朝海 佑佳

わたしの体験に基づいた 箱根駅伝にまつわる物語を綴っていきます

朝海 佑佳

わたしの体験に基づいた 箱根駅伝にまつわる物語を綴っていきます

最近の記事

小説版・この道の先に  あとがき

あとがきを書くつもりはなかった。 だが、この物語をアップロードすることで、少なからずどなたかに 目を通して頂けたことがありがたいので、ここに書かせて頂く。 この話は、わたしの体験談と言って良い、ごく個人的な話で 箱根駅伝が絡んでこなければ、ここまで読んでもらえなかっただろう。 トランスジェンダーのひとつの例とも言えるし ただの陸上競技オタクの、狂気じみた話だとも捉えられる。 これは読む方の自由で、わたしがどうこう言う話ではない。 冒頭で、わたしは箱根駅伝が好きだった、と書

    • 小説版・この道の先に  Vol.13

      兄が結婚を決め、そのまま新しい家族と家に住み続けることになった。 わたしが『俺』の声に従って箱根駅伝のコースを歩き始めた時から4年、『俺』のハコネ路踏破は山道を残すのみになっていた。 わたし自身は、『俺』の渇望、つまり箱根駅伝や陸上競技に『けり』をつけられれば、どこにでも行ける身分だった。 わたしは生まれ育った街を離れることにした。 もし、明日死ぬとしたら、と考えながら、荷物をほとんど整理した。 そして、わたしは決めた。 箱根駅伝の山道を上ってみよう。 下りは無理でも、上

      • 小説版・この道の先に  Vol.12

        戦争がやっと終わったと思ったら、教育制度や漢字の表記や諸々に手が入れられた。戦争が終わっても、俺にとって大人は、どこか信用できなかった. それでも抗い切れず、長いものに巻かれているような自分が嫌になるけれど、ただ、思い切り走れることが救いで、俺は毎日のように走った。 父の勧めで、俺は叔父の母校の大学付属高校に入った。 「そんなに走りたいなら」と、良かれと思って言ってくれたのだろう。 それでも、俺は4歳の時に見た景色を忘れることはできなかった。 そのことを知った周りは、俺にい

        • 小説版・この道の先に  Vol.11

          『俺は何もできないのか』 その言葉が、わたしの頭の中を占拠していた。 褒められたことがあるのは、 作文や、文章を書くこと、身體をもみほぐすのが上手なこと、この2つ。 これらを誰かの役に立つ形に落とし込めていないのかもしれない。 本氣でやろうとしなかっただけかもしれない。 氣がついた時には、いつも頭のどこかで『俺』の声がしていた。 今も『俺』の意志が、わたしを動かし、駆り立てている。 今ここにいるわたしは、どう生きればいいのか。 そのことを考えていた時、高校生の頃から応援し

        小説版・この道の先に  あとがき

          小説版・この道の先に  Vol.10

          3区を歩いたその足で7区の方へ進んだ時、 『ここは知ってる』という、『俺』の少し沈んだ声が聞こえた。 『俺』は7区を走ったことがあるのだろうか。その時、納得のいく結果を出せなかったのだろうか。 わたしは、小田原へと向かう道の姿を感じながら歩いてみた。 昔からずっと、行き交う人を見送り続けてきた道は、細かく縦にうねっている。 小田原へは下るように流れているから、 戸塚方面へは、やや上り気味になるだろう。 この波を乗りこなせないと、記録にはつながりにくいかもしれない。 『俺』はき

          小説版・この道の先に  Vol.10

          小説版・この道の先に  Vol.9

          あの道を、今から行けるんだ。ずっと恋焦がれていた、花の3区に。 俺は小さい頃、箱根駅伝を観に行ったことがある。 大学を出てすぐ陸軍に入った叔父が、出征する直前、思い出作りとして、 俺と両親を誘ってくれたらしい。 砂交じりの風が吹く中、一番最初に目の前を走っていった選手が、 よく分からないけれど、すごく格好良く見えて、 叔父に「ぼくも、はしれるようになりたいです」と宣言した。 4歳になるかどうかだったが、それだけは、よく覚えている。 その道が『花の3区』と呼ばれ、力のある選

          小説版・この道の先に  Vol.9

          小説版・この道の先に Vol.8

          2つ目の職場も、1年半でやめてしまった。 この時のわたしの身體は、普通に働くことができず、 とりあえず生きるだけになっていた。 出かける場所を作りたくて、走りに行くことが増えた。 ある時、思い立って、箱根の山道をバスに乗って上ってみた。 小田原駅から箱根の芦ノ湖へ向かうバスに乗る。 箱根湯本を過ぎると鬱蒼とした木々の間を縫うように上っていく。 何でもない道のはずなのに、小さい頃にも、遊びに来たところなのに わたしは胸の辺りがすうすうして、薄ら怖いような気分になった。 死ぬか

          小説版・この道の先に Vol.8

          小説版・この道の先に Vol.7

          なんとか得た就職先で。 わたしは入社早々、まともに働けないほどの低血糖症に見舞われ、 クビ同然で辞めた。第二就職をして仕切り直した時の職場は、 どこかで見たことがある景色の中にあった。 箱根駅伝のコース沿い。 職場への行き帰りにその道を横切るたび、はっきりと強く 『俺』の声が聞こえてくるようになった。 この道の先に、何があるのか知りたいんだ。 俺は、この道を走って強くなりたいんだ。 わたしの中にいる『俺』の輪郭が、少しずつ浮き出てきたような氣がした。 箱根駅伝を好きなのは

