見出し画像

蜘蛛とヒト

ー 都市は果てしなく膨張し、それは膨らみ続けるー
2019410公開
2019411誤字脱字修正
20200214部分的に改稿

「落ちないって、落ちないから大丈夫」
 あたしは手すりに手をかけて、大きく体を宙に乗り出した。もし手を離したら、支えるものは何もない。地下の旧市街まで真っ逆さまに落ちていく、落下予測地点までの距離は約二万メートル。私はたぶん途中で落下速度が音速を超えて、音の壁を抜けたあたりでバラバラに砕け散る。そんなことをカフェで話していたから、メイリは泣きそうな顔で両腕を前に出して「やめてよう」と震える声を出した。
「高いところが怖いの?」
「落ちそうだから怖いの!」
「落ちないよ、落ちたって」
 あたしは足元の奈落を見た。いくつも重なった階層が、人類の営為を示していた。「それ」が現れてから何百年もかけて、あたしたち人類は生き延びてきた。
「落ちたって、死ぬだけだよ」

 今日はお父さんたちのお葬式。「それ」は三十階下まで迫ってきていた。

 「それ」は視認できる限り縦長の長方形に、周囲の景色を歪ませた。光を反射せず屈折だけさせるガラスのようなものに見えた。それに触れることはできないが、ちょうどそれの中に入ると、とたんにそれは強固な壁となり、閉じ込められたものを引き延ばそうとする。引き伸ばされた生物が破断し、生命活動が停止すると「それ」はその場に静止し、小さな「それ」を無数に生み出す。発生源も不明、原理も不明、対策も不明のその現象を、人類は「それ」としか呼ぶことができず、やがて数世紀が経った。

「それ」よりも上に早く高く昇るのは難儀だった。私たちが「それ」に出会ってから数年、多くの人々は横と奥行きを引き伸ばされて破裂し、その生命を失った。「それ」から逃げるには「それ」よりも高いところに向かうしかない、やがて都市は果てしなく上へと拡張していった。旧市街は地下深くに「それ」と共に閉じ込められた。「それ」は町の道路を滑るように移動し、全身をすっぽりと包み込まれると、横と奥行きを引っ張られる。ただしペットの犬や猫は「それ」の中に入っても引き伸ばされたりはしなかった。

 メイリのお父さんたちと、あたしのお父さんたちは、村の青年団の一員だ。いつもは週に一回集まってお酒を飲んだり、浮きイカを炙って食べたりしている。街の方から偉い人が来ると、相談して村を増築する。縦に細長い通路を作り、通路同士を繋いで部屋を作る。お父さんたちは器用に八本の脚と複腕を使って建材を吹き付け、細い柱を組み合わせて通路を作る。八本の脚があればどこにでも爪をかけて登れるようになっている通路だ。でも、青年団の仕事は上だけじゃない。「それ」はまだ下にいる階層の生き物を引き伸ばして破断して増えて、上へ延びてきている。もし私たちの階層が飲み込まれたら、メイリも、あたしも、どこにも昇るところはない。

 「それがどのくらいの速さで延びているのか、あとどれくらいで上層階まで来るのか」それを調べるために、青年団から数名、街の役人から数名が選ばれて下階層に降りていった。あたしたちは上階層を作って引っ越すとき、インフラを全部潰してから移動する。重い発動機はみんなでワイヤーを伸ばし、引き上げて移動する。上下水道は潰す。生き物が生きていける場所には「それ」が近づいてくるからだ。下階層には電気も水道もガスもなにも通っていない。うすぐらい通路となにもない部屋が連なっているだけだ。

「お父さん、痛かったかな」
メイリがうつむいたまま泣いていた。
「知らない、見たことないから」
 あたしは悲しい気持ちに飲み込まれないように、強く振舞っていた。
メイリのこぼした涙がポタポタと床に落ちる。私は主腕を伸ばしてメイリの頬をぬぐった。三つの左目が一斉にあたしの指を見た。「カスタムしてる」
 あたしのメイリは主腕を掴むと、強く言った。

「行くの? 谷の向こうの塔に行くの?」

 ひとつの街がおよそ1立方キロメートル。あたしたちの村があるのは、そのてっぺんの端っこの角。いくつかの隣接する街が周囲には見える。その一角に「谷」はあった。旧市街を底に持つ、街と街の間にある隙間。その隙間の中央部に、等がある。他の街から離れて、細長く延びたいびつな塔。ある日の夜、お父さんたちと喧嘩して屋上へ出たあたしは、その塔の下の方が明るく光っているのを見た。
 あれは、死んだ街じゃない。あの塔の中には「それ」がいないんだ。
 あたしはこの話を死んだお父さんにも誰にも話していなかった。どうせ嘘だと笑われるだけだし、証拠を見せて街の連中が押し寄せて来ても困る。

