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ワーカーの大変さがうまく言葉にできない

表題のような話を、先日、専門学校の同期たちとお話ししました。

なんか……ええと、大変ではあるんですよ。
私の場合、前職は残業あって1日に13時間労働とかしてて、平日に加え土曜出勤もあったから年間休日100日とかだったんです。
それに比べると今の職場は、長くても10時間労働で帰れるし週休2日は確保されているので、労働時間的にはラク、なはずなんです。

でも、疲労感は、半端ないです。
帰ってご飯食べて横になったら気絶(いつの間にか寝てて気づいたら深夜)なんてことが続く時期もあります。


でも、何がそんなに大変なの? と聞かれた時に。
なんかうまく説明できないんですよね。


どこどこに同行した、自宅を訪問した、電話相談を受けた、関係者会議を主催した、云々。
個人情報保護の意味合いもあり、あまり多くを外で語れないせいもあるからか、言葉にすると業務内容はそんなもんなんですよ。

しかも、ワーカーって、たいていの場合、直接的な支援をするわけではない。
医師や看護師のように、医療行為をできるわけでもなく。
社協や福祉事務所の職員のように、お金を貸したり預かったりできるわけでもなく。
住宅や仕事を斡旋できるわけでもなく。


支援者からみると、こうした方がいいのに、と思って本人に提案してみるも、本人の意思が違うところにあれば無理強いはできませんし。
本人の人生の舵取りはできませんのでね。横でやいのやいの言うだけっちゃあ、そうなのかもしれん。

なんだか無力感に苛まれる日々……。


それでも、ワーカーの仕事が無意味なんてことはないのですが、「関係機関との連絡調整」「本人の意思決定支援」って、やっている側からしてもすごくイメージが難しい。
個別性も高すぎて、こういうことしてる、ってなかなか言えない。成果は数値化できるものばかりでもない。
(だからお給料低いのかなぁ……)


感情労働って言葉は個人的にあまり好きではないのですが、複雑なケースほど神経すり減らして対応する場面も多くなるわけで、一方その場では毅然とした態度でいないといけないことも少なくなくて、いつも退勤とともにどっと疲れが襲いかかってくるのです。


あと、これが正解、という支援もないのがまたなんとも。
正解がないということは、不正解もないわけだと私は思っとるんですが、つまりは「もっとこうした方が良かったのではないか」「支援者が私でなければもっとうまくいったのではないか」という不安から逃れられないということでもある。
誰がやっても同じ、には決してならないからこそ、唯一無二の自分という支援者像を常に問われているわけで。

このプレッシャーもまた、意識するとしんどいよなぁ。



うまくいった! なんて思えること、ほとんどない。


相談に来た人に、ときには冷たく思われるだろうこと言ったり、泣かれたり怒鳴られたりもする。


でも。
それでも。


私は今の職に転職してよかったと思っている。
不思議ですねぇ。
いつか、やりがいに関する記事も書きますね。


さあ、今日もがんばろう。

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