          小説版・この道の先に Vol.7

          小説版・この道の先に Vol.6

          わたしが抱いていた、箱根駅伝を制しゴール地点で胴上げをしているのを見たことがある大学に行く、という確信に近い予感は現実になった。 大学に入ったわたしは、好きな勉強を思い切りできることが嬉しくて、1年のうちに教養課程は終わらせた。 そして、学内広報紙のスポーツ欄の編集サークルに入り、陸上部担当を志願した。 最初の箱根駅伝の予選会。わたしは取材不足を自覚していた。それをできる限り埋めようと、手に入れられる限りのデータをチェックして行った。 予選会の結果は1分30秒差の予選落ち、こ

          小説版・この道の先に Vol.6

          小説版・この道の先に Vol.5

          生きるために仕方なく、女性であることを受け入れてはいるけれど、 どうにもならないときは、ノートに「俺」の人称名詞で 言いたいことを書き殴った。 わたしにはわかっていた。 今の自分が男性になったところで、ありたいようにはいられないだろうと。 自分を受け入れるどころか、ますます自分のことが嫌いになり、 許せなくなって、自分の息の根を自分で止めようとするだろうことを。 そうなると、わたしがわたしに生まれてきた意味がなくなる。 そんな氣がして、わたしはわたしを生きようと努めることに

          小説版・この道の先に Vol.5

          小説版・この道の先に  Vol.4

          中学2年の時だった。 両親と担任の先生から 「行った方が良いと思うよ」と言われてから、 わたしは大学進学を考えはじめた。 まず進学先を 『箱根駅伝に出るかどうか』で絞り込み、 その上で、家から通えるとか、勉強したいことが学べる、といった 条件を加えて見ていった。 その中で、『どうしてもここに行きたい』と 感じるところがあった。 行きたいと言うより、ここに行くんだ、と 強く思った、と言う方が正しい。 わたしの一番古い箱根駅伝の記憶。 優勝して胴上げしているのを見たことがある

          小説版・この道の先に  Vol.4

          小説版・この道の先に  Vol.3

          誕生日の思い出と言えば? そう聞かれたら、母とケーキを作って家族にお祝いしてもらったことや、 3学期が始まってすぐに、小学校のクラスの女の子全員に声を掛けて、 誕生日パーティーをしたことも挙げられるけれど、 一番の思い出は『箱根駅伝を観ていた』と言って間違いはない。 毎年そう。いつもそう。 仕事で外出していたとしても、夜に放送されるダイジェストを、 先入観なしに、つまり結果を一切知らずに見るようにした。 誕生日イコール箱根駅伝。 わたしが小さい頃に全編中継が始まったという箱

          小説版・この道の先に  Vol.3

          小説版・この道の先に Vol.2

          スタート前 1年で一番、血が騒ぐ2日間がやってきた。 東京の大手町から箱根の芦ノ湖までを 東京近郊の大学生ランナーが襷を繋ぎながら往復する、箱根駅伝の日。 わたしはこの日、いつもより早く目が覚めた。 早朝5時半。 わたしはベッドから降りると、 ジーンズとカウチンセーターに着替えてからリビングに行き、 家に1台しかないテレビの前に座った。 7時から始まる箱根駅伝の中継を見るためには、10年以上の付き合いになるテレビの機嫌を取る必要がある。 引退が近づいてきているテレビ様は

          小説版・この道の先に Vol.2

          小説版・この道の先に Vol.1

          はじめに わたしは、箱根駅伝が好きだった。 わたしの誕生日は、箱根駅伝のその日で、 生まれた時間は、選手が中継所をあとにする時間だ。 わたしの生まれ育った家は、箱根駅伝のコースになる国道に程近く、 選手が襷を届け、また受け取って走り出す、中継所にも近い場所にあった。 わたしは、箱根駅伝が好きだった。 わたしは、箱根駅伝に出そうな大学を選んで進学した。 その大学は、箱根駅伝で優勝したことがある。 その瞬間をその場で、この目で見たから間違いないと思っていた。 だけどそれは

          小説版・この道の先に Vol.1

          Drawing

          動き出した夢が行き着く先に どんな景色が見えるだろう 深い闇が明けてゆくその時に 笑えるように生きていこう 曲がりくねり 波打つ獣道の 前でクルマを乗り捨てた 信じられるものだけが残れば良いと 抱えた荷物を解いた 風に向かい 増えていく星あかりを 道標にして歩いた 僕だから行ける場所があると信じて 前を見て明日の風を追いかけていた 突き動かす想いを走らせていた  諦めるのは今じゃない 信じ続けて掴んだものがいつしか 輝く明日を連れて来る そう信じ続けた 明

          この道の先に

          この道の先に 明日があるから 夢見たままに生きていく 僕を信じて歩いていく諦め重ねた分だけ傷を増やしたけど 痛みを越えた今は信じている 明日の陽光 この道を行けば何かが見えるよと 誰かの言葉を繰り返していた 1ミリでも上へ 手を伸ばし背伸びして それでも空はいつだって高いままで 手にすべき強さをこの手に求め 僕の外に答えを探したけど 今ここに生きる僕の全てを  信じ抜く力が欲しい 足掻いた日々の轍が刻んだ記憶に 今も疼く痛みは残っているけれど 走り続けた日々が 勇気に変

          この道の先に