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[私がみたTDR史②]ソアリン、年越し、そしてコロナ…TDRが音を立てて崩れていく

この「私がみたTDR史」シリーズは、2018年から執筆現在までの東京ディズニーリゾートを、シーズンごとに私の記憶を基に振り返るもの。
(①はこちらから)

第2回は、19-20シーズンの東京ディズニーリゾートについて筆を進めていく。

伝説の35周年が終わり、ディズニー界隈の雰囲気は(私含め)一気に暗くなった。
それでも、19-20シーズンは35周年の勢いを失わないようにOLC側も尽力していた印象が強く、シーズン終盤には35周年を思い出させるかのような活気を取り戻していた。

あのウイルスが全てを破壊し尽くすまでは。

暗黒期

35周年が終わり、新生活を迎え、私は第一志望だった高校に進学した。

ふつう、新たなライフステージの幕開けとは、期待と不安が入り混じったドキドキ感に溢れるものであろう。

私はというとー絶望の淵に囚われていた。
35周年終了後の、フェイスデザインの変更。

ミッキーマウスに関しては、声も、顔も、私が目を輝かせたかつてのものとはかけ離れた何かに変容しておりー頭では必死に"ミッキーマウス"と認識しようと努めていても、心がそれを許さなかった。

変更された瞬間、心が壊れた音を聞いて初めて、私はこんなにも東京ディズニーリゾートに対する熱量がミッキー、ミニーに強く依存していたことを認識した。

東京ディズニーリゾートはイースターを迎え、東京ディズニーランドではお馴染み「うさたま大脱走!」、そして東京ディズニーシーでは新たに「Tip-Top Easter」を公演していた。

私はディズニー・イースターが好きだ。
長い長い冬を抜け、ずっと待っていた春の訪れを全力で祝う。

新生活というのは何かと不安定になりがちだけれど、イースターの曲を聴いていると、自然と背中を押されたような気持ちになる。

それでもこの時は、幾ら新規イースターの様子をインターネットを通じて覗いても、全くといって良いほど心が動かなかった。

「Tip-Top Easter」にて新たに登場した「うさピヨ」を見ては、(大変失礼ながら)何だか煽られたような気分がして、本当にダメだった。

高校では、クラスに同じ中学の友人が存在せず、高校序盤の振る舞いが3年間を決める死活問題となっていたから、明るく振舞うように努めていた。

それでもーふとした時に自分の心に耳を傾けると、とても冷たい音が聞こえてくる。

そんな心情で始まる高校生活だった。

夢を乗せて、人生を乗せて

高校生活はハッキリ言って死ぬ程忙しかった。

授業の難易度が跳ね上がり、課される課題の量が尋常ではなく、また部活動も本格的に始まり…毎日を自転車操業のように何とかこなしていく。

でもそんな喧騒に揉まれる日々は、暇さえあればネガティブな思考が浮かび上がる当時の私にとっては好都合だった。

この頃の東京ディズニーリゾートは、とにかく裏側のテレビ取材を積極的に受けていた印象がある。

深夜清掃の哲学、ショーパレのペースを司る責任…かすかに内容を覚えている。
このような方針を、35周年終了で離れたファンを取り戻す戦略だとして(ある種)批判するDオタも少なくはなかったがー私はというと、意外にもそれらの番組を視聴して心が再び動き出しているのを感じていた(これが本当に戦略の上で起きた現象だとしたら、OLCに対してもはや恐怖を覚える)。

そんな中、夏休みに入り学生生活がひとまず落ち着いたという事で、家族から東京ディズニーリゾートに来訪することを提案された。
新しく出来た「ソアリン:ファンタスティック・フライト」に乗りたいらしい。

