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眼差しとばあさんの鬼義理

去年でしょうか、ニュース等で少し話題になった医大生の入試問題。

コレを読んだ時真っ先に、この記事が ”医大” の入試である事がものすごく腑に落ちた事を覚えています。しかも今読み返し、今後もっとこんな議論がなされるべきだと思えるのは、世界的パンデミック下で衛生面や価値観の違い問題が浮かび上がり、それをどう他人に伝達・共有するかという問いに近いと感じるからです。

眼差しの行方の問題であって直接的な解答を求めないから、その人の素質というか、対患者にどう接するかが正直に見えてくるような気がします。まだ現場に立たない若い人達に医療というイメージを固定せずに伝達し、どのような答えが返ってくるだろうか。この問題を作った人(達)が医者であれば患者になりたい!と、思うほど私の理想的医者像が浮かんだのを覚えています。(どのような経緯で入試問題って作られているんだろ・・。)現代日本の医療において必要な視点とか眼差しとか、的を得ているなあと感心しました。

・・・と、医療従事者でない私がそう思えるのにはやはり、現在の介護・援助生活が影響しています。もう、もろにこの問題凄い!となったので。そうそうそうそう!と、なったので。。。(去年のニュースですが、今日思いだし再燃)

内容は以下

問題】高校の授業の一環として稲刈りの体験作業があり、自分はそれに同伴した指導者であると想定する。
農家の高齢の夫婦がお礼にとおにぎりを握って持ってきてくれたが、多くの生徒は知らない人の握ったおにぎりは食べられないと、たくさん残した。これについてどのように考えるか。また生徒と農家の方にどのように話すか
[問1]
あなたは、おにぎりを食べられない生徒に対しどのように指導しますか。

[問2]
あなたはこの事実をおばあさんにどのように話しますか。

(2019年 横浜市立大学 医学部医学科小論文試験 改題)


今後きっと、衛生問題はふえるだろうし、手作りが苦手な子供や親が制限する事も増えてくる。アレルギーとかもあるなあ。私自身は当然だと思うし、鬼義理大好きだけど、誰かが他人の握ったおにぎり食べられないからと言って失礼とは思いません。むしろその逆というか、時代がそのような流れでたどり着いたのなら、過去は厳重に守りつつ、現代に合う方法とかルールで人間像を作っていけばいいと思うのです。

若者が時代を作って感性と新しい基準で生きようとする際に、昔はこうだったからと一方的に投げかけたり、逆にスピードと力で自分たちが歩んだ道を古い考えとバカにする事はできません。だから、どちらも悪気がないのに、その行動が互いの悪影響になった場合、橋渡し的な第三者の存在は偉大です。伝達者とか、眼差しの存在の重要さを感じずにはいられません。

様々な方向からとらえられる問題文ですが、私の場合、ペルーでの共同生活や経験から、   

・良いと思って誰かがした(してくれた)行為が、時代や環境、趣向、身体精神等々に合わない場合、第三者はどのような伝達方法・行動をとるべきか。

と言う内容ににくみ取りました。

ただ本心を伝えるのか、両方、または片方のみを傷つけないように指摘するのか、優しい嘘をつくのか・・・。100人が100人とも違う解答になるこの入試問題で、どれくらいのお医者さんの卵と呼ばれる人に出会えるのでしょうか。




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