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苦しかった小1の壁「登校渋り」を乗り越えて「日本子育て支援大賞」を受賞した話


難産サービスが認められた喜び

 PMとして仲間たちと0→1で創ったサービス(最短1時間で手に入るお名前シール『ぺたねーむEXPRESS』)が、この度『日本子育て支援大賞2024』を受賞した。

 心から嬉しい。こんなに嬉しかったのは、サービス開始後初めての注文を見て、うるうるした時ぶりだ。
 私自身が、子育てで経験した苦労をきっかけに、100名以上のママたちの話を聴き、課題を解決するために2022年にローンチしたこのサービス。
 これまでなかった顧客価値を提供するために、業界で前例がなかったバリューチェーン構築にチャレンジしたから、それはそれはもう難産だった。ここには書ききれないほどの試行錯誤を繰り返し、チームの仲間たちと粘り強く壁を乗り越えてようやく世に出せたサービスだった。

 だから、多くのユーザーから「このサービスに救われた!」と嬉しい声をいただけるようになったこと、更にこうやって社会的に認めてもらえたことで、本当に苦労が報われたなと思う。

 この節目に、私が過去10年間の子育てと仕事の両立で、最も苦しかった1年間のことを書き残そうと思う。

高すぎる小1の壁

 サービス開発に奮闘する少し前から、息子の激しい「登校渋り」が突然始まった。小1の2学期から始まり、完全に抜け出せたのが小2の2学期。
約1年、出口の見えないトンネルの中をさまよった。通常の「小1の壁」を遥かに上回る壁に直面したのだ。

 毎朝「行きたくない!」と号泣する息子を教室まで送り届けるのに1時間(10分の距離)。しがみつく手を振りほどいて、後ろ髪引かれる思いでバイバイする毎日。
「ママが授業を見ててくれたらボク頑張れる」と言うから、PCを膝に置き1日中廊下や教室の隅から授業を見守り、お昼は給食時間にポケットに忍ばせたカロリーメイトをこっそり食べ。オンライン会議の時だけ自宅に戻り、学校⇄家⇄時々会社を1日何往復もする日々が数ヶ月続いた。
朝の送りは、夫はもちろん母たちにも時々来てもらい分担していたものの、「授業を見ていて欲しいのはママ」だったから、代わりがいなかった。
先生曰く、いわゆる母子分離不安というもので、毎年低学年に数人いるそうだ。隣のクラスにも同じ状況の子がいて、毎日顔を合わせるお母さんとは、目が合うと心の中でエールを送り合っていた。

 「私が忙しいせいで向き合ってあげられる時間が短いから…?」と自分を責めた。「学校に無理やり行かせることが正解ではないかも…でもどうすれば?」と、出口の見えないトンネルから抜け出せず、過去10年間の子育てで最も悩んだ日々。
でもある日サポートの先生に言われた。「今とても大変だと思うけど、頑張っているお仕事は辞めたりしないでほしい。過去に同じ状況でお仕事辞めちゃったお母さんを見てきているけど、それが正解とも限らない。そのために私たちがサポートするし、出口は必ずあるから。」と。仕事が好きだけど、このままでいいのかと悩んでいた時に勇気づけられた言葉だ。

 日中は子どもと向き合う時間が必要だった。
仕事は仕事で、難所を乗り越えるためにチームを物理的にも精神的にもリードする役割だった。うまくいかなくて大変でも、私のパッションを信じてみんなが協力してくれた。
その両立と、睡眠時間の確保にとても苦労した。
でも、仕事は誰かにやらされてるわけではなく自分が諦めたくなかった。
同じように両立を頑張っているワーママに必ず役に立つ価値あるサービスになると信じていたから。

