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自己紹介@予告されたメンタルの記録
久しぶりにnoteで文章を書いてみます。
2年ぶりぐらい。
何個かこちらで記事を書いたことがありましたが、自分自身のことは無いに等しかったのでチャレンジしようと思いました。
まず、はじめに言うと立派な肩書や才能など全くなく、少しずつ学生時代に蓄積されたのが社会人になってから瓦礫となり大きく崩れ落ちた人と捉えていだだければ幸いです。
自分のことを語るのは緊張しますがよろしくお願いします。
小学生時代
まずは小学生時代に遡ります。そこからかよ〜!
あの頃はとても気さくに話しかけることができた時期で毎日のように友達の家へ行き来したり学校で鬼ごっこや球技をしていました。
当時スイミングとバスケットボールをずっと続けていたこともあり、毎日のように校庭で遊びとにかくスポーツを毎日やっていることを生き甲斐にしていました。
そしてなんで女の子と話すことができたのだろう。1つ忘れられない出来事がありました。
小学6年の夏休み。
その日は上記のクラブチームの仲間の女の子に家で遊ぶことを誘われ、男:女=3:2で向かいました。
最初は世にも奇妙な物語などを見て盛り上がったり恋愛話をしていましたが、女の子の方から王様ゲームの提案がありました。
参加者が各自、くじを引く。
全参加者の「王様だ〜れだ?」などの掛け声にあわせ、王様くじを引いたものが名乗り出る。
王様は「○番が○で○○をする」「○番と○番が○○をする」などの「命令」を出す。
指名された者は名乗り出て、命令内容を実行する。
くじを回収する。
繰り返す。
このゲームが開始され冗談や笑いを誘うものからポッキーゲームという怪しいものを行いました。
夢か本当かハグやキスなどその場にいた好きな子と出来た経験からとても舞い上がり、
18時から始まるスイミングに遅れて家族に連れて行ってもらったことを今でも覚えています。
残念ながらその後の恋愛は皆無に等しくアラサーになった現在でも恋愛で楽しかった経験がないっていう笑
自分でエピソードを作れよって話ですが...
中学時代
その後は中学生になりましたが継続していたスポーツを辞め地味系部活に入部、交友関係も一気に変わり自分に自信がなくなっていきます。
積極的に腹から声を発せられたのが出来なくなったり、
悪口や批判を言われると落ち込んで自分のことが嫌になったり、
女の子と話せたのが怖くて全く話せなくなったり、
一番嫌だったのが男子の中で「肩パン」が流行っており(2010年前後)
肩パン(かたパン)は相手の肩にパンチを繰り出し面白がるという行為。肩パンチの略称。スキンシップ行為や罰ゲームなどの遊びの一種
7〜8人ぐらいのグループになってじゃんけんで負けると全員の暴力を受けることになる。
やるのを断ると煙たがれるという誰得なゲーム。
こっちも仲良い友達の肩殴りたくないし、
それで軽いいじめもあったけど、唯一救われた水泳、バスケ、バレー、サッカー、陸上などの体育の授業は年間を通して日々楽しみにしていていました。
周りからも「ほんとスポーツ万能だな」「もふもふがいてくれたら今日の試合は勝てるな」と言ってくれたりしてくれました。
自分自身が精神疾患になってしまったことはあの時は思いもしませんでした。
高校生時代
高校生になって、薄々と大学受験を意識し始めた時期でした。
勉強の方は小学生の頃はクラスメートから「お前はクラスでベスト3に入るほどのバカだ」と言われましたがなんとか高校生で普通程度。
勉強もして友達とカラオケ行ったり、海で遊んだり、少女時代のジェシカさんにどハマりしてライブ行ったりよくいる高校生でした。
この頃からコミュ障という自覚が芽生え始めて
・特定の人とたくさんおしゃべりしたいのに次に話すことが頭に浮かんでこない。
・言葉のキャッチボールが他の人より明らかに下手
・嬉しいことで興奮して叫ぶことがなくなった
・人の顔色を気にするようになって一喜一憂
それでも男しかいないことで牢屋と言わんばかりの囚人サッカーをしたことやユーモアがある先生やクラスメイトに出会えたこと、今も交友関係のある仲間とも出会えたこと、ポジティブに考えれば行ってよかったです。
大学受験は、
落ちました。
それで親に予備校代50万払ってもらったのに、6月ごろに行かなくなり家で勉強し始めました。
この頃は運動もしないし一週間家から出ないこともザラだし、家族としか会話をしていなく振り返ってみればおかしいですが異常に気付きませんでした。
そして、病は突然襲ってきます。
センター試験の前日の夜に脳の中がうるさく感じ、隣の家の住人が話す幻聴が聞こえ始めます。
睡眠時間は短くなったもののなんとかセンター試験は乗り越え、すぐ近くの心療内科に親の勧めで足を運びました。
「ただの脳の疲れね」「一旦これ飲んでみて」
おばちゃん医師に貰ったのはエチゾラム0.25mg。
当時効いているのかはよく分かりませんでしたが試験会場の休み時間にこっそりとお守り代わりに飲んでいたのが懐かしいです。
大学時代
そしてなんとか希望していた大学に入ることができ一人暮らし生活を始めることになります。
この時の色々としがらみから解放された爽快感(実家から出れる、誰も自分のことを知らない場所でスタートできる、受験勉強から解放される)がありました。
とりあえず、クラスの友達に話してみる、サークルも仮で3つ入ってみた。(ダブルダッチ、街散策系、ボランティア)
あれおかしいぞと気づいたのは2年生になる前ごろでした。
サークルに入っても、人と上手く話せないで、お地蔵さんになっちゃうし黙っちゃうので場の空気を静まらせてしまいがちでノリ悪いしで段々とハブられていき、いつの間にか居場所がなくなっていました。
あと大学は同じような仲間が仲良くなるところで静かめなコミュニティーに入ったのに
男子特有の顔が整っているか、コミュ力があるか、その人がその場に必要であるか必要でないかのジャッジが辛すぎて2年になって辞めてしまいました。
そうこうしているうちに、ごくたまに隣人の声が聞こえる感じがしたり、1日に12時間ぐらい寝たりしていました。
3年の冬ごろになって資格試験の勉強の真っ只中に今までになかったモノが徐々に起き始めました。
・外での幻聴 (普段は自宅でしかなかった)
・極度の不安 (どうにかなっちゃいそうな不安)
・自分の心の声が誰かに伝わっているような感じ
・認知機能の低下 (頭が働かなく集中力、記憶力が鈍くなる)
etc.
