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線路は丸くない

多くの子供がそうであるように、息子は電車が好きだった。プラレールと言う電車のおもちゃがある。新幹線やローカル線、私鉄もあって種類も豊富だ。どれも電池を入れて自動で走らせることができる。

例えば、線路を「∞」の形に組んで、そこに電車模型を載せてスイッチを入れれば、電車はぐるぐると勝手に走る。そういうおもちゃなのだ。なのに、息子は私が入れた電池を全部外してしまう。アップダウンを入れたり、陸橋を作ったり。ポイント切り替えを入れて線路を複雑に組み、最終的にぐるっと電車がひとまわりできるようにすれば、ちゃんと電車がひとりでぐるぐる回って走る姿を見ることができるのに、息子は電車を手で持って動かしている。

じゃあ、線路は、と言うと、自分の部屋からずっとずっとまっすぐに伸ばして、向こうの部屋まで続いている。

ねえ、それって本来の遊び方じゃないよ。ちゃんと電池で走らせられるのに、なんでしないの?

と、親の私は思っていた。私は私で線路をぐるっと上手に組み、電池を入れた電車を自走させながら

「ほら見て!ドクターイエローが走ってるよ!」

と、自慢げに息子に見せる。なのに彼はまったく興味を示さず、地味な東海道線を「ごごごーん、ごごごごーん」と効果音を口ずさみながら手でつかんで走らせている。なぜだ…なぜ…

ある日、どうして線路を繋げないのか、聞いてみた。息子は「やれやれ」と、まるで物を知らない人間に言って聞かせるように

「ママ、目的地と目的地を繋げるのが線路なん。線路の先にはちゃんと駅があって、その向こうもまたずっと先の駅があるの。町と町を結ぶ。それが鉄道なんやで」

真理だ…

確かに息子の言う通りだった。プラレールという成り立ちを考えたとき、それは電車が動くさまを見て手をたたいて喜ぶ、動くことに価値を見出すわけだけれど、息子は違っていた。電車とは移動、そしてそれは「旅」を意味する。ああ!そうか!そうだったのか!動くことじゃないのだ。土地から土地へ。自分を連れて行ってくれる。それが鉄道、線路、電車。そしてひたすら電車の模型をつかんで床を這って向こうとこっちの部屋を行き来していた彼は、まさに旅をしていたのだった。

電池を外していたのも、線路が丸くないのも、全部彼の中に理由があってのことだった。ちゃんと考えている。5歳児でもちゃんと自分の考えが、5歳児の哲学があること突きつけられた私は、もう電車に電池を入れるのをやめてこれ見よがしに線路をぐるっとつなげることをやめた。電車は目的地へ行って、また折り返して戻ってくる。そういうものだ。

もちろん、息子は私に説明するとき

「あ、大阪環状線と山手線は回っとるけどな」

と、付け加えることを忘れなかった。今でもそんな息子が私の旅程を組んでいる。

#子どもに教えられたこと

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