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[私がみたTDR史①]祝祭、狂気、絶望…伝説の35周年を振り返る

私が東京ディズニーリゾート界隈に本格的に足を踏み入れたのは、執筆現在から約6年前、2018年の春のことだった。

2018年。東京ディズニーリゾートが35周年を迎えた年。
ー私はこの18-19シーズンを、いちDオタとして見届けたことを誇りに思っている。私のDオタ人生において、このシーズンはまさに「原点にして頂点」であった。
いつか月日が流れ、このシーズンを超える時は来るのだろうか…私は今でも懐疑的に東京ディズニーリゾートを眺めている。

この「私がみたTDR史」シリーズは、2018年から執筆現在までの東京ディズニーリゾートを、シーズンごとに私の記憶を基に振り返るもの。筆が問題なく進めば、23-24シーズン(TDR40周年)がシリーズ最終章になると思う。


ディズニーランドは「完成した」

私がこの地に足を踏み入れてすぐに始まった、東京ディズニーリゾート35周年「Happiest Celebration!」。

1983年4月15日に東京ディズニーランドが開園して以来、東京ディズニーシーや4つのディズニーホテルなどの施設をオープンし、“夢がかなう場所”東京ディズニーリゾートとして進化を続けてきました。

 そして2018年に迎える35周年のテーマは、“Happiest Celebration!”。ゲストの皆さまとともにたくさんのハピネスを生みだしてきた東京ディズニーリゾートは、これまで以上のハピネスであふれるパークで、最高に幸せなディズニーの夢の世界をお届けする、史上最大の“Happiest”な祭典を開催します。

https://www.tokyodisneyresort.jp/tdrblog/detail/pr170921/

"Happiest"ー最上級の単語を用いたテーマ設定には、当時ハードルの上げ過ぎ感を覚えていた人もいるだろう。

東京ディズニーリゾートを評価するとき、(勿論個人差があるという事は重々承知しているが)大きく分けて2つの派閥があると認識している。

ひとつは、かの「ウォルト・ディズニー」が確立した「ファミリー・エンターテインメント」や「テーマパーク」等といった、従来の遊園地にはなかった要素をどれほど満たしているか、という点。
この場合、評価の主軸となるのはホスピタリティ、BGS、客層などだ。この評価軸を東京ディズニーリゾートに適応すると、評価が高かったのは開園初期~東京ディズニーシー開園あたりまでの、かなり過去の時期にあたる。古参のDオタほど、この評価軸を重んじる傾向にあると感じている。

もう一方は、"Dオタ"が求めるコンテンツの充実度合いでの評価軸。
この場合、評価の主軸を担うのはキャラクター、ショーパレ、アトモスフィア、イベント…等の"コンテンツ"。
単純にコンテンツの量と質に絞れば、恐らく「レジェンド・オブ・ミシカ」が公演されていた時期あたりが最高潮だったと語る者が主流だろうがー何を隠そう、この記事で扱う35周年に最高評価を付ける者も珍しくない。

東京ディズニーリゾートの歴史を振り返ると、東京ディズニーシーが開園して以来、後者の評価軸に合わせて舵を切り始めていたと言っても過言ではないと思う(この点に関しては批判も多いが、本記事では本題ではないので避ける)。キャラクター性を前面に押し出し始め、それによって「Dオタ」の総人口も増えていった。

東京ディズニーリゾートは進化し続け、年々大勢のゲストで賑わっていた。そして、この18-19シーズン、東京ディズニーリゾートは過去最高の入園者数を記録した(この記録は未だに打ち破られていないし、今から打ち破ろうとするOLCからの気概も、経営上の必要性も私には感じられない)。

私はTDR35周年が、キャラクターを前面に押し出した「"Dオタ"向け東京ディズニーリゾート」の最終進化形態であったと今でも思う。この時に集めたピースを再び揃えることは恐らく二度とないだろう。

ディズニーランドは完成した。
完成"してしまった"。

それが狂気を生み、絶望を生んだ。

コンテンツに溺れる

35周年のコンテンツはーはっきり言ってバグっていた。

ショーパレひとつとっても、「ドリーミング・アップ!」はもとより、「ファッショナブル・イースター」、「パイレーツ・サマーバトル "ゲット・ウェット!"」、「ハロー、ニューヨーク!」、「レッツ・パーティグラ!」、「スプーキー"BOO!"パレード」、「ザ・ヴィランズ・ワールド」、「Celebrate! Tokyo Disneyland」…。

それら全てに狂気的なファンを生んだ。
ナブル、ハロニュ、スプブは特に、それだけでひとつの界隈が成立するほどの圧倒的な狂気を私は感じていた。
アトモスフィアも然りだ。海賊、手下…この文字を見ただけで、あの狂ったパークが脳裏によぎる。

こういう言い方をするのも変なのだが、この時作られたコンテンツは、正直Dオタ向けにカスタマイズされていたものだと思う。いや、実際には老若男女問わず楽しめるものではあったのだがー如何せん楽しめ"すぎて"Dオタ達がコンテンツを占拠していた。

地蔵、出待ち、グリーティング施設での長蛇の列(2018年11月18日、「ミッキーの家とミート・ミッキー」では、660分待ちという驚異的な数字を叩き出した)…。

東京ディズニーリゾートは狂気に包まれていた。季節を問わず、日々Dオタ達が押しかけ、どんちゃん騒ぎ状態になっていた…のだが…。

忍び寄る黒い噂

Dオタ達が東京ディズニーリゾート35周年を思う存分満喫する中、界隈内ではとある黒い噂が流れ始めた。
それは、「近いうちに東京ディズニーリゾート内のミッキーマウス、ミニーマウスのフェイスデザインが変更される可能性がある」というものである。