すぐさま京都駅前の心療内科にかかりました。
2時間待ちでようやく受診、先生は「あ〜統合失調症だね」
超あっさりでした笑
それまで良いのか悪いのか先ほど述べたエチゾラム貰ったクリニックから、毎月問診をしないで薬だけ貰っていましたが、
毎食飲んだりすることはせず学校でのお昼の時間は病気特有の誰かに見られているセンサーが発動し放置していました。
自分自身もあの時薬を取り寄せするアホなことはせずに前もって診療を受けるべきだと感じました。
だけど、大学時代は思い出がたくさんできました。
海外旅行や国内旅行に「沢木耕太郎の深夜特急」に憧れバックパックでヒッチハイクをしたり、お寺でバイトもさせていただきました。
それにゼミの友達数人に病気のことを打ち明けたところ、実は俺も発達障害だっただからなんとなく気持ち分かると言ってくれたり、身の回りでも双極性障害だったり、パニック障害だったりいたりして、いつも楽しそうにしている人も「その人にはその人の地獄があること」を23歳になってようやく気付きました。
学校がいけない時期が半年ほどあり危うく留年しかけましたがギリギリセーフ。
その後
その後、挫折続きで就職活動もうまく行かず、運よく転職した職場で人事の方や同じ部署の直属の先輩に恵まれるも、僕自身の仕事の出来なさで部署異動となり、長時間労働や強めに当たられることによる精神のすり減りで一旦休職になり、有休消化し退職しました。
現在の心療内科の先生とは相性がとても良く僕がメモした文章を最後まで相槌を含みながら聞いてくれます。
いつも応援してくれている存在です。
とにかく優しすぎる人。。
診断書にはストレス耐性が弱いと書いてありました。(もちろんそうです)
前に検査をした知能検査で言語理解以外全て低めだったので仕事の容量が悪かったりするのも影響があるそうです。
認知の低下もそうか。
このことで仕事へのストレスが大きいと思われます。
「なったものはしょうがない。その後どう自分をケアするか」
この統合失調症はまだ偏見が根強い感じがします。
電車で騒いでいる、独り言を言っている。自分のことを悪く言っていたので危害を加えた。好感のある芸能人でほとんど公表している人がいない。
だから「やばい病気だって」風の噂で聞いたことがあります。
後、病気になる人は文献で
・おとなしい人
・付き合うのが苦手な人
・傷つきやすい人
がなりやすいと書かれていて、まるっきり自分だと感じました。
なるべくしてなったのだろうと...
でも正しい精神薬を飲めば、現代の医学である程度寛解に向かうことができると僕は信じています。
今は自宅療養をしながら、資格取得のため学校に通っています。
仕事を2回辞めてしまったり、時々社会の端くれ、死にたい生きても意味が無いと思ったりしました。
親にも迷惑をかけてしまっていることもありますが、親より先に死んだらそれこそ、親不孝だよね。
僕は小説を読むことが好きで、色々な本に生きる心の糧をもらった経験があります。
その中でも好きな小説家の1人であるアーネスト・ヘミングウェイのこの言葉に救われました。
人間の人間たる価値は敗北に直面していかに振る舞うかにかかっている。敗北とは決して屈服ではないのだ。
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最高の10冊の1つです
僕が思ったのは
・失敗続きである自分、
・自分に自信がなくなってしまっている自分、
・今まで何度も逃げてしまった自分、
・落ち込んでばかりいる自分、
こんな僕でも何度もやり方は違えど別の角度からやり直してもいい、
人は何歳になったらもう限界だと決めつけるが何歳でもやり直せる。
何度も負けを経験してもいい。
負けや失敗で得られることは成功より多い。
そこから1つでも自分への血となり肉となることができれば、
前の自分より一歩前進したと自分を肯定できるだろう。
この考え方がずっとできるとは思っていませんが、少しずつ足を一歩出してみよ!
てな感じでやっていきたいです。
無理はしないでやっていく.
Rome was not built in a day .
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