ある本との出会いで好転

 色んな事を試した中、母に薦められて、ある本に出会った。その本に書いてあったことを毎日実践してから好転した。
「レジリエンスを高めるために、子供の心の自信のコップの水を満タンに満たそう。母親が「あなたは○○できる能力がある!ママ嬉しい!」と毎日3分言い続けること。それにより自己肯定感・効力感が高まり、学校で嫌なことがあっても跳ね返せるようになる」というような趣旨だった(私の解釈も加えているので若干表現は違う)
毎晩寝る前にそれを続けた。
「今日はトカゲをつかまえたよ」
「え?!すごーい!あなたにはトカゲを見つける能力があるね!嬉しい!」
という具合に(苦笑)とにかく何でも褒めた。

 子どもの気持ちは、不確実性高くコントロールできない新規事業と似ている。
どちらも先が読めず不安との闘いだったけど、不思議と気持ちは前を向いていた。絶対乗り越えよう!と。
なぜなら、プライベートの問題も仕事の問題も協力してくれる人が沢山いてチームで取り組んでいたからだ。
そして最終的には、同時に現れた2つの壁を乗り越えることができたのだ。1年以上の長いトンネルを抜けた時は、涙が出た。

両立を諦めなくてよかった

 小4になった息子は、毎日楽しく学校に通っている。好きな子もできた。

 あの時なんで学校に行きたくなかったの?と聞いてみた。「保育園みたいに自由じゃないし、まだ仲の良い友達がいなくてつまらなかった。だからママと離れるのが心細かった。」ということだった。息子も新しい環境で頑張っていたのだ。

 そして最近「ボク、早く大人になってお仕事がしたい!ママがいつも楽しそうだから!」と言ってくれる出来事があった。メディアで紹介された時に誇らしくと思ったのと、在宅の時、よく会議で「あはは!」と楽しそうに笑っているかららしい。笑
心のどこかでずっと感じていた「罪悪感」が消えた瞬間だった。
両立を諦めなくてよかった。

罪悪感は捨てていい

 ケア責任を担いながら仕事でも責任を担うことは、一言で語れないほど大変だ。私も子どもが生まれてから、悩みや不安を抱えていなかった時期は一度もなかった。何より、謎の「罪悪感」をずーっと抱えてきた。子を持つ前の働き方や、理想の母親像とつい比べてしまい、どちらも100点じゃなくて中途半端だと。(今思えば無理のある比較だ)

 でも、親がポジティブに頑張る姿を子どもは見てくれているのだ。「仕事で忙しいママ」ではなく「誰かを幸せにするために頑張っているママ」に見えていて、未来を想像する時の希望になっているなら、充分役割を果たせているのかもしれない。

 昔、育休前後に携わっていたプロボノで、「もりちさん」こと森本千賀子さんとご一緒させていただく機会があった。悩み相談した私にかけてくださった言葉があった。「子どもとの時間は「長さ」より、愛情や学びを感じられる「密度」の方が大事。働いている姿から与えられることも沢山ある。一緒の時間が短くても気にせず、あさみさんらしく頑張って!」と。10年間ずっと頭の片隅にあって時々勇気づけられていたが、今、改めてその言葉の意味を噛み締めている。

 もし今、罪悪感を感じている人がいたら、同じように言葉をかけてあげたい。

最後に

 子育てと仕事の両立に苦労する女性たちを、当事者の一人として見てきたから「世の中の同志たちに、心と時間にゆとりを提供したい。ちょっとでも楽になってほしい。」
そんな想いでサービス創りに挑んだ。
過去に自分が苦労した経験が積み重なって、思うようにいかない時も、諦めずに乗り越えるモチベーションの源泉になっていたのだ。Connecting the dotsな生き方をしてきた私にとって、今回の「最も苦しかった1年間」の経験も、いつか「つながる点」にきっとなるはずだ。

 インタビュー協力やユーザーとしてのフィードバック、口コミで広めてくれたり、苦しかった時の励まし・息抜きなど、沢山の友人に助けてもらった。
そして、子育てプロジェクトパートナーの夫やサポーターの母たちがいて、私の意思を尊重して助けてくれた上司がいて、その上でチームの仲間たちみんなで創ったサービスが今回認めれられたのだ。みんなで取った賞だ。
こうやって振り返ると、困った時に手を差し伸べて応援してくれる人たちが周りに沢山いることに気づく。改めて感謝でいっぱいだ。



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