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”フリ”をする私が”フリ”のできないヨンヒさんについて考えること(『となりのヨンヒさん』レビュー)

いま、韓国の女性作家の本が注目されている。
本屋に行くと必ず『82年生まれ、キム・ジヨン』(チョ・ナムジュ著、 斎藤真理子訳、筑摩書房)をはじめ、韓国フェミニズムのコーナが大きく取り上げられている。
ほとんどの本が誰かが手に取った跡があり、日本でも必要としている女性が多いのだということを実感する。

その中の一つである、『となりのヨンヒさん』(集英社)はチョン・ソヨンが手がけた15作品のSF短編集だ。

著書は中学生の頃から宇宙への興味をもち、エリザベス・ムーンやケイト・ウィルヘイムなどのSF小説の翻訳を手がけている。
『アリスとのティータイム』という短編では、彼女の敬愛するジェイムズ・ディプトリー・ジュニアが登場する。ジェイムズ・ディプトリー・ジュニアは、職業的に女性差別を受けてきた経験から、女性であることを隠して作品を発表し続けた20世紀のSF作家だ。

チョン・ソヨンは一方で社会福祉の勉強をし、マイノリティの人権を守る弁護士としても活動している。
これらの経歴の背景には、彼女が高校生のときに「成績が優秀すぎて冷たくされた」という経験がある。(「弱者に優しいSF」吉川凪著、『すばる』2019年12月号より)

差別から逃れるために”フリ”をする

この短編集の舞台は、宇宙飛行船が飛び交い、異星人たちとの交流もおこなわれている世界だ。ところがいかに文明が進んでも、人種・セクシュアリティ・思想・行動などの差別は無くならない。
そして、その中でなるべく目立たないように、”フリ”をする女性の姿が描かれる。
たとえば、地球の大爆発により火星人の養子になった女の子は、鏡の前で両親の仕草を練習し、”火星人”になる努力をする。自分が地球人であることを忘れたいと思っている。(『帰宅』)
レズビアンであることを隠す女性は「<結婚や恋愛より仕事に関心をもつクールな専門職の女性>という、誰もが納得しそうな典型に合わせて少しづつ自分のイメージを形成していった」と独白する。(『最初ではないことを』)

ー”フリ”をしなくてもいい。もっと自分らしく生きるべきだ。
”フリ”をする人に、こう言うこともできるだろう。
だが、この短編集ではそういうアプローチを取らない。

フリをする彼女たちと対になるように、もう1人の女性の姿を描く。
それは主人公たちより社会的に弱く、権利を持たない人たち。
つまり、”フリ”をすることの”できない”人たちだ。

”フリ”のできない人は社会で受け入れられるか

表題作『となりのヨンヒさん』では、そのことが一番わかりやすく描かれている。
ヨンヒさんは、地球人ではない。「両生類」のような見た目だが、地球語を話すことはできる。
しかし地球人からは<あんなの>とか<彼ら>と差別され、交流をもつことはない。

主人公・スジョンは、地球人だが、<彼ら>への恐怖はあまりない。
仲間に止められながらも、家賃の安い、ヨンヒさんの隣の部屋に住む。

スジョンにとってヨンヒさんは謎だ。
耳障りな声をだし、伸縮自在な身体を持ち、スギョンの描いた”蓮の花”は、ヨンヒさんには故郷の”火山”にみえる。
2人の距離は特別に近くなるわけでもなく、ヨンヒさんは突然引越しをする。

スジョンは、TVに映る<彼ら>からヨンヒさんを識別することは難しいと思うし、仲間たちに<彼ら>の隣で生活したことをもてはやされながらも、ただ「笑っただけ」だ。

ヨンヒとは「最近では小学校の教科書にも登場しない、古臭い名前」(p,109)だ。
ヨンヒさんは一般的な名前の中に<彼ら>であることを隠そうとしたのかもしれない。だが、皮肉なことに、現在では一般的すぎて使われないような名前だ。

ーヨンヒさんは<彼ら>という言葉から逃れられない。
この作品には、”フリ”のできない人が簡単に社会に受け入れられるような現実離れした結末はない。

結論ではなく、問いをだすこと

『雨上がり』では、間違った並行世界の1つに落ちてしまったため、家でも学校でも存在を認識してもらえない女の子が描かれる。
彼女はこう言う。
「私はちゃんと存在したいんです。誰もが知っている人間にならなくてもいいから、特別でなくてもいいから、最低限そんな子がいたと覚えてもらえる子になりたいんです」(p,150)

ーちゃんと存在したい、誰かに自分の存在をわかってもらいたい。
”フリ”のできない人たちが望むことはシンプルだ。

だけど、それは<彼ら>という向き合い方ではみえてこない。
隣人という具体的な存在として向き合ったときに、みえてくることだ。

スジョンは、ヨンヒさんが自分の星の言語を語った時のことを思い出す。
「蓮の花のような熱気が、星くずみたいな光の粒子をばらまいて、一瞬のうちに通り過ぎた」(p,110)とき、ヨンヒさんが何を伝えたかったのを考える。
『雨上がり』では、女の子と向き合う”先生”が「あなたのせいではないの」(p,151)と言葉をなげかける。
女の子が、世界に適応できない理由を、自分のせいだと考えていたことに気がつくからだ。

”フリ”をする主人公たちは、”フリ”をするという選択をもてない隣人を通して初めて、”フリ”をすることについて考えはじめる。

ー”フリ”のできないあなたの隣人について、あなたはどう考えるか?
『となりのヨンヒさん』では社会に違和感を感じながらも”フリを続ける”読者に問いをかける。
それは差別は良くないという言葉や、自分らしく生きるべきだという言葉よりも、何倍も意味のあることだと、私は思う。

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