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処女作 掌編『シュメルト』

人生で初めて書いた小説(ショートショート)です。今から八年ほど前でしょうか……
出来が良いのか悪いのか当事者としてはさっぱりわかりませんが、親友はこの作品が一番良いと言いますし、当事者なりに分析すると文体は今も変わらないなぁと成長のなさを感じる部分もあります。
(スマホで読みやすいように、適時改行やスペースを入れております)

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 日本おいてシュメルトと呼ばれる文化が欧米から持ち込まれたとわかる最初の文献は十六世紀、室町時代後期に見つかっている。

 明治維新までは「すめると」と呼ばれており、キリスト教文化のように広く伝わらなかったが、ごく一部の(しかし北は東北地方、南は九州地方まで広く分布している)、主に小さな農村集落で細々と伝わっている。場所によってはキリスト教と同じように扱われ、またある場所では民間信仰と合わさり、独自の小さな信仰を築かれている場所もある。


 私は卒業論文をシュメルトに関する調査を題材とした。なぜシュメルトを選んだかというと、私の祖母が青森県西津軽郡の鰺ヶ沢出身で、当地に受け継がれているマタギ文化の中にシュメルト文化が習合されていると思い立ったからである。

 祖母の父、私にとっては曾祖父にあたる人はマタギであったという(無論私はあったことがない)。冬は白神山地に篭もり、狩猟をする。春から秋は出稼ぎで船に乗り、カムチャッカまで鮭漁に従事していたと祖母から聞かされた。
 正月前に曾祖父が家に帰って来るときのおみやげが必ず二本の鮭(新巻鮭かどうかは祖母の記憶から引っ張り出せなかった)だったそうで、家族中がそのおみやげを楽しみに待っていたという。


 マタギはそのルーツを辿ると古(いにしえ)に蝦夷と呼ばれていた種族だとも言われている。平安時代に征夷大将軍坂上田村麻呂によって制圧された種族である。
 蝦夷の長であったアテルイは坂上田村麻呂よって捉えられ(田村麻呂は当初、命は助けるつもりであったらしいが、公家が反対をしたという)現在の大阪で処刑され晒し首となった。
 取り残された蝦夷は朝廷に帰依し、蝦夷の文化は次第に薄れていき、いわゆる大和民族と同化していったと考えられている。


 蝦夷は北海道以北のアイヌ民族とルーツが同じと言われてもいるが、蝦夷の血を受け継いでいたマタギにはアイヌにはない独自の文化を持っていた。それがシュメルト(すめると)である。

 シュメルト自体が日本ではごく少数の部族でしか受け継がれていなかったために中央権力は全く感知することができず、キリシタン迫害のような悲劇も起こることがなく、淡々と受け継がれていた。

 マタギや蝦夷を研究している民俗学者も「すめると」をマタギ言葉と勘違いしていたほどマタギにおけるシュメルトについての資料はほとんどないと言ってもいい(マタギ言葉をこの文章に書くとそれだけで一冊の本になるくらいの説明が必要となるために、ここでは省かせていただく)。



 さて、シュメルトとはなにか。これまた非常に定義の難しい問題である。一言で言うなら「自然同化」、「アニミズム」と捉えることもできる。

 マタギやサンカにシュメルトのごく一部が取り入れられているのはそのような自然と人間の一体化の考えが受け入れられたことがあると思うが、それだけではシュメルトを説明したと言い切れないのも確かである。


 現在、「ロハス」と呼ばれているトレンドにもシュメルトの考えが取り入れられていると言う学者もいる。しかしその学者自体もシュメルトがどのような文化であるのか詳細までわからないというのが実情であろう。
 私の卒論もシュメルトに関して結論はつけておらず、ただ鰺ヶ沢マタギにそのような異質な文化が取り入れられていたという紹介で終わっている。


 なぜ、シュメルトを体系的にまとめることができないかというと、聖書や仏典、古事記や日本書紀の国史とは違い、文字によって継承されることをタブーとした傾向があることに尽きる。

 シュメルトのすべては西洋でも東洋でも口伝で伝えられている。口伝ということはもちろん年月が経てば経つほど、微妙に変わっていき、現在の日本でのシュメルトは十六世紀に輸入されたシュメルト(すめると)とだいぶ形も風習も変わっていると思われているからだ(裏を返せば変わっていると断言することもできない)。


 大学生の時に少しかじった程度のシュメルトだが、それから十数年経った今日、久しぶりにシュメルトという言葉を聞いた。

 神奈川県某所にある雑貨屋でのことである。その雑貨屋は店の内装は塗装されていない木を多く使い、雰囲気はオールドアメリカン的な感じだが、置かれている商品はどちらかと言うとヨーロッパのものが多く、主に陶器や木工の家具等を扱っている。店の裏庭には小さな池が数個あるガーデンがあり、そこのテラスではコーヒーや紅茶を楽しむことができる。


 私もたまの休日にはその店に行き、テラスでコーヒーを頂くことも多い。
 正直、その店の雑貨にはあまり興味はない(コーヒーだけ飲むのも気がひけるので、毎回小物を買うようにはしているが)。