 晴れた日の朝、あたしは三つ目の脚につけたワイヤー射出機に思いっきり電圧をかけた。滑るようにアンカーが飛び、塔の中腹に突き刺さる。アンカーからは建材が吹き出し、硬化剤が染み込んでワイヤーをがっちり固定する。あたしは三つ目の脚を体殻から取り外すと、屋上に突き刺して建材で固めた。これで綱渡りができる。
「本当に行くの?」
 メイリは結局、屋上に残ることにした。街の連中の言いなりになって柱を立てているうちに、きっと「それ」に飲み込まれて引き裂かれる。あたしは小さい頃からメイリと一緒だった。すぐにパーツを増やせたあたしと違って、神経索の弱いメイリは二本の腕と二本の脚しかつけることができなかった。目だって六つしかないし、可聴域も狭いからあたしたちはゆっくりとした古代の音声言語で会話するしかない。
「ねえ、本当に行くの?」
「行くよ、あたしの脚に捕まれば、あんたも一緒に行ける」

 塔までの距離はおよそ200メートル、無理な距離じゃない。でもあの子は「怖がり」だから、無理なのはわかっていた。うつむくメイリを置いて、あたしはワイヤーに脚をかけた。七本の脚の爪を曲げて、速度を調整しながらすべりおりると、塔が近づいてくる。遠くから見た時よりも、ずっとまとまりのある構造体に見える。しかも、昼間でも見えるくらい。下層の方まで明るい。たどり着いて、もしあの塔に「それ」がいないってことがわかったら、あたしがそこで生きてもいいってことになったら、メイリを連れてこよう。ワイヤーを伝って屋上に戻って、今度は脚で抱きしめて無理にでも連れてこよう。各階には緑があった、窓からは暖かい光が漏れて、そこに住む幾多の生き物たちの息吹が聞こえてくるようだった。

 と、そのとき、重力を感じた。ワイヤーの張りが消えて、そのままあたしの運動は自由落下へと移行した。ゆるんだワイヤーを必死で掴み、雲の中を滑り落ちていく。ワイヤーに張りが戻ると同時に、あたしは塔の壁に叩きつけられた。衝撃を逃がすこともできず、四本の脚が折れて使い物にならなくなった。副腕を伸ばして頭部を支え、眼圧を調整する。屋上を見ると、メイリが切断したワイヤーを持っていた。
「どうして」
 怯えたような顔はしていなかった。心底呆れたという顔で、メイリは私を見ていた。残った脚で、必死でワイヤーをたぐり、アンカーを打ち付けた場所まで昇る。周囲には窓がなく、亀裂もないなだらかな壁が続いている。あたしは残った建材を吹き付け、段差を作り、足場にすると、近くの出入り口を探した。その間にもまわりの景色は四角く歪んでいった。ここにも「それ」がいる。拡張を続けている。あたしの体が「それ」に飲み込まれそうになった時、壁の一部が奥にはずれて、小さな穴が空いた。

 あたしはその穴に転がり込みながら「それ」に飲まれた後脚が引き伸ばされて破断する音を聞いて、気を失った。

 気がつくと狭い部屋の中で、小さな何かがあたしの体を分解していた。
「すまないね、ここでは君は大きすぎる。コアとなる部分を残して、我々と同じ大きさになってもらわないといけないんだ」
 彼らには複数の単眼がなく、脚も二本、腕も二本、小さな犬や猫くらいの大きさであることを除けば、まるでメイリと同じ形だった。

「おそらくメイリは、君たちのできそこないではない。ヒトだろう」
 小さな街の小さな首領は、腕と脚を失って寝ているあたしに、優しく語りかけた。ヒトは元々、彼らやあたしたちの支配者だった。「それ」が生み出されてから、ヒトは「それ」から逃げるために様々な方法を試した。あたしたちのような多足種を作り、街を拡張した。わたしを助け、バラバラにして小さくした彼らのような小型種は「それ」の中でも引き伸ばされずに生き残ることができた。

 ヒトは生き残り、ヒトならぬ者の中で監視を続けている。あたしはそれに気づかず、メイリを友達だと思っていた。
「でも、あの子は、あたしを殺そうとした」
 たった二つになった目が涙で濡れると、もう何も見えなくなる。
 ヒトの体は不便だ。
「ヒトにはヒトの思惑がある、それは全てを閉じ込めようとする欲望だと我々は考えている。証拠は我々と『それ』の関係だ。ヒトは自らの体を我々と同じ大きさにはできない。『それ』はちょうどヒトを包み込むようにできている」
「わからない」
「その子は、メイリという子は、君を屋上に閉じ込めておきたかったんだろう」

 塔に行くことを話した日のことを思い出す。あの時メイリは、あたしが死ぬことを自分のことのように怖がっていた。なのにあたしはメイリを置いて外へ出た。もう、この塔から出ることはできない。二度と、元の体にも戻れない。

 それから数年が経ち、新しい小さな体にも慣れた頃、あたしは地下への探査隊へ志願した。「それ」の謎を探り、確かめて、消し去るために、歴史の最奥部へと進む片道切符の旅。地下へと進む柱の前で、あたしは窓の外の街を眺めた。高さを増して、空へと伸びてくあたしたちの街だったもの。

 いつか「それ」が消えた時、またメイリに会いに行こう。
 二本の腕と、二本の脚を持つヒトヘ、会いに行こう。

おわり

この下にはお礼しかありませんが、もしよかったらぜひ。

ここから先は

113字

¥ 100

サポートしていただけると更新頻度とクォリティが上がります。