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支援とは、解決することではないのだという気づき

基本相談支援をする、相談支援センターで働く者の感想です。


藁にもすがる思いで電話をかけてきてくれたであろう相手に、状況お聞きすると、結局打つ手は限られていたり、私の機関で力になれることは何もなかったりすることがあります。

そういうときってすごく悔しいと思ってしまうんですが。


そもそも、何年あるいは何十年も積み重なってできた課題や、長年その人を苦しめてきた環境を、電話一本や1時間の面談1回で解決できたらそれはもはや魔法使いです。スーパーマンです。瞬く間に話題となるでしょう。
だから、継続的な関わりが必要なんですよね。

その1回で、解決は難しかったとしても、その1回目の電話をかけてくれたこと、来所してくれたことは大切に労って、次回に繋げていきたいと思う。


加えて今は、本人主体の原則があるので。
本人の人生の決定権は本人にあるのです。

このあたり、頭じゃわかっていても実際に困っている相手を目の前にすると難しいなぁと感じます。
どうしても、何かないかな、助けてあげたいな、と思って、ときどき先走ってしまいます。

でも、人生の舵取りは、本人にしてもらわないといけない。こちらがいくら良かれと思っても、操縦席にとって代わっちゃいけないんですよね。


そう考えると支援者の役割って、福祉サービスに関する情報はたくさん持っているからその情報提供はしつつも、そうやって支援者と本人で情報つき合わせて、本人の感情を受け止めながら整理して、「結局この道が良さそうだよね」というのを一緒に確認していくこと、なのかもしれない。

「こういう手もあるよ」というこちら側の提案が、相手にハマるかどうかも相手が決めること。
押しつけは、偽善になってしまうんだろうなぁ。



相手の望む、それこそ魔法のような対策が見つけられなければ、では支援者は無力なのかというと、たぶんそうではなくて。
人間、ひとりじゃないんだと思えるだけでも、あとひと踏ん張りできることって、あると思うんですよね。
状況が何か変わるわけでなくても、気持ちを外に吐き出して、それを聞いて受け止めてくれる人がいるだけで、気力が湧いてくることもある。
喜びや悲しみを一緒に感じてくれる人がほしいときもある。


相談に来られた方と話をしていると、その過程があるから本人が前へ進んでいく、本人が(良い意味で)勝手に問題解決に向かっていく、そういうことって確かにあるなぁと感じます。


時には、がっつり介入が必要なときもあるけれど。


支援者は、無力でもないがスーパーマンでもない。微力ながら、本人の隣に立つ。
そういうことかな、と感じています。


まだまだ駆け出しですが、日々悩みながらもがんばりたいと思います。

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