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美味しく飲んで、意識せずいつの間にか健康に。カテゴリー・クリエイターへの挑戦 Vol.1

始まりは2008年末か、2009年の始まり頃だったと記憶している。

その頃、私は或る上場会社のグループ企業の社長を務めていた。
その会社は、元々は独立系のベンチャーキャピタルであったのだが、2004年頃からのベンチャー企業ブームにより、投資業務、M&A業務などで一時は好調であったものの、2006年にはライブドアショックを契機として、新興株式市場が壊滅的な状態に陥り、ベンチャー企業が集う某団体の運営母体も行なっていた為、その会社はついでに反市場勢力(反社会勢力ではない。株式市場に於いて好ましからざる存在というものだ)という謂れのないレッテルまで張られてしまった。
そのため、ベンチャーキャピタル業務を単体で存続することに見切りを付け、2006年11月に上場企業のグループ入り、いわゆる身売りをすることとなった。

しかし、グループ入りしての直後に、親会社がホールディングカンパニー化を発表した。
そして、当社以外にももっと重要なM&A取得案件があったりもしたので、グループとしての最優先事項は組織改編。
グループ入りしたは良いものの、長い間当社はテコ入れされる訳でもなく、殆ど放置状態にあった。

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当面ベンチャーキャピタル業を続けることは諦めていたので、とにかくやることが無い・・・。
そこで、可能な限り未上場会社からの投資回収に努めることになった。

私は、その会社には2002年11月に転職で入社。2006年11月当時は取締役管理本部長であった。
決算財務状況や株主総会議題のチェック、株式の評価替えなど、投資後のポートフォリオの管理と窓口も担当していたことと、抱えていた営業マンを親会社へ吐き出してしまっており、他に投資業に関わる者がいなくなってしまっていた為、投資先からの回収業務に於ける交渉の矢面に立つのは自然と私になった。

結果、トータルで十何億円を回収。
その気があろうがなかろうが、そりゃ嫌でも目立つ。

創業者が去り、その後、親会社から派遣されてきていた社長が退社することになった際に、会社に残っていた人間の中から、なんと言うか、雰囲気としては「取り敢えず場繋ぎ」の感覚でチョイスされた私は、断る理由も別に無い訳で、「ああ、そうですか」と、社長就任を引き受けたのだった。

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一年程の活動で回収業務にも目処が立った。会社は何か次の事業を探さなければならない時期を迎えていた。

2008年9月、親会社の代表からの希望により、リーマンショック後の元気の無い経済社会をなんとかしよう、中小企業が集い、力を付けよう、また、これからはアジアの時代だ、日本の企業にこだわることのない、アジアの企業が共に衆知を結集出来る場を作ろう、という趣旨を持ったビジネス団体の立上げを始めることとなった。

当社は事務局として、会員企業を集めたり、様々なイベントを催したりと活動を始めることになったのだったが、これとはまた別に、何か実業を見付ける必要があった。

そして2008年末か、2009年の始まり頃に話は戻る。
またも親会社の代表から呼び出しを食らった私は、或る商材の販売を持ちかけられた。
「なんか詳しいことはよく知らないんだけど、これ体にいいものなのに、全然売れてないんだよねー」
と言うその商品が、サプリメント「MCM」だった。



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