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Rambling Noise Vol.74 「ONE FROM THE HEART その4」

光陰矢のごとし。
巷間移ろい易し。
合コン成し難し。
好演ムロツヨシ。

もうええわ。


時は流れ流れて、アサノさんが恐らく高校生の頃かと思う。
家庭用ビデオデッキが、この世に出現した。
アサノさんにとって夢の様な家電製品だ。もう自らの耳目に頼らずとも、精々カセットテープで音声だけでもセーブするなんてことをしなくても良くなるのだ。

無論、そのビデオデッキの購入に関して親に頼んでみたところで無理なことは判っていたし、事実その通りの結果となった。仕方がないので友人の斉藤くんの家業の質屋でナショナル(パナソニックじゃないよ)のビデオデッキを廉価に自腹で手に入れたアサノさんは、アニメもそうだが、主にテレビで放送された松田優作の映画やドラマを録画しては繰り返し観ていた。

ところで、もうその頃には、各テレビ局ではアニメや特撮番組の再放送はやらなくなっていた様に思う。
特撮は判る。とっくの昔に怪獣ブームは終焉していたからだ。
しかし、アニメの方はなんでなんだろう。アサノさんが小学生だった頃は、あれほど頻繁に放送されていたというのに何故だ。

夫婦共稼ぎ、子供は塾。学校から真っ直ぐ帰ってきてテレビに噛り付くなんてムーブは既にして根絶されてしまっていたのかもしれない。


高校生にもなると、実は非道く個人的な諸事情が有って、アサノさんの漫画やアニメに対しての熱はだい〜ぶ下がり気味となっていた。即ち、アサノさんの趣向の対象は俄然、松田優作に集中する羽目になっていたのだ。

ひたすら松田優作愛を示すアサノさんに向かって、お父ちゃんが不意に声を掛けてきたことがあった。

「そんなに興味が有るなら、石原プロに紹介してやろうか」


勿論、茨城弁で。バリバリので。


デビューしてから相当の期間、松田優作が原田芳雄の演技をなぞっていた様に、当時のアサノさんも松田優作の模倣をしがちであったことも、お父ちゃんがそんなことを言ってきた要因なのかもしれない。

しかし、どうしてだ?
アサノさんにとって、お父ちゃん、お母ちゃんを始めとし、教師だってなんだって、大人というものはワケも判らず「NO!」と言ってはやりたいことに蓋をする邪魔者でしかなかった。

この際だから、いや、どの際でも構わない。


言っておこう。アサノさんはお父ちゃんのことが好きではなかった。尊敬もしていなかった。しかし、憎んだりしていたワケではなかったし、育ててくれたことに感謝はしていた。 ただし、その感謝の念さえも、上京して一人暮らしを始めてみてから実感したことであった。

(続く)

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