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奨学金や学費減免は、学費を安くすることとは根本的に違います

日本の大学生に対する経済的支援が、2010年代後半ごろから改善の兆しを見せています。
返す必要がある学資援助を「奨学金」と称して大々的に展開していた日本学生支援機構は、家計基準が厳しく小規模ながらも、2017年度から日本の学生向けに給付奨学金制度を始めました。
民間の奨学財団による給付奨学金事業も増えています。民間の奨学財団の給付奨学金は採用者が少ない(1年に十数人程度がザラ)ことが定説でしたが、2018年に設立されたキーエンス財団など、数百人規模で給付奨学金を支給する団体も現れ、多くの学生にとって給付奨学金が身近な存在になりました。

2020年から始まった高等教育の就学支援新制度では、家計が厳しい世帯の学生が一定の条件を満たした場合に、給付型奨学金の支給に加え、授業料・入学金の減免がなされています。

奨学金や学費減免によって経済的に助けられる学生は多いです。私(朝森久弥)もそのひとりでした。私は2006年に某国立大学に入学後、授業料は免除されなかったものの、日本学生支援機構の第一種奨学金(貸与奨学金)を約600万円、さらに某民間奨学財団の給付奨学金を約700万円得て学生生活を送りました。おかげさまで大学・大学院の計9年間の学生生活を一人暮らしで過ごすことができましたし、今は学んだことを活かした仕事で生活することができています。

それでは奨学金や学費減免が充実しさえすれば、学生の経済的地位によらず教育機会が保障されるのでしょうか?私はそうは思いません。やらないよりはマシですが、あくまで対処療法であり、制度上の根本的な限界があることを認識する必要があります。私の実体験を踏まえて解説していきましょう。

そもそも足りていない

日本の大学の学費は高止まり、あるいは値上げが続いています(私立大学の医学部の一部を除く)。文部科学省の調査によると、2021年度の私立大学(学部)の初年度学生納付金等平均額は約148万円でした。この金額は少なくとも過去10年間はほぼ変わっておらず、むしろ若干増えています。また、国立大学の授業料は標準額(年間53万5800円)が定められていますが、東京工業・東京芸術・千葉・一橋・東京医科歯科大学の5大学が2019年度・2020年度に約10万円値上げしました。

「学生納付金」という言葉が使われていますが、国公私立を問わずほとんどの場合、学生本人が納付できる金額ではないでしょう。学生本人ではなく、学生の保護者が納付することが前提とされているのです。
学生の保護者なら納付できるのかと言えば、決して簡単ではありません。日本学生支援機構の令和2年度学生生活調査によると、大学生がいる家庭の年収は800万円前後であることが多いです。

この程度の年収の場合、授業料はたいてい免除されず、日本学生支援機構の第一種奨学金(無利子)も通るかどうかギリギリのライン。ですから、ひとまず学費は支払えるよう積み立てておくことになると思います。ざっくばらんに言って、国立大学なら約300万円、私立大学なら約600万円いるでしょうか。大学進学を機に一人暮らししたいとなれば、4年間で約400万円(月額8万3333円)は追加で欲しいですね。理工系なら大学院進学がデフォルトですから、修士課程だけだとしてもさらに2年間追加です。…どうでしょう?あなたが年収800万円世帯の主たる家計支持者だったら、我が子には国立大学に、あるいは自宅から大学に通学してほしいと思いたくなりませんか。
では頑張って国立大学を目指してもらうとして、塾や予備校に通いたいと言われたらどうでしょう?何せ国立大学の受験生には、私立の中高一貫校でカリキュラムを先取りしてきた人も大勢いて、彼らも含めた競争に勝たなければなりません。我が子に"無課金縛り"をさせますか?
大学に入ったらアルバイトをして稼げばいいという考え方もありますね。ただ、今の大学は概して忙しいですし、周囲の学生が学業に打ち込んでいる時間をアルバイトに当てるのは成績面でも不利です。試験前に都合よく休めれるならともかく…。いずれにせよ学業第一で大学に通うならば、アルバイトで学費や生活費を稼がずに済むに越したことはありません。
このように、現時点で奨学金や学費減免の対象でない世帯にとっても、大学の学費は重い負担です。それなのに行政から「奨学金や学費減免を拡充したから大丈夫でしょう」とか言われたら、たまったものではないですよね。実際、大学に投入される補助金(≒税金)は大して増えていないからこそ、前述の通り学費が値上がりしているのです。

