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日本へのラブレター【第1回】

2011年3月11日 日本が大きく揺れた日。

そのニュースが世界に発信されたその瞬間から、
世界中の人々から、
日本の人々に、
たくさんのメッセージが届いたことをご存知でしょうか。

私は日本が大好きです。
私は72歳ですが、50キロの荷物を運ぶことができます。
いつでもお役に立てます。
見返りはいりません。
旅費もいりません。
24時間働きます。
―――from フランス

「NHKワールド・ラジオ日本」に届いた、
様々な国の、様々な人たちからの想い、
『日本へのラブレター』を、少しだけご紹介しましょう。


はじめに

みなさんは、大切な人から「忘れられない手紙」「ラブレター」を受け取った経験をお持ちではないでしょうか。
私たち「ラジオ日本(ラジオジャパン)」にも、世界中の人々から、日々、大切な手紙が届きます。


「ラジオ日本」は、NHKの中にあるラジオ国際放送のことで、正しくは「NHKワールド・ラジオ日本」といいます。日本語、英語、中国語、アラビア語など、18の言語で、ニュースや番組を、ラジオとインターネットで東京から世界中に発信しています。
そんな私たちの元に “ラブレター”が届き始めたのは、          2011年3月、東日本大震災が起きた時でした。

 英語、フランス語、インドネシア語、ヒンディー語、スワヒリ語、ロシア語……。様々な言語、様々な国や地域から、続々と手紙、メール、時には絵だったり、作品だったりが「ラジオ日本」に送られてくるようになったのです。


「復興に向けてがんばるみなさんの姿は、私の励みになっています」
「私はやっぱり日本が好きです」等々。

その数は、5000通を超えています。
かつて大地震を経験したチリやペルーからの見舞いや励ましのメールや手紙は、1か月で1000通を超えました。

インドネシアやタイ、インド、バングラデシュなどといったアジアの国々、中東、アフリカからも多くのメッセージが届きました。
紛争が絶えない地域で学ぶ子どもたちからのものもありました。
その一通一通に、心から日本を心配する気持ち、困難の中でも慌てない日本人の行動に対する尊敬の念、亡くなった多くの方々への哀悼……日本を想う温かな気持ちが込められていました。

 世界中のリスナーからいただいた励ましのメッセージに、私たちは日本が世界の隅々までつながっていることを肌で感じたのです。
同時に、日本と世界との関わり方、隣人たちとの付き合い方、地球人としての生き方など、多くのことを考えさせられました。

 また、いただいたメッセージは、被災された東北の方々に向け、放送やイベント等を通じ、日本語に訳して届けてきました。一方で、東北のみなさまからいただいた「世界がこんなに東北を想ってくれて感激した」などのメッセージを、世界中のリスナーに届けることもしてきました。

みなさまに、海外の方々の温かな心に触れ、しばし、やさしい気持ちを味わっていただければ幸いです。


世界から届いた様々な形のメッセージ

ラジオ日本(ラジオジャパン)には、世界中のリスナーからたくさんの メッセージが届きました。
その多くは、手紙(エアメール)やE メールだったのですが、イラストや写真、作品などもありました。
郵便や宅配便が届くたびに、私たちスタッフは、ドキドキワクワクしたものです。

 イギリス人の女性リスナーからは、何百という折り鶴が届きました。日本的な千代紙で作ったものもあれば、白い紙にピンクや緑など色彩ペンで模様を施したものもあり、とてもキレイです。

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折り鶴には手紙が添えられていました。

そこには、彼女の息子さんは難病を患い、入退院を繰り返していることが書かれていました。

「息子の毎日は暗いものでした。反応もほとんどなかったのですが、   私が鶴を折ると、かすかに笑顔を見せてくれました。          息子の病気が治りますように、強くなれますように、
幸せが訪れますようにと祈りながら、毎日、鶴を折り続けました。」

彼女は、ラジオ日本の放送を通じて、日本には、願いを込めて鶴を折る文化があることを知ったそうです。

「3.11 以降、番組を聴き、日本に思いを馳せているうちに、
いつしか被災地の子どもたちと息子が重なっていました。
現在は、被災地の子どもたちのことを思いながら、鶴を折っています。
息子のために折った鶴と一緒にお送りします。
私が心に刻み、座右の銘にしている古いラテン語の諺を贈ります。
『生きている限り、希望はそこにある』
どうぞお元気でいてください。
ありがとう。                     デビーより」

