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目の前の掘ること、当たり前の閾値をあげること、そして車輪をまわすこと

大学受験、お疲れ様でした。

受験生のみんな、受験勉強お疲れさまでした。私が運営する武田塾刈谷校では数年ぶりにコロナで開催できていなかった「受験生を送る会(お疲れ様会)」というものをさせていただきました。日程が合わなかった子に向けて言葉を送ります。

この厳しい受験状況の中、最後まで諦めず頑張ってくれました。受かったのは本人の努力、落ちたのは塾のせいという言葉がありますが、本当に本当にみんな頑張ってくれたと思います。

でも、それだけではありません。後に詳しく書きますが、大学受験は統計上、高校入試と比べ物にならないほど狭き門です。全員が第一志望に合格した訳ではありません。今年はやりきった、とまだできたという気持ちが混在して胃が痛いのがこの時期の受験指導者の率直な悩みです。

思い通りの受験ができた人、出来なかった人、いろいろいらっしゃるとは思いますが、この日は、受験勉強の労をねぎらおうという思いで開催させてもらっています。節目節目で、自分を振り返るのは結構大事なことだと私は思っていて、希望の大学に進学する、希望の大学ではない、もう一年頑張るといった、どんな人でも自分の受験というものを総括することが非常に大事だと思っています。

大学受験を通じて学ぶことはとても大きいと思います。大学受験で春の第一志望を10ヶ月後に受験できる人は4%です。つまり、1クラス40人のうち、1人か2人しか受験することができません。96%の受験生は夏以降に第一志望を変更しています。また、実際に第一志望に合格するのは追跡調査で、約1.3%、つまり2クラスで1人だと分かっています。その意味で、大学受験というものは多くの人にとって挫折と現実を突きつけられる通過儀礼になっているのです。だからこそ、学ぶことが多いのです。

大学受験で学べること

大学受験で学ぶ大きなものは2つあります。

1つ目はやりきるということです。もう1つは努力の経験を積むということです。

「今やりきる」から「まだ本気出してない大人」にならない

大学受験のみならず、受験生の身に降りかかるすべてのことは、「自分の勝ち方を知るための経験」だと私は思っています。一生懸命やらなければ、自分の向き不向きはわからないものです。まずは、目の前の土地をすべて掘ることが大切です。もしそこに金塊がなければ次の土地を採掘すればいいのですが、ここで、目の前の土地を掘り尽くさないまま次の土地へ進むとしましょう。すると、いつまでたっても「もしかしたらまだ、あの場所に金塊があるかもしれない」と気になって、前の土地と、新しい土地を行ったり来たりすることになります。

そうなると「まだ本気になってないだけ」人間の完成です。自分が何者かわからずに、つまり、何が向いているとか、何に向いていないとかわからずに根拠のない万能感に支配されて努力をしなくなります。一方、やりきって何もなかったら、心置きなく次の場所を掘りにいけます。それはつまり、自分の勝ち方をみつける、ということにつながっていきます。これはどうやら違ったらしい、向いていなかったと考えることができます。勉強だけじゃないものさし、それは例えば主体性だったり、コミュニケーション能力だったりするのですが、そういったもので戦っていこうか、と考えを改めて持つことができるでしょう。

挑戦の結果、得られるものに成功と失敗があります。しかし成功も失敗も客観的にみれば、単なる経験に過ぎません。それはちょうど、成長と退化がただの変化と同じことです。挑戦の結果得られるものは、自分を知ることの経験であり、仮に失敗というものがあったとしても、それは将来の成功のために必要なステップに過ぎないと私は考えています。アランという思想家の『幸福論』という本に「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである」という有名な一節がありますが、私も幸せになるのは意志の力なのだと感じています。この言葉はみなさんが悩んだ時に心が少し軽くなるのを手伝ってくれると思います。

当たり前と努力のレベルが上っている

2つ目は、努力の経験を積むということです。みなさんは受験を通じて努力の仕方を身につけました。また当たり前のレベルも上がったと思いますし、それに伴い「努力」と呼べるレベルも上がったと思います。今のみなさんは一日10時間、机に向かえと言われても、時間があれば出来てしまうでしょう。

目標を決めること、そしてそれに向かって努力すること。今の自分の延長線上には理想の目標はありませんから、自分を変えていかなければなりません。そうでなければ目標を変えるしかありません。自分を変えるとは、なにか。それは日常茶飯の自己規律、簡単にいえば、生活習慣を今の「自分らしく」ではなく、理想の「自分らしく」に変えていくことだったはずです。いきなり結果は良くなりません。変わるときは一瞬ですが、変わるには時間がかかるのです。努力の本質はただがむしゃらに頑張るだけではありません。環境を整え、精神力を使わないように仕組み化し、自分との約束を守ることが継続のコツでしたね。努力をするときはやる気を出すのではなく、やる気がなくても回る仕組みを用意することが大事でした。その経験を積んだみなさんは、努力の仕方を学んだと言えるでしょう。

