちゃったりするんじゃないの」

この会話の、どこが好きか伝えるのは難しいだろうか。
女性同士の友情が、確かに強く存在するのだと、保証してもらえた気がした。

多くの女性が、小学校でも中学でも高校でも、普段からずっと一緒にいるのは同性の女の子の友達なのではないだろうか。(男の子に混じってサッカーなどをする活発な女の子もいると思うし、それはそれで良いと思いますが)
でもいつしか、その友達は彼氏を作り、だんだんと付き合いが薄れていく。
私は心の中で思う。
そんな彼氏より、私と仲良くしてようよ。私の方があなたと長く一緒にいたじゃん。

どうして子供の頃から途切れることのなかった同性同士の友情より、たまたま出会って一瞬燃え上がった異性との愛の方が美しいものとして評価され、当たり前のように人生を共にする相手に選ぶんだろう。男の人とは恋愛だけにして、生活は女友達とする。現実的にはないのかもしれないけど、そんなのが許される世界になったなら、楽しそうだなと考えた。


いろんな方が読書のいいところを挙げているけど、私が挙げる読書の最も良いところ。
こんな考え方もあるんだ。私もこういう考え方してみてもいいかもな。と思えるところ。

これからも本を読み続けることをやめないと思う。

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