私は正直そんなに乗り気ではなかったのがー食わず嫌いも良くないと思い、了承した。

旅行前日、テレビではまたしても東京ディズニーリゾートの裏側に関する特集が報道されていた。

「ソアリン:ファンタスティック・フライト」のスーパーバイザー(女性)に密着している内容。

そんなに報道時間が長い番組ではなかったのだが、私は今まで見た東京ディズニーリゾートに関する番組の中で、この回が最も心を動かされた内容だった(これを超える特集、期待しています)。

「ゲストの皆さんが時間をみて現実を思い出さないように、腕時計は内側に付けているんです。」

そんなプロ意識のある彼女でも、オープン前という事もありトラブルに見舞われ、密着中に苦悩を抱えてしまった。

そんな彼女は仕事で行き詰った時いつも、キャストのみが入れるソアリンのテラスにひとり向かい、当時公演されていた花火「ディズニー・ライト・ザ・ナイト」を鑑賞するという。

その下からは、ソアリンのオープンを待ち望んでいるゲストたちが、楽しそうに花火を見上げている様子が伝わってくる。

普段私たちに笑顔を振りまいているキャストさんたちの裏には、それぞれの人生があり、それぞれの苦悩を抱えている。

その全てを乗り越え、オンステージに立っている。

心に色が戻ったような気がした。


翌日、私はソアリン:ファンタスティック・フライトに乗車した。

驚きと、興奮と、感動が一気に押し寄せた。
この場所で再びこの感覚を味わえることが何よりも嬉しかった。

乗車後に訪れる壮大な拍手。これはーとんでもないものがこの場所に出来てしまった。

"皆さんのイマジネーションがドリームフライヤーを空に舞い上がらせ、素晴らしい夢の旅に連れて行ってくれるでしょう。"

きっと、ドリームフライヤーが乗せているのは、私たちゲストの夢やイマジネーションだけではなくー関係者たちの苦悩や人生も含まれるのだろう。

私はそういった意味で、ソアリンに乗車した時は今でも拍手を送っている。

夢を乗せて、人生を乗せて、今日もドリームフライヤーは高く飛び立つ。

良い年を

それからというもの、私はTDRを再び追い始めた。

以前はミッキー、ミニーというキャラクターのみに傾倒していた自分の関心を広げ、ショーパレ全体を俯瞰して捉えたり、BGSやアトラクション等今までさほど深く捉えていなかった分野についても枝葉を伸ばし始めていた。

ハンガーステージで多くの感動を呼んだ「ソング・オブ・ミラージュ」。
爽涼鼓舞から6年振りに行われた城前ステージショーである「オー!サマー・バンザイ!」。
多くのディズニーファンを虜にし、長年の歴史に幕を閉じた「ワンマンズ・ドリームⅡ ー ザ・マジック・リブズ・オン」。

その全てがかけがえのない思い出となった。

高校生活に忙殺されながらも、隙間時間を見つけてはディズニー界隈に浸る。
さらに高校では今まで出くわさなかったDオタの同級生、先輩と出会い、ディズニー愛を語り合った。

そうこうしているうちに2019年も終わろうとしていた。
私はこの年、人生で初めて東京ディズニーリゾートで年越しを迎えることになった。

「ニューデイ、ニュードリームス」公演前、メディテレーニアンハーバーでは今年1年のショーパレを音源で振り返っていた。

音源を聴き、メディテレーニアンハーバーを眺めながら、今年1年を振り返る。

ディズニーに絶望し、ディズニーに感動し、ディズニーを愛した1年。
高校生活にも慣れ、気の合う友人も出来て、人生が着実に前に進んでいる感覚があった。

"新しい日が始まる時、
新しい夢がやってくる。
その夢を胸に、
新しい一歩を踏み出そう!"

ニューデイ、ニュードリームス

2019年。
涙で枕を濡らした日も確かにそこにはあったけれど、「ソアリン:ファンタスティック・フライト」に乗車してから、私は新しい一歩を踏み出した。

2020年は、きっと、もっともっと良い年になるのだろう。

公演後、ヴェネツィアン・ゴンドラで行っていた撮影会でゴンドリエのお兄さんに言われた言葉が強く印象に残っている。

ハッピーニューイヤー!
2020年はオリンピックイヤーですよ!最高の1年にしましょうね!

