元旦が終わり、そしてまた普通の日々

お正月とはなんたるや。

今年は本当になにもしなかった。
いつもならミキサーとフライパンがあれば誰でも作れる簡単な伊達巻とか、ローストビーフとか、安い蒲鉾とか用意して、暇なら人参の飾り切り(ちなみに成功したことはない)なんかもする私が、今年は全て放棄した。

元旦の朝は大晦日の寄せ鍋の残りで雑炊、昼はお菓子やらなんかで誤魔化し、夜は一応すき焼きもどきをした。グラム198円の牛肉で。

2日の朝は買ってきたパン(しかも半額セール品)で、昼はふかし芋。夜になってやっとお正月らしいメニューとして唯一作った雑煮には、冷凍庫で眠っていた鶏もも肉と、舞茸、あとは鍋の残りの白菜を入れた。もはや雑煮なのか、餅入り鍋汁なのかわからない。

でも誰も文句は言わない。
子供たちは本物のお節なんて見たことがないし、夫もそういう細かいことは気にしないタイプだから。
去年か一昨年までは大皿や平皿に並べられたそれなりに豪華な料理を、写真にとってInstagramにあげたりもしたけれど、なんだか今年はそんな気分にはなれなかった。

だらだらとTwitterを見て、人んちのお節写真を見て、美味しそうだなぁ〜とか、これ、おいくら万円?とか下世話な事を考えて過ごした。

あ、でも来年は友達のお店のお節を頼もうかな。だって美味しそうだったから(笑)ここで来年と打ったらまた予測変換が「班長」って出してきて、本当にムカつく。班長なのは知ってるし、もはや来年じゃなく今年だわ。

こんなにも正月ごとをやりたくない理由は自分でもわからない。激動の2020年が終わって気が抜けたのかもしれないし、相変わらず日に日に増えていくコロナの感染者数と、そこだけ関係ないみたいな雰囲気で混んでいるスーパーに行きたくなかっただけかもしれない。

ちなみに正月飾りは100均のアイテムで自作したけれど、実はあれはクリスマス前にできていた。なんなら12月初めに思い付きで作った。その頃は年末みたいに人出は多くなかった。感染者増加の分水嶺とか言われていた時期だ。あの時のあの人出でも、それからうなぎ登りに感染者が増えていったのだから、もう何がなんだかわからない。人出の多さや密度なんて関係ないのかもしれない。誰の目にも見えないウィルスの本当の動きを知ることは無理だ。

それから、ごくごく個人的感想として、年末年始は運転の下手な人が増えるような気がする。多分普段はほとんど運転しないような人も、買い物とか銀行とか、師走の忙しさで必要に迫られて車を出さないとやってらんねぇ!って感じで道路に出てくるんだろうと勝手に思っている。私も運転が得意な方ではないから、そんないつもより難易度の高いコースに出たくない。マリオカート、嫌い派としては。

と、まあ複合的な理由で、私はお正月を放棄した。母と叔母は絶対に子供たちへお年玉を送ってくると分かっていたから、お年賀の代わりに食料品を送った。あと、100均一商品で作った飾りを玄関に飾った。そこだけ見たらやたら豪華で、めちゃくちゃお正月を大切にしている家みたいだ。家の中に一歩入れば、鏡餅も、おせちも、何もない家なのに。

コロナ感染した人たちのしんどさや、大切な人を亡くした人たちの話を聞くと、感染したくないと思う。もちろん家族も感染させたくない。年齢的に死亡リスクは高くないだろう我が家だけれど、私達の誰かが無症状でウィルスを持っていたとしたら?そう考えると、もう誰にも気軽に会いになど行けない。

でもコロナより本当に私が恐れているのは「人」だと思う。

何故、年末になると人はやたらと買い込みたくなるのか。今年はステイホームだから、そんなに親戚一同集まったりしないのではないか?来訪しない孫たちのためじゃないとしたら、年配の方たちは誰のためにあんなにカゴを満杯にしているのか。それともあの人たちの孫はコロナなんか関係なく遊びにくるんだろうか。

それはまるで緊急事態宣言が出たときに、ドラッグストアに行列を成してトイレットペーパーを買い占めていた人たちの群れに重なる。家にトイレがいくつあるのか。拭くお尻は何個あるのか。それとも買えないと嘆く子供達に送り届けるのだろうか。

あの時感じた違和感と嫌悪感の混じったドロドロとしたものが、お正月の準備にいそしむ人たちに重なって、あまのじゃくな私は余計に正月準備を拒絶したのだろう。おそらくは。

私自身、もう2年近く実家には帰っていない。2019年は夏休みの中で子供の習い事と夫の仕事の休みがうまく調整できず帰省しなかった。2020年は言わずもがな。そして、母は8ヶ月になる、最後であろう孫娘にいまだに会えていない。あっという間に大きくなった娘はもう赤子ではないし、人間らしさを日に日に増して、それはそれで可愛いけれど、ちょっぴり残念な気もする。あの柔らかくて繊細で、いい匂いのする赤ちゃんらしい赤ちゃんであった時に抱かせてあげたかったと思う。もちろん母だけでなく、沢山の人たちに。

今年、田舎からきた友人の年賀状には「帰れるときが来たら、どこでも好きなとこに連れてく」とあった。泣いた。この「好きなとこ」は飲み屋なんだけど、私はたまの帰省もこの友人たちと飲むために帰っていると言っても過言ではない。その私の気持ちが、彼女の一言に凝縮されていた。でも、それがいつになるのか誰にも分からない。

お節の始まりはお正月、お店がやっていない時の保存食として、そしてお正月くらいは家事をしないために食べるものとしてできた。

そう小さい頃に本か何かで読んだ私には、元旦からどこかしらのお店はやってるし、何日も同じものを冷蔵庫から出してきて食べるというその感覚が、いまいち理解できないのかもしれない。子供の好きなものなんてほとんど入っていないから、好きじゃなかったし←究極コレ(笑)

誰も悪くない。病気が悪い。
これまでの生活様式を変えられない人も、自分はならない気がする…と出歩きまくっている人たちも、やる気が出ない私も。
誰かを責めたら、この疫病は途端に違う意味を持ってしまう。

だから私は今日も淡々と悠々と「やらないお正月」を満喫する。早く冬休み終わらないかなぁと思いながら、子供たちを怒鳴りつけるし、掃除も洗濯もする。普段通りの毎日だ。

来年はやる気になるかな。
ならなくても別に誰も怒らないけど。

でも、こんなお正月も悪くはなかった。
そう思う。

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