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おばあちゃんへの愛

昨日は夜中寝れなくなり、

「ノーカントリー」
「セブン」

の二本立てで朝を迎えた。



好きな映画だがずーんと重くなるので、
こんな気持ちのまま朝を迎えてしまうと
「最強の二人」
でも観ないと気持ちがおさまらないやという話をした。





今日は母の日ということもあり
おばあちゃんに会いに
家族と合流して江戸川の方へ向かった。



自分の親のことを外で話すときは
「父親」「母親」と呼ぶが、
「おばあちゃん」は「おばあちゃん」。


おばあちゃんは何度か引っ越しをしていて
最近また引っ越したのだが、
築年数がかなり経っている家でもいつも綺麗にしてあり、今日もいいにおいがした。

おばあちゃんはいつ会っても変わらない。



元気印!系のタイプではないのだけど、
いつも話の内容がしっかりしていて、
もともと目がパッチリしているせいか、
化粧のせいか、
その両方なのかわからないが表情もキラキラと明るい。



私の中の「おばあちゃん像」は
実は今はいないひいおばあちゃんの方が近くて、遊びに行くと小言を言いながらも私たちの世話をしてくれた。

たらこをたっぷり混ぜ込んだきんぴらごぼうをよく作ってくれていた。




おばあちゃんは、
なんというか、より対等に話せる存在。
あと、脚が長い。


そしてとても優しくて、でも孫を変に甘やかすこともなく、ものの考え方もわりと中立の立場で考える人だ。



いつも必要以上に自分を謙遜するおばあちゃんだが、人として本当に出来た人だなと常々思っていて、私は尊敬している。



そんなことを話すときっとまた、
ゆっくりとした口調で「そんなことないのよ、○○ちゃんが優しいからそう思ってくれるのよ」なんて言われそうだが、
いかに素晴らしい人なのかをもっと、うまく伝えられたらと思う。






母の日やなにかの節目の時期は、
SNSなどで「いつもありがとう」という言葉と共にそれぞれの家族の写真を載せる投稿をよく目にする。



思い返すと私はちょっとした気恥ずかしさもあるのか今まで特にそうした投稿をしたことがなく、
みんなの素敵な投稿を見ると時たま、
自分の家族愛って人より低いのではないかと不安になってしまうことがある。



今までたまに頭の片隅でそう思ってきて、
正面向いてその不安を紐解いてこなかった。

が、今日、
人の愛の表現方法はそれぞれだ、
周りと比較しても何の意味もない、という
至極当たり前の考え方にたどり着いた。


至極、当たり前!


だが事実、
自分も家族の写真を投稿しないと家族愛がない人になってしまうのではという浅はかで危うい考え方をどこかでしていた。

(他者から家族愛のない人間と思われるのが不安なわけではなく、実は自分に家族愛がないのではという点での不安だ)



危う!


うまいこと表現できないが、
この歳になってもいまだに人のSNSを見ていらぬ不安をする自分へ
そんなことないから大丈夫だよという気持ちを込めてメモを残しておく。

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