(短編小説)始まりは「リカちゃんハウス」
トランクに見立てた赤い箱。それを絨毯の上に水平に寝かせて、そっと蓋を開けます。すると、ソファセットとレースのカーテンが張り付けられた窓、そして本棚までついている小部屋があらわれます。幼い少女たちはそれぞれが大切にしているリカちゃんをソファに座らせます。手足が動き、着せ替えも出来る人形です。靴を履かせては脱がせたり、バッグを手に持たせたり、髪の毛をとかしたりと、少女たちは夢中になって遊びます。遊んでいるうち、いつかきっとリカちゃんみたいになろうと、あこがれが高まっていくのでした。
「この服、新しいのよ! こないだママに買ってもらったんだ」
レミが言います。ミニのワンピースは、スタイル抜群のリカちゃんをひきたてます。すかさずミキが言います。
「わー、かわいい。私はね、誕生日にリカちゃんドレス買ってもらうんだ!ふわふわのお姫様みたいなの」
レミもがんばって言い返します。
「私はね、私はね、クリスマスにリカちゃんドレスをお願いするんだ!」
仲よく遊びながらも、お互いのリカちゃんをしっかり見比べて、少女たちは小さなライバル心をこっそり燃やしていくのでした。
「なつかしいわね。ママも昔はリカちゃんハウスで遊んだものよ」
二人の様子をレミのママは眺めながら微笑みます。
「お姉ちゃんは、もうリカちゃんでは遊ばないんだね」
レミはそばにいた姉のユウに言いました。ユウは小学3年です。
「そうね。今はこっちかな」
ユウは嬉しそうに筆箱を取り出しました。ユウのクラスでは筆箱の中身をいかにかわいい世界に仕上げるかで、女の子たちは夢中です。
休み時間になると、みんなで集まって筆箱の品評会がはじまります。
「この消しゴム、パイナップルのにおいー」
「えー、ほんとだ! いいにおいー」
交互に嗅いでいき、みんなでうっとりします。
「私の鉛筆、全部キティちゃんよ」
「すごーい」
女の子たちは、歓声を上げます。ヨーコが言いました。
「見て見て! 私の筆箱、鏡がついてるの。ほら、こうして授業中もチェックできるんだから!」
「わー、ヨーコちゃんのおしゃれー」
「えへへ。お姉ちゃんがつけてくれたんだ!」
ヨーコは嬉しそうに言いました。ヨーコには中学生のお姉さん、ユミがいるのです。
「今日ね、ヨーコちゃんはお姉さんがいていいね、って言われたよ」
ヨーコの筆箱の話を聞いて、ユミはふふっと笑いました。
「筆箱なんて、そんなに凝らなくなったわね。ヨーコはまだまだ子どもだね」
姉に言われてちょっとむっとしたヨーコですが、ユミの開いている雑誌に心を奪われました。リップクリームに、ネイルシール、香水のミニボトル、そして髪飾りのリボン。ユミたち中学生は、校則ぎりぎりのおしゃれをすることに今は夢中です。
体育の授業後の更衣室で、ユミたちはお互いの持ち物をこっそり見せ合います。
「ユミのリップかわいい!」
「でしょ!これならぜったい校則違反って言われないもんね。あー、サトコのネイルもきれーい!」
「へへ、ありがと。今日ね、マモルくんとデートなんだ。帰りに、もうちょっと付け足すんだ」
放課後にデートの約束があるサトコを、女の子たちは羨ましそうに見ました。マモルは高校生です。
「マモル君、おまたせ」
待ち合わせの公園のベンチで、マモルは肉まんを頬張りながら待っていました。サトコが来ると、はしゃいだように立ち上がりました。
「サトコちゃんってさ、可愛いよね。うちの姉貴と大違いだよ。なんかさ、もう大学に入ったら急に色気づいちゃってさ。変なんだよ。バイトで稼いだお金で服ばっかり買ってさ」
マモルには、大学生の姉、亜美がいるのです。
「大学生のお姉さんかあ。いっぱいお洋服買ってるのね。ああ、リカちゃんみたい! いいないいな」
サトコは昔遊んだリカちゃん人形を思い出し、ぱっと明るい顔になりました。
「ねえ母さん、マモルったら口うるさいったらありゃしない。髪が派手だのスカートが短いだの、高校生のくせに、おやじっぽいよね」
夕飯の準備をしながら、亜美は母のとも子にこぼします。
「亜美、しょうがないよ。男の子にはわかんないのよ」
とも子は苦笑いしながら聞き流しています。
「母さんも洋服いっぱい買ってたの?」
「そうね、若いころは山ほど買ってたわ。洋服に化粧に靴にバッグに。あなたもお勤めを始めたら、きっともっともっと夢中になるでしょうね」
「母さんはもう、洋服は欲しくないの?」
「え? あら。そうかもね。前ほどは買わなくなったものね」
「ねえ、それじゃあ、つまんなくない?」
「えー、そんなこと、ないんじゃない?」
とも子はきょとんとして、亜美を見ました。そして、ふふっと笑いました。
「明日はね、雪江さんのお家に行ってくるわー」
鼻歌を歌うような軽い口調で、とも子は言いました。
「ほらぁ、これなの」
「まあ、素敵ね、萩焼。いいわねえ。昔は備前の荒々しさが好きだったけど、この年になると、萩の優しさに惹かれるわね」
雪江の家のキッチンで、とも子と雪江は食器談義に夢中です。
「雪江さん、私もね、この前思い切って九谷焼のお抹茶茶碗買ったのよ。こんど見にいらしてよ」
雪江の食器棚にため息をつきつつも、とも子は張り切って言います。
「行くわ行くわ」
二人の会話は尽きません。
「おやおや、器の話かい」
奥の部屋から雪江の義母の美智子が出てきました。
「おかあさま、ご無沙汰しています。おかげんはいかがですか」
美智子は数年前に足を悪くして以来、外出もままならなくなったのです。「おかげさまでね、最近とっても調子がいいのよ。明日は依子さんと三越だからね」
「楽しみにしてるのよね。デパートがお義母さんの生きがいなのよ」
「あなたたちも、あと十何年もすれば、この楽しさがうんとわかるわよ。お友達は大事になさい、ね」
美智子は二人に微笑みました。
三越劇場で、かつての名優の芝居を観た後、依子と美智子は喫茶でコーヒーを飲んでいます。
「ああ、楽しいお芝居だったわね」
「そうね。あら、美智子さん、杖、新しいのにした?」
「ええ、これね、お嫁さんが買ってくれたのよ」
美智子は雪江にもらった杖を、自慢げに見せました。アクリル製で美しい花があしらってあります。
「まあ素敵。私のはね、オーダーメイドの木製。ほら」
依子は自分の名前が刻まれた折り畳み式の杖を持ち上げて見せました。
お互いの杖をしっかり見た後、二人はふっと吹き出しました。
「私たち、昔から変わってないわね」
「本当ね。七十年前、お人形で遊んでいたころとおんなじ」
二人は声を上げて笑いました。
「楽しいわねえ」
「なつかしいわねえ」
店で一番の年配客が楽しそうにくつろいでいる様子を、若い女性も、中年の女性も、ちらっ、ちらっと眺めています。店はいつしか、穏やかな空気に包まれていました。
==END==