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【短編小説】お薬 飲みますか

 某製薬会社の主任研究員・T氏は社長から指示された極秘プロジェクトに取り組んでいた。それは国の上層部からの依頼という、まさにトップシークレットの案件だった。その極秘プロジェクトとは「忘却する薬」の開発をすることだったのである。
 ここで「おやっ」と思う方もいるかもしれない。どちらかといえば物忘れや認知症対策の「忘れない薬」を開発すべきではないのか、という声も多いだろう。だが、物事というのは、まったく別の視点で考えてみることも必要である。現代社会はあまりにも忙しく様々な問題が起きており、忘れてしまいたいこともある。だが、なかなか忘れられなくて悩んでばかりいる人がどれだけ多いだろうか。あまりにもひどい場合、精神的に支障をきたすことさえあるのだ。
 そこでT氏は「忘却する薬・ワスレール」の研究に取り組み、時間をかけることなく開発を成功させたのである。この「ワスレール」を一錠服用すると一年前のイヤな経験を忘れることが可能になるという。まだ公表されていない薬ではあるのだが、ここでいくつかの症例を紹介する。
 症例1 OL・B子さんの場合
 B子さんは長年交際していた彼に突然ふられてしまう。結婚まで考えていただけにあまりにもショックが大きく、悲しくてしかたなかった。どうしてこんなことになってしまったのだろうかと、思い出すだけで涙が止まらない。そこでこの「ワスレール」を一錠服用した。ふられたのはちょうど一年まえのこと。服用後は気分もスッキリとして、彼にふられたことをきれいさっぱりと忘れることができた。そしてB子さんには元気いっぱいのさわやかな笑顔が戻った。(ただし、B子さんはあまりにもきれいに忘れてしまい、例の彼に電話をかけて怒鳴られたということはここでは問題としない)
 症例2 会社員・Dさんの場合
 Dさんは、陽気な営業マン。いつもイケイケのノリで営業成績は誰よりも優秀。だが三年前に仕事上で大きなミスをしてしまう。上司からも、かなり厳しく指導され、そのことで、ミスを再びしてしまうのではないかと、仕事自体をすることが怖くなりひどく悩んでしまう。そこで「ワスレール」を三錠飲んだところ、すぐにその大きなミスのことを忘れ、いままでのように持ち前の明るさで営業に臨めるようになり、再びハツラツと走り回るようになった。(ただし、ミスのことをさっぱり忘れてしまい、また似たようなミスが起きそうになって上司からひどく怒られたということもここではあえて触れない)
 いかがだろうか。この「忘却する薬・ワスレール」の効果は抜群であることが実証され、他にも同様の報告が多数寄せられている。ただし、副作用として忘れ過ぎてしまい、再び同じミスをしてしまうということが考えられるがそこはあらかじめ覚悟が必要になる。そう考えると、そもそも人間という生き物は失敗をするものであるから、失敗をしてもそれを受け止め、乗り越えるということが重要になるのかもしれない。

 ところで、この薬の開発指示をした人物なのだが早速、自分で「ワスレール」を服用したといっているのだが……。

「○○大臣、この賄賂疑惑の問題について答弁をお願いします」
「えー、あのー、その件に関してですが、私は、まったく記憶にございません」                                        
(了)


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