大学受験が終われば、そこで得た知識の大半は使わなくなります。正確には、それを使わない人生も選択できるようになります。ただ、この「努力の仕方」言い換えれば「目標達成の技術」は今後の、資格試験、就職活動、昇進試験、その他いろいろな個人的な挑戦にとってかならず便利な道具となってくれるはずです。本気になること、本気のなり方をみなさんは一回経験しているわけです。みなさんはそれをなぞればいいのですから、ゼロからではありません。また自分で「努力」と思うレベルも上がっています。当たり前と思っていることにストレスは感じませんから、振り返ってみて、努力を努力と思わなくなっている自分に気がつくでしょう。

あなたの経験は言葉になり、いつか誰かの傷をかばう

そして、もう一つみなさんにお伝えしたいのは、経験はそれだけで、誰かにとっての大切な人になる権利となる、ということです。私はかつての職場で心を病み、周りを憎み、社会を憎み、逃げるように会社をやめたことがあります。そんな時、腰掛け(次の仕事までのつなぎ)のつもりで講師として働いていた塾で、何気なく私が言った一言で、生徒がポロポロ泣き始め、「その言葉を待っていました」と言ってくれたことがありました。私はびっくりしました。なぜなら、私は何を言ったかさえおぼえていないぐらい、自分にとって普通のことを言ったからです。私はそのとき、社会を恨んだ「あの時のせいで」が「あの時のおかげで」に変わり、そして今、みなさんの前に立っているのです。私にとって辛い経験でしたが、私が苦しんだ日々は、誰かの心を救う一言になっていたのです。もちろん、いつも私の言葉がみんなに響くとは思っていません。しかし、あなたの言葉なら届くかもしれないのです。あなたにはあなただけの経験と言葉があるのです。あなたの言葉を待っている人が必ずいるのです。

挑戦をすれば悩むのは当然です。なかなか一歩は踏み出せない。そんな時、あなたのひとことで一歩を踏み出せるかもしれない。英語は早くやっておけ、だったり、あと一ヶ月早く勉強しておけば、だったり、振り返ることで事実に経験と解釈が乗り、あなたの言葉に深みがでます。一年後、「あなたのおかげ」でとなるかもしれない。もし周りで勉強で困っている方がいたら受験相談、勉強相談を勧めていただけたら嬉しいです。いつもどおり、真剣に相談に乗ります。

ご縁があるからあなたは大きくなれる

籾は手の上に置いたままでは1年後も籾のままです。しかし、それを土に埋め、水を与え、光を当てることで、稲となり、米となります。籾は、土と出逢い、水と出逢い、光と出逢い、豊かな実を実らせます。きっと人間も同じなのだと思います。人と出逢い、芸術と出逢い、思想と出逢い、豊かな人間性となっていくのではないでしょうか。人もそういうご縁で豊かになっていくのだと思います。

今日のお疲れ様会でも学ぶことは多かったと思います。初対面でも仲良くなる人はどんなきっかけで話を振っていましたか。どんな話が盛り上がりましたか。どうやって盛り上げていましたか。これからは「勉強」の範囲が机の上から「世界」にぐっと広がります。次は社会人、そう考えると、身の回りには「勉強」が溢れていますね。不安かもしれませんが、幸せになるのは意志の力です。ぜひ、大人になるのを楽しんでほしいと思います。みなさんならきっと出来ます。

強さと優しさの両輪を回そう

最後に、個人的な願いではありますが、このようなご縁と教育の機会を惜しみなく与えてくださったご家族の方に感謝してほしいと思っています。自分のためには真の力は出ません。自分ではない誰かのためにこそ、真の力は出せます。体調が悪くてもお仕事をしてくれたり、送り迎えをしてくれたり、ご飯を作ってくれたり…そういうことは「当たり前」ではありません。今、みなさんが逆の立場ならできるでしょうか。そう考えると、「有り」「難い」ことだとは思えないでしょうか。当たり前ではありませんね。他人のためにそこまでできますか。「そうで有る」ことは「難しい」でしょう。ありがたいからありがとう、です。

車輪を想像してみてください。右の車輪と左の車輪が車軸で繋がっています。車の前輪を想像してみてください。車輪はどちらかが大きいと、同じところをぐるぐると回ってしまいます。右の車輪がとても大きいと真っ直ぐは進めませんね。ひとつひとつの「当たり前」を「有り難い」に変えていくことで、勉強や仕事ができるという「強さ」だけでなく、思いやりや感謝にあふれる「優しさ」も大きくしていってほしいと思います。強さと優しさの2つの車輪で、「自分らしく生ききる」という目標に向かってまっすぐと進んでいってほしいと思います。

みなさんにお伝えしたい言葉はまだまだあるのですが、乾杯と餞別の言葉は短く、という因習に従い、ぜんぜん短くない鼻向けの言葉とさせていただきます。

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