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ネタ切れしないために必要なこと

先日、メンタルつよつよ回を開催した。

そのあと、登壇者ふたりときっかけを作ってくれた嶋津さんで反省会という名の二次会をやったのだが、その中でこんな話題になった。

あさみさんの「わたしは書くネタに困ったことがない」という話はとても興味深かった。どのnoteも書こうと思った時に一筆書きのように書いてるだけなのだと言う。書き手に求められるのは観察力と感受性なのだ。「おいおい、この話も配信しようぜ」というくらい、口を開けるごとにパンチラインが飛び出て、最高だった。不思議な人である。

それぞれのタフ論より引用

不思議かどうかは不明だが、本当に書くことに困ったことがない。

こういうと自慢に聞こえる人もいるかもしれないけれど、わたしとしては文章にならないまま思考がこぼれ落ちていく毎日。

これはこれでつらいものがあるのよ。

過去にも有料マガジン内でこの手の話題に触れているはずなんだけど、いつも通り自分で探しても見つけられなかったので(!)、今この時点での考えを書き残しておくことにする。

わたしは、書くことで生計を立てている訳ではないし、あくまで素人だ。けれども、書き続けてきたということに関してはちょっとだけ自信がある。

じゃないと、約900記事は書けない、さすがに。


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というわけで、書き続けるコツの話。
それは、嶋津さんの言う通り、観察力と感受性なんだと思う。

観察力というと、新しいものを発見することや特異的なものを感じとるチカラだと思われがちだけど、わたしはそう思わない。

観察力とは、日々のデータを蓄積しその差異に気付く能力

だから、誰にでもできる。
でも、全然映えない。
褒めてももらえない。
毎日、ひたすら積み重ねるしかないの。

自炊料理家の山口さんが、自炊を通して自信を積み上げていくことを「絶対に倒れないジェンガ」と表現していたように、観察力は視力と思考のあいだに積み上げるジェンガのようなスキル。誰にも邪魔されないけれど、代わりに自分にしか承認されないもの。

わたしは、このスキルを本業である看護で培った。
ある先生からは、看護の看という字は目の上に手を当てて相手をよく見ることから始まる、と教わったものだ。

観察がいかに大切かは、ナイチンゲールの看護覚え書にも出てくる。
もう、黒板をビシバシ叩いて教えていたんだろうなという熱量で論述されていて、ちょっと引いてしまうほど。

今日はいつも飲んでいる水分量よりも少なかったり
さっき並べておいたスリッパが乱れているということは、お手洗いにいったのかな?と推察することにつながったり
暑がりなはずなのに布団にくるまって震えている、これは発熱…?

という具合だ。

一番わかりやすいものが、温度板やケアフローといわれるもの。

スクリーンショット 2020-05-08 22.53.11

(http://kameda-hi.co.jp/archive/products/kai-v3/より引用)


患者の体温、脈拍、血圧をはじめ排泄の回数や量、食事摂取量、挿入されている管があればその排液の性状や量がひとめでわかる仕様になった表のようなものだ。これがあれば、その人なりの平均値やいつもの数字がすぐにわかる。

平熱が36℃台というのは、あくまでも一般論。これに該当しない人もケアフローがあれば、その人の正常な状態・異常な状態を把握することができる。

人間には恒常性(ホメオスタシス)というバランスを保とうとする機能があるので、夏は体温が上がるなんてことは起きないのだけど、それでも40℃を超える体温の持ち主が表れたりする。これは、異常ね。

グラフがギュインと鋭角になって上昇する。
これは、いつもの数字に比べて高いというデータになる。
(正直、ギュインをみるとちょっとだけテンションがあがる)

こういう日々の記録の積み重ねが観察力、その人の差異に気づくことにつながっているのだと思う。


ところで、わたしはハリーポッターシリーズがとても好き。
この最初の作品、賢者の石の帯、覚えている人います?

たしか、1日で書き上げたみたいなことが書いてあったんだけど(ちょっとうろ覚え)、彼女のドキュメンタリーをみたときにその謎が解けた。

彼女は、あの魔法の世界を作るのに何年もの時間を費やしている。シングルマザーで時間もお金も余裕がない中、ずっとあの世界について熟考していた。じゃなければ、組み分け帽子とかクィディッチとか、子ども心をくすぐるようなトピック、1日で出てくるわけない。

世界観をしっかり構築し、時系列での登場人物の動きもすべて把握した上で、賢者の石を書き上げた。だから、言い過ぎかもしれないけれど、1日で書けて当然なの。頭の中にあることの一部を、言葉にすればいいだけだから。もう、考えることは終わってる状態。

わたしも、観察したことを頭の中に貯めておいて考えきった状態で書くことようにしている。むしろ、考えのグラスが溢れたら書くくらいの勢いだ。

これを頭の中じゃなくメモというかたちで貯める人もいるだろうし、ネタ帳として貯めておく人もいるだろう。アウトプットを前提にしているなら、なんでもいいと思う。

わたしの場合は、考えていることを書いてしまうとまた考えてしまうという無限ループにはまってしまうので、頭の中にふわふわおいておくほうが合っている。そして、思考が溢れた時点で書く。

これは、何度も繰り返し言っているけど、考え抜いた結果として書いていないことのほうが圧倒的に多い。Twitterもnoteもボツにしていることがたくさんある。そういうものはNotionのボツコーナーに貯めていき、たまに見返してボツにしてよかったね、わたしと当時の判断を褒めている。

今回のこの記事も、あ!考えたいなと思って考えて言葉にしてこうして書くまでに3日間かかってしまった。いまだに観察力と思考が足りていない証ね、レッツ精進。

反対に採血の記事のようなものは、もともといつか書きたいと思っていたエピソードに、時代の流れや観察で得たピースがカチッとはまって文章としておりてくる感覚。だから一気に書けた。



おわかりいただけたかな。

ネタが尽きない理由は、観察力、そしていつもなにか考えているから。感受性は観察力が身に付けば勝手についてくる。だって、受け取れる情報量が増えるから。

ちょっと厳しい言い方かもしれないけれど、書けない、書くことがないという人は周りの世界に対する観察力が足りないのよ。周りに対して心からの興味を持てば、自ずと観察するし、違いに気づくし、そのうち比較し始めたりなんかして、言葉にせずにはいられなくなるはずだから。


書くネタは自分の中にあるものじゃない。

もっと周りを、世界を、いろんなところから見つめて考えてみたらいかが?というお話でした。

貴重な時間を使い、最後まで記事を読んでくださりどうもありがとうございます。頂いたサポートは書籍の購入や食材など勉強代として使わせていただきます。もっとnoteを楽しんでいきます!!