作家の村上春樹氏が、2009年にイスラエルでの最高の文学賞であるエルサレム賞の授賞式に参加しました。70年以上も続く中東戦争の当事国であるイスラエルからの招待でした。村上氏は受賞の演説で、下記のように演説しました。
話された瞬間には理解ができないほどに美しく見事な例えで、圧倒的な軍事力のイスラエルと、壁に囲まれた天井のない監獄であるガザ地区に住む人々の現状に対する自分の考えを表明しました。政治的な思惑と、宗教的な争いに翻弄されるエルサレムで、イスラエル批判のような発言をする事が、世界を少しでも良くするために考え抜いた作家としての行動ではなかったかと思います。
アフガニスタンで銃撃に倒れた中村哲医師(1946-2019)が遺したのは、こんな言葉でした。中村医師の言葉にこそ、真理があります。
イランで戦争孤児となった経験を持つサヘル・ローズさんは、下記のようにつぶやいて、イスラエル戦争の勃発を嘆きました。
ソ連の映画監督であったアンドレイ・タルコフスキー(1932-1986)
は、下記のように言って人間の本質を伝えました。
そして、NYで銃弾に倒れたジョン・レノン(1940-1980)は、下記のように、平和を作るのは物質的な要求を自分から無くすことで簡単に実現するのだという思いのこもった言葉を遺しています。
どのような時代でも、政治体制でも、戦争をしたいと思う指導者はいません。土地や財産の取り合いで自分をコントロールできなくなった指導者が、武力を使って現状の破壊を試みるのです。戦争当事国を支持し、武器は送ると言う国もありますが、強引な武力解決を試みれば、被害を受けた家族や友人を失った恨みは何世代にも引き継がれて、分断の火種を残してしまうでしょう。戦争状態にある側のどちらかの国を支持すると宣言するのは、平和には無関心な指導者の言葉だと思います。
第一次世界大戦以前、パレスチナの地でアラブ人とユダヤ人は平和に暮らしていました。たとえ宗教や文化、歴史や価値観が違っていたとしても、同じ土地で平和に暮らしていくことはできるはずです。
人類には、どうしたら平和になるのかを考え続けるミッションがあるのだと思います。そう、「平和」の反対は「戦争」ではなく、「無関心」なのですから。