小説版・この道の先に  Vol.13

兄が結婚を決め、そのまま新しい家族と家に住み続けることになった。

わたしが『俺』の声に従って箱根駅伝のコースを歩き始めた時から4年、『俺』のハコネ路踏破は山道を残すのみになっていた。
わたし自身は、『俺』の渇望、つまり箱根駅伝や陸上競技に『けり』をつけられれば、どこにでも行ける身分だった。

わたしは生まれ育った街を離れることにした。
もし、明日死ぬとしたら、と考えながら、荷物をほとんど整理した。
そして、わたしは決めた。
箱根駅伝の山道を上ってみよう。
下りは無理でも、上りなら行けるかも。

それが、『俺』の声なのか、わたしの意志なのかは、もうどちらでも良かった。
箱根町の底倉地区に、俺を追悼したレリーフが建っていると知り、そこに手向ける花もバッグに差し込んで、わたしは箱根湯本に向かった。

ハコネの山は、総じて薄暗い。
函嶺洞門をはじめとする『土木遺産』の橋や、大平台のヘアピンカーブに差し掛かる時には、俺は感動さえ覚えた。
けれど山道に歩道はないに等しく、すぐ横を車が通り過ぎていく。
俺ってひどいな、こんな危ないことを女性にさせるなんて。
つくづく勝手な自分が嫌になる。
それでも、付き合ってくれた彼女には、感謝しかなかった。

宮ノ下の賑わいが落ち着いたところに、俺を悼んでくれた有志が建てたというレリーフは建っていた。
事故に遭った場所と言って良いのだろう。直線の下り坂。
対向車線を上ってくる大型車両にはねられたのも無理ないかもしれない。
レリーフの裏には、『俺』の母が詠んだという短歌が刻まれていた。

若ざくら 箱根の山に うえられて めぐみのつぼみ ひらくうれしさ

わたしはレリーフの前に花を置いて手を合わせ、道の方にも向いて祈った。
もう少しだけ行きます。どうか行かせてください。

小涌園を過ぎると、車の数は一氣に減る。
あと数分待てば、下りのバスが通るらしい。
それでも、ここまで来たんだから、と思い直して、前へ進んだ。
早く立ち去りたいと思うほどに、空気が重い。ふと見ると崖の切り立ったところに彫り込んだ石仏があり、曾我兄弟の墓、とある。
ずっと昔からある道だ。骸のひとつふたつ埋まっていても不思議はない。
この先が最高点だ。ここまで来たら行くしかないだろう。

最高点の看板が見えると同時に、向かい風が吹いてきた。
春の風だ。この道を行くときはいつも、春の強い風が吹く。
わたしは、いつかの箱根駅伝を思い出した。その時も向かい風が強くて、
最高点でまごつく中継車を、選手たちは追い抜いて走っていった。
あの時との風とは比べるべくもないだろうけれど、ハコネ路の向かい風は優しくない。
来るんじゃないと言われているのかと思うくらいに。
もうここまで来たら、芦ノ湖まで行くしかないのだ。

徐々に道は下りはじめ、杉並木を抜け鳥居をくぐる。
右手に芦ノ湖が見えてきた。

だが、ここからが長い。くねくね道をてくてく歩く。
まだ着かないのか。まだあるのか。そう思うのは俺だけだろうか。
突き当りに箱根関所の跡が見えた、と思ったら手前をきゅっと曲がる格好で、ハコネ路は唐突に終わった。

何度も、やめようと思ったけれど。
本当にこの道を行くと、ここに着くんだ。

またこの道で死ぬんじゃないかと思って、ただただ怖かったけど。
無事に辿り着いて良かった。

もう、いいんだ。
これからは、わたしを生きていいんだ。

3日後、わたしは、生まれ育った街を離れた。
わたしになるために。今、ここにいる自分に集中しようとした。
徐々に体調も回復し、1年後には週6日で働くこともできるようになった。働けることのありがたさを知って、整体を勉強し、
今は整体師として、指圧師だった祖母と同じ場所で、同じ仕事をしている。

俺が見たいと願っていた世界は今、
わたしの目の前に広がっているような氣がしている。
マラソンや1万メートル走、3000メートル障害走で日本記録を更新し、俺が走っていた時よりずっと速く走れるような選手がたくさんいて。
満員の日本選手権も観ることができて。それで充分だと、俺は思った。

生きていて良かったと思えるようになった。
この道の先に、明日はある。
どうあっても、すべては完璧な流れ。今は、そんな氣がしている。

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