学生生活の自由度が低い

民間奨学財団の奨学金に顕著ですが、奨学財団が指定する特定の学校に在籍していないと応募できないことがよくあります。ここで言う「特定の学校」は、いわゆる有名大学であることが多いです。たとえば早稲田大学は、非常に多くの奨学財団に指定されていますね。以下のリンクにある「大学推薦対象団体一覧」をご覧ください。

私は早稲田大学ではなく地方にある某国立大学出身ですが、母校を某民間奨学財団が指定してくれていたのは本当にラッキーでした。そこらの企業も真っ青な学歴フィルターだったと思いますが。
学費減免も、いわゆる有名大学の方が得られやすい傾向があります。いわゆる有名大学には経済的に恵まれた家庭の学生が多い傾向があり、学費減免を申請しようとする人が少ない傾向があるからです。大学が学費減免に充てられる枠は決まっていますから、申請者が少なければ通る確率は上がりますよね。
以上のことから、奨学金や学費減免を得る確率を上げたいならば、いわゆる有名大学に進学するのが効果的です。けれども、誰もがいわゆる有名大学に進学したいと思っているわけではありません。仮に進学したいとしても、塾や予備校、私立中高一貫校などに"重課金"されている人に勝たないといけないわけです。

奨学金や学費減免を得ている、あるいは得たいなら、大学入学後の成績はもちろん良くする必要があります。成績評価が厳しい、いわゆる「鬼」な教員の講義は極力避けるべきでしょう。たとえ、その講義の内容に自分が強く興味を持っていたとしても。
私は大学1年生の時は、貸与奨学金である日本学生支援機構の第一種奨学金しか得られていなかったので、給付奨学金を得るために、とにかく成績を高めることに精を出しました。その結果「優」を8割以上獲得し、その成績が評価されて大学2年生の時に某民間奨学財団の給付奨学金を得ることができました。当時はリーマンショック前だったので、採用倍率もそこまで高くはなかったようです。また、東京大学のような進振り(入学後の一般教養の成績が良い順に学部学科を選べる制度)がない大学だったので、一般教養の成績を良くすることに執着する学生が少なかったのも奏功したのでしょう。睡眠時間は相当削りましたが…。

また、留年・休学をしようものなら、奨学金や学費減免は停止か打ち切りです。寄り道する人生は許されないのです。
個人的には留年・休学が悪だとは思いません。たとえば、健康上の理由で休むべきことはあるでしょうし、起業するときに学生の身分を残しておきたいからという理由で休学するのは賢い選択だと思います("学生起業家"という肩書は何かと便利)。

私は大学2年生の夏休みに、50日間の世界一周一人旅をしました。旅費(約80万円)は激しい学業のかたわらアルバイトで稼ぎました。世界を旅することは私の人生を賭けた目標のひとつであり、大学生のうちに何としても成し遂げたかったからです。この辺の詳細は以下の記事もご覧ください。

世界一周一人旅の途中で、同じく世界一周中の日本人学生と何人か出会いました。彼らはみな、半年~1年くらいかけて旅していたんですね。もちろん休学した上でです。「せっかくの世界一周なのに、なんで休学しないの?」とも聞かれました。本当にもっともな疑問だと思います。奨学金をもらう必要がなかったら、私もそれくらい旅したかったですよ。

私は給付奨学金のおかげで大学院博士課程まで進学することができました。博士課程を修了するのは簡単ではありません。分野によって差がありますが、私がいた研究分野では博士課程で約半分の人が留年します。覚悟して進学したものの、研究成果を上手く出せず、博士課程を修了するには留年する必要がありました。周囲には実家暮らしで奨学金を借りることなく、1年どころか2年以上留年して修了を目指す博士課程学生もいました。一方、私は留年すると奨学金は打ち切られ、一人暮らしなので生活費もかさみます。これ以上借金を増やしたくなかった私は、博士課程3年を終えた時点で満期退学し、内定をもらっていた現在の職場に就職しました。もっとも、あのまま研究を続けて私が幸せになれていたかは分からないですけどね。