主役のフェイスデザインの変更。
常識的に考えて信じ難い話ではあるが、実際には東京ディズニーリゾートは過去にフェイスデザインを変更してきた(開園当初の顔を見てみると分かりやすい)。当時のフェイスデザインは2代目になる(実際には素材や瞳孔など若干の変更を何度も繰り返しているのだが、2代目という記述方法が一般的である)。
また、この頃世界中のディズニーパークで、次々と主役のフェイスデザイン変更が観測されていた。

そしてー2代目のフェイスデザインを有しているパークは、ついに東京ディズニーリゾートだけになったのである。

そんな中、Dハロ以降の新規ショーパレ音源におけるミッキーマウスの声優が変更された。

メラビアンの法則。
人は情報を受け取る時、視覚情報を最も優位に捉え、次いで聴覚情報を重要視する(この解釈は厳密には間違っているが、便宜的にこの説明を付している)。

声優変更により聴覚情報が変化したいま、もし仮にフェイスデザインという視覚情報も変更されてしまった場合、ミッキーマウスは果たしてミッキーマウスたりえるのかーそんな疑念が多くのディズニーファンに訪れた。

先のミトミにおける驚異的な待ち時間は、ミッキーマウス90歳という記念すべき日と、35周年の日曜日という人が大いに集中する日が被ったことが要因だとされているが、恐らく内心「いつ顔が変わるか分からない」という恐怖感が、Qラインに足を運ぶ大きな原動力になっていたのだと思う。

物語は最高潮に

さて説明が遅れたが、この頃私は中学3年生であった。従って、高校受験により35周年終盤からは界隈を追うことが事実上不可能になっていた。

私が志望校に合格し、再びこの地に足を運べるようになったのは、35周年も終わりかけていた3月中旬のことだった。

私が苦しい中高校受験を無事終えられたのは、他でもない、この場所の存在が一番大きかった。

余談だが、テーマソング「Brand New Day」の歌詞の中で、私が最も好きなところはこの一節だ。

I know you haven't come to party
in a while
There's million reasons why

(君がしばらくお祝いに来れない事は
分かっているよ
色々な事情があるんだもんね)

Brand New Day

受験というどうしようもない事情すらも、35周年は汲み取ってくれていた。
圧倒的な祝祭の中でも、誰一人取りこぼさない優しさを感じられる一節だろう。

ー受験期、私はどれほどこの曲を聴き、励まされたのだろうか。


グランドフィナーレ。
「セレブレーション・ストリート」のあの喧騒を、私は一生忘れることはないのだろう。

ワールドバザールに舞うテープをこの目で見た時、それはまるで私に「おめでとう」と声をかけてくれているみたいでーとても、とても嬉しかった。

こうして、激動の東京ディズニーリゾート35周年「Happiest Celebration!」は幕を閉じた。

35周年最終日、ショーパレのスケジュール的に真の意味でフィナーレを飾っていた「ハロー、ニューヨーク!」最終回公演後、ステージ後方に掛けられた35周年のロゴを見上げ、満足そうに頷いていたミッキーマウスの姿は、多くのディズニーファンの涙腺を破壊し尽くしたことだろう。

何を隠そう、それは単に「35周年」に対する想いだけでなく、彼が"ミッキーマウス"として存在した軌跡の全てを背負っていたのだからー。

圧倒的絶望

翌日、ディズニー界隈はー最悪と言える状況になっていた。

この日から、FTWを除き、パーク内全てのミッキーマウス、ミニーマウスのフェイスデザインが変更された。

阿鼻叫喚の嵐。

私も例に漏れず、過去類を見ない絶望感を感じていた。

(ブランドイメージがあるのでしょうがないが)OLC側のスタンスも「ミッキーはミッキー、ミニーはミニーです」の一点張りで、まるで昨日までのミキミニが初めから存在していなかったかのようなパークに、心の底から失望していた。

Twitterで同志と傷の舐めあいをしたのをはっきり覚えている。
(翌シーズンの私の心情の変化は次回記事にお預けするとして)私は今でも、直接的な交流はなかれど当時お世話になった彼ら彼女らの様子をたまに覗いている。

変化に適応し、Dオタとして再び歩き始めた人。
変化に適応できず、他界隈に移った人。
この時の経験から人生がどん底に堕ちた人。

今のD界隈ではこの時の顔変更を話題にするものはまずいないし、そもそもタブー扱いされている。

それでもあえて言う。
私は今でも、自分の心の中に確かに、この変更で受けた古傷が疼いているのを感じている。
そして、この変更で生きる意味を見失い、未だに立ち直れていない人がいるという事も知っている。

だからもし、これを読んでいる読者の中で、今のD界隈では発言権がないために「変わらないで欲しかった」というやり場のない悲しい気持ちを押し殺して、ひとりぼっちで生きている人がいるのなら。

私はあなたに共感の意を表したい。
大丈夫、あなたはひとりじゃない。

ここに、確かに存在している。


これが、私の見た東京ディズニーリゾート35周年になる。

狂気に溺れた時も、絶望に打ちひしがれた時もー私にとってはかけがえのない大切な思い出。
そんな日々を送らせてくれた東京ディズニーリゾートには感謝しかない。

次回は、19-20シーズン。
私は当時高校1年生になる(若かったなあの頃…)。

…まさか絶望から始まるこのシーズンが、更なる絶望で終わるとは、誰一人として知る由も無かった。

おわり

つづき↓

(「ドリーミング・アップ!」に焦点を当てたこの記事からも、私の35周年に対する愛が垣間見えると思います。もし良かったら↓)


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