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【短編小説】内科医 筧直太郎 改訂版

 私、内科医の筧直太郎と申します。現在、大学病院の勤務医をしています。ここ一、二年の外出自粛の影響もあり、心理的、精神的に影響を受けていらっしゃる患者さんが顕著に多くなっています。毎月のように楽しんでいた旅行に行けない。コンサートを観ることもなくなった。レストランでの食事も会社帰りの居酒屋も以前のようには行けない。誰もが楽しみにしていたことがほとんど否定されてしまった。
 こんな日々がいつまでも続くものですから想像以上にストレスがたまっています。私の勤める大学病院にも毎日悩みを抱えた患者さんが大勢いらっしゃいます。近頃は各種の依存症と思われる患者さんが多くなっています。どうしても中毒性のあるものになぜか引かれていくのです。特にニコチン依存症やアルコール依存症の患者さんが目立っています。
 とはいえ、私も医師の端くれなので治療には全力を挙げています。世間では「依存症は筧直太郎に」ともいわれているようです。プライドにかけて治してみせます。完治した時の感謝の言葉が嬉しくてがんばっています。ただ、アルコール中毒患者だった人から今度一緒に飲みに行きましょうと誘われたときには正直、笑えませんでした。
 もう一つ忘れてはいけないものがあります。ギャンブル依存症です。むしゃくしゃすると競馬、競輪、パチンコという賭け事にのめり込んでしまう。これが厄介なのです。
 一つの例をご紹介しましょう。馬田さん(仮名)の場合。もともと、馬田さんはギャンブルには全く興味がありませんでした。賭け事を避けていた人です。
 ところがあるとき、馬田さんは友人に誘われてネットで馬券を買います。
といっても、お付き合いで買っただけだからと気楽にレースを見ていました。ところが見ているうちに力が入り、自分の買った馬の名前を叫んでいました。結局初めて買った馬券が当たったのです。いわゆるビギナーズラック。これをきっかけに馬田さんは競馬が楽しくてしょうがなくなりました。競輪や競艇にも手をのばし、パチンコも始めてしまいます。競馬は勝ったり負けたりするのがよろしくない。負け続ければ、もうギャンブルはやめようと気持ちにもケジメがつけられます。これで競馬をやめようという時にどういうわけか当たってしまう。ならば今までの分を取り戻そうとなる。これがギャンブル依存症の難しいところ。
 そんな時、同僚の金田先生と「馬田さんがギャンブルを止められるかどうか」という話し合いとなりました。私は可能だと主張しますが、金田先生は無理だろうといいます。私も男です。ここで簡単に引き下がるわけにはいかない。男と男の勝負です。
「絶対に治してみせます」
と言い切りました。
そこで金田先生から
「それなら、お昼ご飯でも賭けてみませんか。馬田さんがギャンブルを止められたら私金田がお昼ご飯をご馳走しますよ」
と提案されました。
 私は激しく反論し
「私は依存症対策の第一人者だ。そんな安っぽいもんじゃないよ。五万円でも十万円でも賭けてもいい。絶対に依存症を完治させてみせる」と啖呵を切ってやりました。
 ところが一週間経ち一か月が経ち三か月が経過。現在、馬田さんは競馬のみになりましたが、いまだに馬券は買い続けています。
 この「ギャンブル依存症克服問題」はかなり白熱化して、止める、止められないという大学病院全体を巻き込んだ大論争となり、筧派、金田派という派閥まで出来ました。大学内もこの論争で喧々諤々としています。
 何も知らない馬田さん本人は、キチンと通院してきます。私も万全の治療をしますが、馬田さんはそれでも競馬だけは続けたいという。
「絶対にやめましょう。馬田さんのためですし、意思を強く持ったほうがいい。今後にもプラスです」汗を流しながらの必死のカウンセリングを行います。
 やっとのことで馬田さんが納得して廊下に出ると、なぜか金田先生が看護婦と競馬のことで談笑しているのです。明らかに不自然極まりない。なぜ、競馬を止めようとしている患者さんの近くでわざとらしく競馬の話をするのでしょうか。金田先生の医師としてのモラルを疑います。
 「ギャンブル依存症克服問題」は地元でも大きな話題となりテレビ局、新聞社まで取材にきました。もう意地でも負けられません。私は五十万円も賭けているのですから。

                           おわり

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