…これが皮肉に聞こえてしまう未来が嫌いだ。

時が止まった日

2020年を迎え、東京ディズニーリゾートはさらにさらに加速していった。

東京ディズニーランドでは、過去のショーパレをふんだんにリミックスし、まさに「Dオタの、Dオタによる、Dオタのためのイベント」と言わんばかりの伝説的イベント「ベリー・ベリー・ミニー!」が開催され、また、東京ディズニーシーでは、来る3月25日の最終公演日に向けて、メディテレーニアンハーバーを照らし続けた「ファンタズミック!」の見納めに多くのDオタが通っていた。

私は忙しない高校生活で簡単にパークに行くことが出来ず、歯がゆい思いを抱えながらも、春休みに家族やDオタ友達とインすることが決定し、期待で胸がいっぱいの日々を送っていた。

その陰で、新型コロナウイルスと称する謎の病原体の脅威が、日本にもやってきていた。
関係ないと思っていた東京ディズニーリゾートでも、キャストに対してマスク着用の許可が下りるなど、何となく嫌な予感を感じられる雰囲気になっていた。

そして、2020年2月28日。
翌29日以降、新型コロナウイルスの感染拡大状況を踏まえ、東京ディズニーリゾートは臨時休園を発表した。

唖然としていた。
スマートフォンから目が離せなかった。

結局、臨時休園は延長を繰り返し、ベリー・ベリー・ミニー!も、ファンタズミック!も、その他大勢のエンターテインメントも、最終回を迎えることがないままにその歴史に幕を閉じることとなった。

それどころか、高校でも休校が発表されたり、外出自粛要請で外に気軽に出られない日々が続いたりと、パークを飛び越え人生レベルで大きな問題へと膨れ上がっていった。

東京ディズニーリゾートの再評価。
私はこのシーズンを通して確かに、考えが変わり、心理的に成長し、走馬灯を構成するような思い出を築き上げた。

こうして強固となったある種の東京ディズニーリゾートとの結びつきは、電子顕微鏡を用いないと見ることが出来ず、生物と明確に定義できないような得体の知れないモノによって崩れ去った。

これは後に分かることだが、この時東京ディズニーリゾート及びディズニー界隈が受けた傷は、前年度のフェイスデザインの変更よりも遥かに重症であった。

Dオタとして歩んだ最初のたった2年で、私はディズニー界隈史に残る大きな試練を2回も経験した。これも何かの縁なのだろうか。


このコロナ禍を経て、今も東京ディズニーリゾート界隈に属しているDオタは、恐らく相当の葛藤や苦悩を抱えて今を迎えていると思う。

それどころか日本社会全体も、このコロナ禍を経験したことで前より雰囲気が一段悪くなった(と感じている)。

恐らく、東京ディズニーリゾートも、日本社会も、真の意味でコロナ禍を克服することは、随分先の話になるだろう。
私はその明るい未来のために、改めて今を精一杯生きてみようと思う。

そして、コロナ禍後に東京ディズニーリゾート界隈に足を踏み入れたDオタたちに、恐縮ながらこの地獄を経験したいちDオタとして伝えたいことはただ一つ。

"推しは推せるときに推せ。"


以上、19-20シーズンの東京ディズニーリゾートを私の記憶を頼りに振り返ってみた。

このシーズンは非常に心を動かされた経験を多くさせてもらったのだが、同時に長く苦しい残酷な未来への入り口でもあり、筆を進めるのが辛かった。

次回は、20-21シーズン。
私がDオタ史の中で唯一、東京ディズニーリゾートから明確に距離を置いたシーズンでもある。

暗闇の中を、あてもなく藻掻く日々。

ーきっと、多くのDオタにとっても、そのオタク遍歴の中で最も辛く苦しいシーズンだったことに違いない。

おわり

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