 私にとってその店で興味をもつのが、裏庭にある池である。その池には、いまや絶滅危惧種となってしまっている神奈川県内の野生種メダカが泳いでいる。三つほどある池にはそれぞれ、酒匂川水系メダカ、境川水系メダカ、鶴見川水系メダカの末裔が分けて泳いでいて、それはこの店のオーナーの趣味であるようだ。

 メダカと聞けば皆一様と思う人もいると思うが、実は水系ごとに遺伝子レベルで小さな変化が見られる。メダカは淡水魚なので人の手による移動や鳥の足に卵が偶然付いて移動されない限り、他の河川に移動はできない。よってその水系のみで何万年、いや何百万年と繁殖を繰り返し、その水系の環境に適合された遺伝子を持つ固有のメダカとなっていく。


 現在、私の住んでいる神奈川県で水系固有の野生のメダカは残念ながら小田原某所でしか生き延びていない(酒匂川水系)。
 行政の内水面施設や偶然に人の家の水槽や睡蓮鉢で昔に獲ってかろうじて他の種と混じり合わずに繁殖されたものを含めれば神奈川県の固有メダカは先の三種とされている。
 私も自宅マンションのベランダにおいてある睡蓮鉢にて横浜市某所で採取したメダカを繁殖させているが、これは残念ながらおそらく横浜鶴見川水系固有のメダカではなく、誰かがどこかのメダカを放流した固体の子孫だと考えられる。


 しかし、この雑貨屋の裏庭ではその神奈川県の三種の固体が限りなく自然に近い環境で飼育されている。おそらくオーナーが元々の固有メダカの飼い主、もしくは内水面研究所あたりから固有種を分けてもらってきて育てているのだろう。



 私が裏庭の池を覗いていると、どこからともなく年の頃三十くらいの女性の店員が声をかけてきた。

「お客様はいつも熱心に池をご覧になっておりますね」

「はあ、わたしもメダカを家で飼っていましてね。ここのお店のメダカは固有種を保存飼育していると聞きましたので、ちょっと興味があったのです」

 その店員とメダカのことをあれこれと話しているうちに、とつぜん彼女は「シュメルト」という言葉を言い出した。

「この池のメダカの生育状態が良好に保たれているのは、ある意味シュメルトのおかげなのですよ」

「えっ、シュメルト? シュメルトとはなんなのでしょうか。なにか特別なエサとかバクテリアとかですか?」

 私はシュメルトについて全く知らない風に装って聞いてみた。彼女は地面に片膝をつきながらしゃがみ、池の一つを眺めながらゆっくりと話しだした。


「シュメルトについてご存知ないのなら、簡単にご説明いたします。説明すると言いましても、私も具体的にシュメルトについて語れるほどの知識はありません。ひどく曖昧とした説明しかできないと思います。その点はご了承ください。

 ここには三つの池があります。お客様もご存知だと思いますが、一つ一つの池には境川水系の藤沢メダカ、酒匂川水系の小田原メダカ、そして鶴見川水系の横浜メダカがきちんと分けられて住んでいます。

 この三種のメダカたちは混ざり合うことがないように、私ども従業員が気をつけて管理していますが、鳥や虫や猫たちが悪さをしたり、大雨が降った時に水が溢れてしまうことがあります。しかしこの池ではそのようなことは起きても種が混じりあることはありません。それはシュメルトの力によっているからです。

 この池ではメダカに詳しいお客様には意外だと思いますが、あえてドジョウを入れております。普通、メダカだけを飼育するのであれば他の種類の魚は入れません。卵を食べてしまうからです。しかし、ここではあえてドジョウを入れています。このドジョウがシュメルトの力により、誤って入ってしまった別遺伝子の卵を食べるのです。それにより池ごとの種が守られているのです」


 彼女は黙って聞いている私を横目に話し続けた。

「弊店のオーナーが池を作った当初は鳥や虫などを寄せ付けないようシュメルトを行いました。ところが、池に鳥や虫などの小動物がこないと、池の秩序が保たれないことに気付いたのです。

 まず虫がいないとメダカのエサがなくなるということに気づきました。この池はなるべく手付かずの自然を守るビオトーブを目指していましたので、配合エサを与えないことを守ってきました。
 しかし、シュメルトにより虫を排除した結果、メダカのエサになる蚊やダニや川虫もいなくなってしまいました。

 そして鳥もこなくなると、池に余計な藻や雑草が増えてしまい、また虫が増え過ぎてしまうこともわかりました。
 考えてみれば当然なことなのですが、私たちはあまりにも人工的にシュメルトを使用していたのです。それは失敗でした。あくまでも自然の中で最小限のシュメルトを使うべきところを、自然の法則を無視してしまったために、秩序が壊れてしまうことを考えていなかったのです。

 この池の目的は種の保存です。ですので、今日までいろいろ試行錯誤を繰り返し、あるところは自然任せ、あるところは人的に手を加え、そしてあるところはシュメルトに頼って、ようやくここまで秩序を保つことができました。先程も申したようにいまではドジョウにしかシュメルトは使っておりません」


 彼女は私にごゆっくりどうぞ、と言い残し店の中に入っていった。私はテラスのテーブルに置きっぱなしにしていた少々冷めたコーヒーをすすり、ドジョウのことを詳しく聞きたく、そして私からもシュメルトの事を話すために、次回は勇気をもって彼女に話そうと心に決めた。

〈了〉

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