タンスを川に捨てる話

沢山のマスクが海岸に落ちている、というニュースを見たことがあります。私も先日草刈りをしていて土手の中にマスクを見つけました。故意に捨てる人もいるだろうけど、ポケットに突っ込むという性格上、何気なく落としてしまう人も多そうです。

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さて、私が地元に戻ってきた30年くらい前、ちょうど台風19号というのが来て、結構な被害が出ました。私の住んでいる伊勢は台風銀座なので、年に数回は台風がやってきます。その日は台風直撃で、裏の川もごうごうと水が流れていました。小康状態になった折、ちょっと上流へ川の増水の様子を見に行った私は以下のような光景を目撃しました。

発泡スチロール、段ボール。まるで清掃車に投げ入れるように川へポンポンと投げ込む人たち。いや、よそからやってきた不法投棄の人じゃないですよ。れっきとした近所の、地元の人が、家の庭から裏の川へそれー!っという勢いでポイポイと捨ててるんです。増水した川は飛び込んできたゴミをすごい勢いで運び、ゴミは流れにのってあっという間に視界から消えていきます。いわゆる家庭のゴミというものでなくて、ちょっと捨てるのに溜めてあった大物のゴミを捨てているようでした。

唖然とした私がその様子を母に報告すると、

私は嫁に来た時タンスを川に捨てている人を見た。

と言うのです。ははぁ、と私は思いました。これは昔からみんなやっていることなのだと。川は都合のよいゴミ収集車なのです。もちろん普段は川にタンスは捨てません。捨てたっていつまでも流されずに残りますから。けれど、台風の時の川の勢いはそりゃもうなんでも流し去ってしまいますから、これ幸いとばかりに、家の中の不用品をなんでも放り込む。という訳です。

昔は人の生活すべて自然に還るものから成り立っていました。木、藁、竹、鉄だって錆びていずれ自然に還ります。ですから、捨ててもいつかは自然分解されたでしょう。それがプラスチック製品になってもやっていた。というわけです。

こんなことを書くと私の住んでいる場所がなんて時代遅れで知性のない場所だと思われるかも知れません。まだ資源ゴミという概念もなく、ゴミの分別も行われていなかったような時代です。私も小さい頃は「みかんの皮は腐るから大丈夫」って、食べた後に皮を野山に捨てても平気でいました(※)昔の人も「木や藁が流れて行ってもどうせその先で腐る」って思っていたはずなんです。

ところが現代になってその先、海の人にしてみれば川から流れてきた発泡スチロールは腐るどころか粉々になって浜辺に打ち上げられるし、大型のタンスなんか川から流れて海に入ったら、仕掛けた網やのり網、養殖網をビリビリに破っちゃうじゃないですか。タンスが捨てられなくても倒木なんかが流れてきたらアウトです。もうこれ、ホントひどい話なんです。

川の先が海になっていることを想像しない人が多いのでしょうか。
田んぼに水を供給してくれるし、台風の時はいらないものを消し去ってくれる便利な存在、それが川。とでも思われていたのでしょうか。「日本は水に流す文化」と言われていますが、私はこのような経験から「透明な水、清流へそっと流す」みたいなものではなく、「どさくさに紛れて濁流にに放り込み知らんぷりをしている」というイメージにどうしてもなっています。

けれど、台風の去った後ってそれまで苔でぬるぬるしていた石も全部流れてキラキラになって、川の中が一気に眩しく美しくなります。まさに「水ですべてを流した」って感じ満載なのですが、それがどこへ行ったかって言うとやっぱり海なんです。水洗トイレのウンチは流せば消滅してキレイになるけど、その先が下水処理場であるように、川だって流した先がちゃんとある。それが海で、海がそれだけのものを受け入れて浄化できている時代はよかったかも知れないけど、今は確実に許容量を超えてるし、海を仕事にしている人にとっては腹立たしい以外のなにものでもないでしょう。

たった一枚のマスクだって、これがこのまま水路に落ちればその先はやっぱり海です。東京の道に落ちたマスクだって、行き先はやっぱり水路や、神田川、その先は海です。そう思うとこのマスクも捨て置けなくて拾って帰りました。みんなマスクポケットからごぼれないように気をつけてね。

※今は獣害もあって餌付けの元になるのでやってません。

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