「親ガチャ」に左右される

「親ガチャ」という言葉はあまり使いたくないのですが、分かりやすさのためにあえて見出しに付けました。ここが最も深刻で、注目されるべき問題点だからです。

奨学金や学費減免は、学力基準や家計基準によって審査されて採用が決定します。学力基準はともかく、家計基準はふつう学生本人ではどうにもなりません。世帯年収が基準を超えていたら採用されないのです。「世帯年収が基準を超えているということは、学費を保護者から出してもらえるはず」という理屈です。
ところが、保護者との折り合いが悪いなどの理由で、経済的には学資を出せるにもかかわらず、保護者に学費を出してもらえないことがあります。この場合「世帯年収が高い」という理由で奨学金や学費減免に頼ることもできません。仮に世帯年収が低かったとしても、奨学金や学費減免の申請に必要な書類(源泉徴収票など)を保護者に用意してもらえなければ、永遠に申請することができません。さらに言うと、日本学生支援機構を含む大抵の奨学金には連帯保証人または保証人が求められるので、保護者の承諾なしに奨学金を得ることはふつう無理なのです。

保護者に学費を出してもらえないので、家出して自分の稼ぎで大学に通う!というのを実際にやってのけた、Tritama氏のブログ記事を紹介します。保護者に学費の支援を拒絶され、奨学金や学費減免の申請もさせてもらえず、保証人が立てられないので家出しても部屋も借りられなかった状況が赤裸々につづられています。

私には絶対に真似できませんし、このような境遇を強いる社会はあってはなりません。

学生にとって、学費を出す保護者はスポンサーです。口を出さない「良心的な」スポンサーもいるかもしれませんが、それはあくまでスポンサーの善意に任せられています。一般的には、出資する額が多ければ多いほど、口を出したくなる、何らかの対価を求めたくなるものです。

教育に理解がある、正確に言うとその学生の学歴獲得に投資する価値を信じている保護者であれば、学費を出すことは自然な発想でしょう。しかしそうした保護者であっても、「○○大学でなければ認めない」「□学部に入らなければ勘当する」などと言って受験生を追い詰める事例は枚挙にいとまがありません。

「自分で働いて稼いだお金で大学に通えばよい」という意見もあります。私はいわゆる社会人学生を何人も見てきた結果として、一度働き始めた人が大学などで学びやすくなる仕組みは一層整備するべきだと考えています。
それはそれとして、現代の日本は、若いうちに高等教育を受けることで職業の選択肢が増えやすい構造になっています。そうした構造がありながら、学生の学費を保護者が出すことが前提となっているとすれば、職業の選択肢が保護者の意向によって左右されると言っても過言ではありません。

学びの生殺与奪の権を、保護者に握らせるな!

主体的な学びは、学費を下げた先にある

奨学金や学費減免は学生を支援するものでありながら、学びの自由度を低くしたり、進路選択の主導権を保護者に握られるデメリットがあることを解説しました。奨学金や学費減免によって実質的な学費負担が減ったとしても、それは学費が同じ額だけ安くなるのと等価ではありません。純粋に学費が安くなれば、上記のデメリットは生じないからです。
それでも学費が安くならず、奨学金や学費減免の拡充ばかりが進む背景には「教育の受益者負担」の思想があります。教育は学生がメリットを受けるのだから、学生が負担すべきだという考え方です。その前提のもと、困っている人だけ助けてあげるね、というのが奨学金や学費減免です。

大学の学費そのものを下げるには、より多くの税金を大学に投じる必要があります。有権者の理解を得るには「そもそも教育は学生本人だけが利益を得るものなのか?」が問い直されるべきでしょう。たとえば大卒者を採用する企業もまた、大学教育の利益を享受しているはずです(そうでなければ、非大卒者を雇えばいいはずですから!)。大学に限らず、より多くの人が教育を受け、それが社会に活かされるなら、社会全体が利益を得ているはずで、ゆえにその費用は社会が負担する(=税金を投じる)理屈が成り立つはずです。

もっとも、受益者負担の思想をどうにかする以前に、学費がこれだけ高い現状では、学費を負担する人と教育を受ける人が異なっていて、「受益者負担」がいつのまにか「保護者の責任」、もっと言うと「親ガチャの結果」にすり替えられています。保護者にお金があるからと言って、自らが望む学びを得る機会に困っていないとは限りません。
こうした観点だけでも、学費そのものを下げることこそが、あらゆる境遇の学生の主体的な学びを応援する、より公正な道筋ではないでしょうか。

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