彼女から送られた折り鶴は、2013 年2月に開催した東北大学での震災復興 イベントで、海外リスナーから届いたたくさんのメッセージやイラストなどと共に展示しました。これまで取材させていただいた被災者の方々に見ていただくことができました。


2011 年に起きていた、もうひとつの物語

サリームさんはイラクの小学校の先生で、20 年ほど前からラジオ日本の  アラビア語放送を聴いてくれている古参リスナーです。

フセイン政権下で、海外の報道を聴くことが禁止されていた時代から、当局の監視の目を逃れてこっそりとラジオ日本を聴いてくれていました。

当時、教材が十分になかったため、ラジオ日本のテクノロジーや伝統文化に関する番組を生徒たちに聴かせて授業をしたこともあったと、以前お話ししてくださいました。

教え子たちの間では、日本のことをよく知っている先生として評判だそうです。

2011 年3 月11 日、この日もいつものようにラジオ日本のニュースを聴いていたサリーム先生は、すぐに自分が担任をしているクラスの子どもたちに、日本で大きな地震と津波が起きたことを伝えました。

子どもたちは、話を聞くなり、尋ねたといいます。

その時のことを、サリーム先生はメールで教えてくれました。

「1 年生のクラスで、日本の地震について話をしました。

生徒の一人が私に尋ねました。『被災地の子どもたちは、今、学校に行けているの?』と。実際、どのような状況なのでしょうか」

 ラジオ日本では、震災以降、毎日、被災状況や人々の避難生活など、被災地の様子を緊急体制で世界に向けて伝え続けていました。

子どもたちの質問に答えてあげたいと思いながらも、私たちスタッフは日々の対応で余裕がなく、返信ができないまま時間は過ぎていきました。


1 か月ほどたった頃でしょうか。
被災地のいくつかの街で学校が再開したというニュースが飛び込んできました。
さっそく、アラビア語ニュースでも伝えると、サリーム先生から再び、メールが届きました。

「今日、ニュースで被災地の学校が再開したと聴きました。

以前、『被災地の子どもたちは学校に行けているのか』と尋ねてきた生徒がいたので、すぐに伝えました。それを聞いた子どもたちは大喜びしました。そして、勉強に熱が入るようになったんですよ」

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サリーム先生と生徒さんたちは、あの日からずっと、被災地の子どもたちのことを気にかけてくれていたのです。

なぜ、こんなにも学校のことを気にかけてくれたのか。

それには理由がありました。
実は、サリーム先生の勤める学校は、2003 年に起こったイラク戦争のとき、近くに落ちた爆弾の影響で校舎の一部が崩れてしまいました。

しばらくの間、生徒たちを運動場に集めて青空の下で授業をしていたそうです。

2001 年にアメリカで起きた同時多発テロ事件の後、イラクに大量破壊兵器があるとして戦争が始まり、国内の治安は悪化しました。経済制裁も行われたため、医薬品が十分に入らず、病気の治療ができない子どもたちもたくさん
いました。

そんな歴史を持つからこそ、イラクの子どもたちは、被災地の学校が再開したことを、自分のことのように拍手喝采で喜んでくれたのです。

厳しい時代を生きるイラクの子どもたちのやさしさでした。

その後もサリーム先生と子どもたちは、日本を応援する絵やメッセージをイラクから数度、送ってきてくれました。

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インターネットの翻訳ソフトを使って書かれたらしい日本語は、少し不思議なものもありましたが、彼らのやさしさ、温かさは十分に伝わってきます。
被災地の学校再開を自分のことのように喜んでくれた子どもたちはどんな思いでいるのでしょうか。

あの時、質問してくれた生徒たちは4年生になったそうです。
イラクの子どもたちの無事を祈らずにはいられません。




最後までお読みいただきありがとうございました。次回は来週木曜日3月4日に、世界から届いたお手紙を紹介します。

※本書の印税・売上げの一部は、東日本大震災の義援金として寄付いたします。



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