小説版・この道の先に  Vol.12

戦争がやっと終わったと思ったら、教育制度や漢字の表記や諸々に手が入れられた。戦争が終わっても、俺にとって大人は、どこか信用できなかった.
それでも抗い切れず、長いものに巻かれているような自分が嫌になるけれど、ただ、思い切り走れることが救いで、俺は毎日のように走った。

父の勧めで、俺は叔父の母校の大学付属高校に入った。
「そんなに走りたいなら」と、良かれと思って言ってくれたのだろう。
それでも、俺は4歳の時に見た景色を忘れることはできなかった。
そのことを知った周りは、俺にいろいろ言ってきたけれど、
俺は箱根駅伝を初めて見た時から、ずっと憧れてきた選手と同じ大学に進んだ。
周りがなんと言おうと、俺はそうしたかった。
幸い、1年目から入部を認められ、箱根駅伝も走らせてもらえたけど、7区を走って区間9位。
チームの順位を上げることも、流れを変えることもできないまま終わった。次こそはと思って、『もうやめろ』と言われるまで走り込んだおかげで、
箱根駅伝まで1カ月を切った頃、6区を任せると言ってもらえた。

箱根駅伝の6区。復路のスタートを切り、箱根の山道を駆け下りる区間だ。
「6区…」
山を下りてくることに、俺は不安がなかったと言えば嘘になる。
ちょっと浮かない顔をしていたのに氣づいたらしいマネージャーの先輩が、俺に小声で囁いた。
「俺も明日、箱根に行くんだけどさ…。何なら下見してみる?芦ノ湖から宮ノ下までなら、車も少ないし危なくないと思うんだけど」
先輩の言葉に、俺は一瞬迷って頷いた。

その日は日曜で、練習は休みだった。
箱根湯本までは列車で行って、先輩と芦ノ湖までバスで上った。
「宮ノ下で待っているから」 
先輩と別れ、俺はひとりで山道を走っていった。
箱根の最高点まではゆっくり上り。本格的に下りが始まると、辺りはどことなく暗くなってくる。
次第にぽつりぽつりと旅館らしい建物が増え、そろそろ宮ノ下かと思った時。
真っすぐな道を駆け下りてきた俺の身體は、上ってくる鈍色の影にぶつかり、仰向けにしなりながら地面に落ちた。

この時の俺は
『どこの者か分からないが、大学生が箱根まで走る大会があるから、その下見に来た学生だろう』ということが、辛うじて分かる格好をしていた。
白い長袖の体操服に、赤い線が入った白い靴。
それだけ。
事故に遭って、とりあえず関東学生陸上競技連盟に連絡が行って、各所に問い合わせが行くのだけれど。
白い体操服に、赤い線が入った白い靴。
それだけの情報で、どこの誰かすぐに分かるはずもなく。
昼前に事故に遭ってから、大学側が俺だと把握したのは夕方遅く。
監督の家が合宿所から遠く、その日の練習が休みだったため、確認を取るのが遅れた。
先輩も俺が来ないのを、箱根湯本まで行ったのだと思ったのだろう。
そのままバスで箱根湯本まで下りて、駅で探していたけど見つからず、どうにもならないから寮に帰ってきたらしい。
俺が外出したまま帰ってこないと分かって、すぐに監督が現地に迎えに来たという。時計の針は夜の8時を回っていた。

その間、近くの旅館の女将さんが、こと切れた俺を布団に寝かせて、お寺に連絡してお坊さんに枕経を上げてほしいと頼んでくれていたことを、わたしは大学の記録を見て知った。
『箱根駅伝の試走・下見』をしているのを、わたしは時々見かけたことがある。
彼らはいつも2人組で、詳しくない方が見ても、大学名がわかるような格好をしていた。
わたしは、箱根駅伝は当然、下見をするものだと思っていた。
ただ、原則的には試走は禁止。
過去には箱根駅伝の試走・下見をしていて、事故死した人がいる、と
陸上競技専門誌のインタビュー記事には書かれていた。
事故に遭って亡くなった人は、わたしの母校の選手で、山下り・6区の試走中に、バスにはねられてしまったという。
いつか見た、白い長袖のTシャツに白いランニングパンツ姿の青年が、何かに弾き飛ばされて地面に落ちる夢を思い出した。
その青年が『俺』だ、と思ったことも。
そういうことだったのか。
今までのことが、すべて腑に落ちた。


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