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『コンテンツ・ボーダーレス』 作者: カン・ハンナ

「コンテンツひとつで全世界を飛び回ることが出来る、無限の可能性が広がる時代なのです」
そう言う著者は、韓国ソウル出身。2001年に来日し、国際社会文化学者として韓国や日本など東アジアのコンテンツを様々な角度から研究してきた。また、タレントとしてメディアにも登場している女性だ。
彼女が思うに、「コンテンツ」というものは、どの国のものにもそれぞれ個性があり、歴史がある。その為コンテンツを作るうえで最も大事なのは、自分らしいアイデンティティーを持つことであると言うのである。
日本のコンテンツには「余白の美しさ」がある。
そう訴える著者は、日本のコンテンツはこれからどうすれば良いと思うか? という問いに対して、「エルメスになってください」と答えた。

2010年以降は、YouTube、Netflix、Amazon Prime、Spotify、TikTokなどのプラットフォームが次々と登場し、世界中のユーザーをどのプラットフォームが一番獲得出来るかということにしのぎを削った。
だが、現在。2022年は「プラットフォームの時代」から「コンテンツの時代」への転換期だとも著者は訴える。
プラットフォームがコンテンツより力を持っていた時代は終焉を向かえ、今やコンテンツがプラットフォームを選ぶことが出来る様になった。
著者との対談コーナーで明石ガクト氏も、今、プラットフォームがコンテンツのボーダーを無くしている、と言っている通り、スマートフォンの普及とSNS時代の到来によって、誰もがコンテンツを発信出来る様になった。
また、アメリカから火がついて、段階的にグローバルヒットに至るなどといったかつての環境すらも、インターネットによって全世界的に同時多発的なムーブメントを起こせる世界がやってきているのだ。

「コンテンツやカルチャーがグローバルビジネスになる」
1990年代末頃から韓国はコンテンツ・ボーダーレスの可能性を実感していた。韓国は早めにコンテンツをパッケージ化して売り易い形にし、中華圏への輸出を始めたのだ。
そして、隣国である日本へも本格的に進出を始めた。
2001年にBoAが日本デビュー、2003年にはドラマ『冬のソナタ』がNHKで放送された。韓流ブームの到来である。
人口数からして国内需要に限りがある韓国は、1997年の国内金融危機以来、海外からのマネー確保を図ることを進める以外に選択肢は無かったと言える。
少子高齢化が叫ばれて久しい我が日本に於いても、外貨獲得は当然ながら最優先課題であろう。
そんな、境界のない時代の新しいコンテンツ戦略は、間違いなく学ぶべきことなのだ。
国境も、言語も、クリエイターと消費者という枠組みさえ、あらゆるボーダーは無くなった今、どう生き抜くか。
その答えは「自分らしさ」にこそあるのかもしれない。
そして、何十年経とうが変わらぬコンテンツの本質とは、「感動」と「共感」を与えることなのだ。


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