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3人のお母さん

何人かお母さんのいる人ってあると思うんです。小学校の同級生のさつきちゃんは子どものいない叔母さんの養女になったので、小学校の時点でお母さんが2人いました。

結婚すると夫のお母さんもお義母さんになるので、これも2人目のお母さんになります。私も同様で結婚した時はお義母さんに

「アンタのことは嫁なんて思ってない!娘やってみんなに言うてるんやで」

と自慢げに言われました。当時は(あ、そうですかー。そこに何か利点でも?)って感じですよ。そんなもんですよね。だって娘じゃないし結婚して戸籍上義理のお母さんになったからっていきなり娘になんかならんやろ。大袈裟やなってなもんです。まあ、数年後に大げんかしたときは

「アンタのこと娘や言うたけど、もう娘でもなんでもないわ!」

って言われたからな。まあそんなもんや。

さて、私はよくお父さんをディスりますが、実のお母さんの話を書いたことはあまりありません。実は私は母のことがあまり分かってないのです。若い頃はムツゴロウの動物王国に憧れてうちでウサギ、チャボ、ヤギなんかを飼ったこともあります。その後日本生命で働いて、それから化粧品屋を始めました。山野愛子どろんこ美容と書かれた看板を立てて伊勢神宮の前でやってたんですねー。実家で。その後は私や妹の仕送り費稼ぎで電子部品のパートに出ていましたが、ある時フラワーデザインを学び始めます。それで、月に1,2回、名古屋の学校まで授業を受けにきて、私の部屋に泊まっていきました。

その後花屋を開店。学び始めたのが47歳で、開業が50歳だったと思います。学んだあと開業までの間、ちゃんと花屋で修業もしたからすごいのよ。雇ってくれた花屋さんもすごいし。花屋は10年くらいやったでしょうか。店を閉めたあとは歴史の勉強をしたり、韓国語を勉強したり、今は中国語をやっていますが。

息子の面倒もよく見てもらって、寝る時にはいつも「ゴキブリの大冒険」という連続ものの話をしていたようです。まあ、面白い。私が今の実家に来た時、母は既に父と別居していたのですが、キレイになった家を見にきた母が畳に寝転んで言ったのが。

「はー!やっぱり実家はええな~」

って、おい!そういうの実家って言わんからな、ってツッコミまくりましたよ。まあ、面白いのですが、私が武司くんと結婚という話が出た時には、そうとう取り乱して、探偵張りに武司の身辺調査をやって、お義母さんの地元へ聞き込みに言ったり、元嫁さんの実家へ行ったり。私が結婚をあきらめるようになんとか悪い材料を集めようとしていました。そりゃもう大変でしたよ。恥ずかしい。まあ、それが嫌で駆け落ちしたんやけどな。

義理のお母さん、ヤスコさんの話はいつも書いていますが、今日はここで私の第3のお母さんについても話しますね。

私は長唄三味線を10年習っています。先生は実の母と同い年。年齢的にはお母さん世代です。先生はもともと藤間流の踊りの師匠で、お弟子さんも何人もいますが、三味線も教えていて私は今ではすっかり古参の弟子のひとりです。最初、お月謝を渡した時先生は言いました。

「あんた、教えてもらってないかも知れんから言うんやけどな、こういうのはキレイなお札を入れるもんや、くしゃくしゃのやのうてな」

私は普通にお札を入れただけでしたが、ピン札もしくはそれに準じるくらいのキレイなお札を入れないと失礼なのだと教えられました。お祝い事でのお金はキレイなものをと知っていたけれど、月謝もですか!と驚いたのも束の間、それ以降も芸事にまつわるあらゆる作法やなんかそりゃもう怒られまくって、叩きこまれました。

芸事を追求する人に独身者は多いものです。先生も独身ですが、大勢の若いお弟子さんがいて、みんなが色々教えてくれるので最近はスマホにして私にはlineで電話がかかってきます。また、先生の持続化補助金は私が代理で申請しました。この間は三味線のバチをオークションで競り落として、ドキドキしながら先生とそれを削りに出したのですが、すごくきれいになってきたと連絡がありました。もうなんかすっかりお母さんの感じになっています。

私の場合はお母さんが3人だけど、お父さんでもいいし、お兄さんでもお姉さんでもそういう人が何人もいるってありがたくて贅沢で嬉しいことだなと思いつつ、その分日々の喜怒哀楽もあるのだけど、それもまたしょうがなくていいやな、と思っています。

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