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旅先でのZoom

旅に出るには仕事を休まねばならない。が、今はwifiというすごい発明がああるので、私は旅先でも仕事ができる。おかげで今年は20日間東北へ出かけることができた。スタッフは私が20日間も不在なので、もちろん不安もあるわけだが、それでも電話をすれば通じるし、取引先とメールのやり取りもできる。ネットショップのページだって作れる。

ワーケーションという言葉がすっかり定着して、宿で仕事をしている人も多い。私が宿泊するのは主にボロ宿だが、部屋にティッシュすらない宿でもwifiだけはある。コロナ前はインバウントで辺鄙な田舎にも大勢外国人観光客が訪れたので、自治体なんかの補助やキャンペーンでwifi設置が進んだようだ。ただ、そのwifiも宿の事務所付近にあるだけで、部屋まで届きづらかったりもする。大鰐温泉の宿では部屋のwifiが不安定で廊下で2時間くらい会議をして凍えた。

wifi完備でどこでも仕事できるのはありがたい、がしかし、せっかく旅に出ているのに仕事に縛られる。わしゃ遠くまで来ていったい何やっとんや?という気持ちにもなる。横手では取引先と延々やり取りをして、駅近くのコミュニティセンターで2日間も仕事をしたし、鳴子ではZoomインタビューを受け、酸ヶ湯でもウェブショップのページ作りをしていた。私としては仕事をし過ぎたと反省している。

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ところが、私をはるかに上回る仕事人がいるらしい。鳴子で聞いた話では食事と日に3回、温泉に入るとき以外は部屋から出ず、ほぼ休憩なしで朝から夜までリモートの仕事をする人がいると聞いた。当然、町の散策などしない。ワーケーションとは「ワーク」と「バケーション」を合わせた言葉と言うけれど「バケーション」の部分が完全に欠落している。この場合、「ワーク」と「ロケーション」であろう。場所が変わるだけで仕事量は変わらない。

wifiだけならメールのやり取りで済んでいたのが、Zoomが現れ四六時中打ち合わせが可能となってしまった。適切に使えば大変便利だが、一方いつ、どこでも相手を捕まえることができてしまう。自分で自分を律しないことにはZoomの下僕となり下がるだけだ。しかし私も含め、人はついつい便利なものは使ってしまう。こんなにも使えるぞ!と自分で思ってしまう。実に危険だ。こんな遠くでも普通に仕事できまーす!温泉入りながら仕事してまーす!

その人はきっとZoomの画面でそう言っていることだろう。だがその実、20分程度の入浴を一日3~4回しているとき以外、なんなら食事中でさえもZoomの前に座り「いやー、実は温泉に入りながら仕事してるんすよね。ワーケーションっすよ。ナハハハ!」などと涼しい顔で言い、1時間後の別の会議でも「ワーケーション最高っす!」と言い、次の打ち合わせでも「温泉いいですよ~」と言い続けているのだ。自分は一日中パソコンの前に座っているのに。これが日本のワーケーションかと思うと切なすぎではないか。

私はそうはなりたくない。断じて。来年も東北へ行く予定だ、期間は1ヶ月だ。その時は前よりも仕事の量を減らそうと思う。もちろんまったくしない、と言うわけにはいかない。けれど、ちゃんと自分を律して仕事する時間を決めたり、適切に配分をしたい。仕事するのはいいけれど、単に場所だけ移動して、普段と同じことをやっているなんて、行った先に失礼だと思うし、もったいない。

wifiやZoomは本当に便利だし、おかげで私は長期旅行へ行くことができる。上手に使えば有効な手段だけど、反対に自分が使われる身になれば悲劇だ。それを悲劇とも思っていない人がいるかもだけど、もしかすると世に言われているワーケーションの多くがそんな風なんではないかと勝手に危惧している。たしかにバケーションというパーッとした感じは私も苦手だが、せっかく遠くへ行ったならその土地を味わえるだけ味わいたい。人とも出会いたいし、うまいものも食いたいし、歩きたいし空気を吸いたい。

来年、1月半ばから出かけられるよう、今から仕事の段取りをもう始めている。行った先では適切に仕事はするけど、やりすぎは禁物。冬の東北をしっかり受け止める体制で臨みたいと思っている。

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