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[掌編小説]石にたゆたう

 寝ぼけ眼をこするとカーテン越しの日差しが眼底を刺激して、どうやらまた朝が来てしまったらしいと困り果てる。昨日寝付けたのは何時頃だっただろう。
 処方限度いっぱいの睡眠薬さえも効かず、布団の中でうごめくばかりの時間は苦痛だった。スマートフォンの向こうの世界も寝付く夜、僕はひとりなんだと実感する。田舎の夜は早い。十二時を回る頃には誰も彼も夢の中だ。僕だけが夜に取り残されたような不安と明日への怯えに体を丸め、朝が来なければいいのにと祈る。なにも感じることがなければ、こんな夜も怖くないのに。
 ぐるぐると堂々巡りを繰り返して、やっと時間が過ぎたかと思えば、憂鬱の朝。アパートの隣室から物音はしない。みんな出かけた頃だろう。かつての同級生たちはみな仕事に勤しんでいるはずだ。重い体を引きずり、枕元に置いた薬とペットボトルの水を喉に通す。僕には行くべき場所はない。病院の精神科が唯一の窓口だ。そして今日は、月に一度の通院日。それさえも億劫で尻込みしてしまうが、薬をもらえないことの恐怖に比べれば些細なものかもしれない。薬のおかげで、僕はどうにかこの世と繋がっていられる。その繋がりさえも希薄で今にも切れそうな糸だけれど、手放すことができないまま今日まで生きてきた。けれど考えるのはいつも同じだ。どうして僕は生きながらえているんだろう。
 大学病院行きのバスに揺られながら、僕はスマートフォンをじっと見つめていた。SNSの向こうには様々な人生が広がっている。楽しかったこと、嬉しかったこと、悔しかったこと、怖かったこと、怒ったこと。写真や言葉に感情を乗せて、人生のスクラップの断片は濁流のように流れていく。僕もならって言葉にしてみようかと文章を考えてみるけれど、どうやら言葉にするだけのものはなかったらしく、おとなしく濁流に身を戻す。濁流と呼ぶのは、どうも人の感情に対してあまり良い印象をもっていないのかもしれない。それが翻って、僕自身の言葉を掻き消しているようだった。濁流は、それぞれで違う人生を送っているはずなのに、なぜか共通して話題に上がっているものも多い。トレンドに群がる感情はおどろおどろしく見える。まるで感情の集合体のようだ。無限に増幅した感情が行き場を失ってSNSをさまよい、見る者の心を蝕むように版図を広げていく。僕の心までも犯されてしまいそうな感覚に、スマートフォンから目を反らす。窓の向こうには白亜の塔が見えつつあった。
 受付の電子カードを通して、待合室の長いパイプ椅子に腰かける。何室もある受診室のどこかに僕はこれから通され、質疑応答の後、薬をもらう。先生に期待を寄せなくなったのはいつのことだったか。自分の中にある薄暗いナニカを託す気にはもうなれない。大学病院の待ち時間は長くて、けれどスマートフォンを見る気にもなれず、背中を壁に預けて天井に視線を向ける。いくつもの人生を見てきた天井はなにも言わずただ朽ちる時を待っていた。
「なんで私ばかりこんな目に遭わないといけないの!」
 受診室のどこかから叫び声が聞こえてきた。それから、すすり泣き。女の子の若い声だった。別に珍しいものではない。この待合室ではたまに聞こえるものだ。ただ、誰かの人生のひとつの出口はここかもしれない、と思う。大学病院は、流されてきた人たちの終着点だ。町の病院では手に負えなくなった人たちが最後に至る場所、身体的な意味でも精神的な意味でも、ここで「終える」人が、この待合室にも溢れている。病院に死のイメージを持つことは少なくないだろうけれど、ここはその空気が濃い。僕の祖母も別棟で息を引き取った。泣き声はやむことなく、けれど待合室はざわつくこともなく、淡々と自分の番を待っている。SNSのように彼らの感情を読み取ることはできない。あるいはただ生の刻限を引き延ばしているのかもしれない。僕もその中の一人で、変わらずぼんやりと天井を見つめていた。うっすらと考えるのは、彼女にとっての出口になればいいのに、ということだ。もし先生を信頼できたのなら、感情を吐き出して楽になる道が見つかるのであれば、薬にせよカウンセリングにせよ自分の生を肯定できるなら、ここに救いを求めることもできるかもしれない。他人の人生だから、そう気楽に考えられるのかもしれない。僕自身、ここに救いを求めているわけではない。ただ、「終える」ばかりでなければいいのにという祈りだ。
『菅原さん、五番受診室へどうぞ』
 院内アナウンスに呼ばれ、鞄を手に取り腰を上げる。僕は僕で、生の引き延ばしをしている。それがいいことなのか悪いことなのか、今の僕には判断ができない。
「菅原さん、その後の調子はどう?」
 先生がカルテの画面を開きながらいつものように訊ねてくる。
「変わりはないです、いつも通りです」
 僕もいつものように返す。言葉に偽りはない。好調もなく不調もなく、いつも通りの、「定型」ではない一ヶ月だった。
「就活の方はどう?」
「職業センターの方に支援してもらっていますが、そっちもいつも通りです」
 支援を受けながら就職・就業定着するための施設だが、その支援を受けてなお、僕は就職も社会復帰もできずにいる。いくつかの会社を経て、僕はここに流れ着いた。そこから抜け出せないまま、無暗に薬を飲むだけの日々を過ごしている。
「それじゃあ薬に変更はなしで……最近ちゃんと眠れてる?」
「はい……いや、うまく寝付けないですけど、それもいつも通りです」
「うーん、漢方を試してもいいのかもねぇ」
「漢方は転院前に試したんですけど、効果が実感できなくて」
 早く終わることだけを願って、言葉を返す。早く終えて、帰って、そして、どうする? その後も「いつも通り」なんだろうか。
「じゃあ、次の予約も四週間後で」
「はい、お願いします」
 ようやく解放される。なにも変わらない、という不安は、どこかで忘れてしまった。
 病室を後にして、さっきの泣き声を思い出す。声はもう聞こえてこなかった。僕もあんな風に感情を出せたら、なにか変われるのだろうか。持病の頭痛がそんな希望を掻き消す。感情があるから、ここに流れ着いたんじゃないか。「自分」を出すことに意味はない。「普通」の柵の外、スペクトラムの端側にいる僕は、そのままでは社会にはいられない。そうして、僕はスマートフォンの画面を開く。「定型」の世界を眺め、濁流に身をさらそうとして、なにも言葉にしないまま、時間が過ぎるのをじっと待つ。
 夜が来る。眠れない夜。ちぐはぐになった心と体が僕を引き裂く。助けてくれ、という言葉なんて届かないと知った日からの「いつも通り」だ。

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