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『プレイバック』 作者:レイモンド・チャンドラー

「タフでなかったら、生きていられない。やさしくなれなかったら、生きている資格がない」

前作『長いお別れ』から4年半を経て、1959年に刊行された本作は、レイモンド・チャンドラーの七作目にして、最後の長編である。

私立探偵のフィリップ・マーロウが、朝っぱらからかかってきた電話で叩き起こされるところから物語は始まる。
電話の主は非道く高飛車な弁護士であった。その用件はワシントンから到着する特急電車に乗っている女を尾行し、落ち着き先を報告することだった。
理由について一切の説明は無く、一方的ではあったが、依頼を引き受けたマーロウは女を尾けて特急電車に乗り込み、サン・ディエゴのエスメラルダに辿り着く。そしてマーロウは、敢えて自分から女に接触をしていく。

『長いお別れ』がかなりのページ数だったのに対し、本作は最もページ数が少ない作品となっている。そして、その内容はこれまでの作品と大きく異なるところが多々有り、面食らってしまったというのが正直な感想だ。
まずは舞台。チャンドラーの作品は、これまで一貫してハリウッドやロサンゼルスであった。しかし、本作では殆どがサン・ディエゴで展開されている。
これは、チャンドラー自身がロスの変わりように嫌気が差し、1946年にサン・ディエゴ近くのカリフォルニア州ラ・ホヤに引越していたからだ。チャンドラーにとって、ロサンゼルスはもうマーロウが活躍するにはふさわしい場所ではなくなっていたのだ。
そして現地の警察について取材を行なった際に、紳士的な警官の態度に感銘を受けたチャンドラーは、サン・ディエゴの警官たちを非常に立派な者たちのように描写している。ロスやベイシティの警官たちに対するものとは大違いだ。

また、何故このようなことを書いたのかと、頭を捻らざるを得ないような奇妙なエピソードが非常に多い。
例えばそれは、突然登場した老人がマーロウに神の存在や人生について長々と話して聞かせるところだったり、別な老人から昔聞いたことのあるエスメラルダに関する見解を不意に差し込んでみせたりなどである。
そして、一番の違和感を覚えたのは、登場する女たちとマーロウが続けざまにベッドを共にし、しかも、これにしても物語には殆ど関わりはないのである。
さらには、エンディングではマーロウが結婚でもするのではないかと匂わせたところで、プッツリと幕が引かれるのであった。

このような作品になった背景としては、1954年に18歳年上の妻を亡くし、落ち込み、酒におぼれ体調を崩したことが挙げられるのかもしれない。
翌1959年に『プードル・スプリングス物語』を執筆し始めたチャンドラーは、本作に於いて本当にマーロウを結婚させてしまった。
しかし、第4章まで書いたところでチャンドラーは亡くなってしまい、その後をロバート・B・パーカーが引き継ぎ完成させている。
だが、私は読む気になれず未読のままである。


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