今ある幸せに気付かずして、求める幸せを得ることはない
一昨日より昨日、昨日より今日と、満開に近付いていく桜を見る楽しみ
目に映るあらゆるものが感謝の対象であることを知る
自分が相手に抱く思いや感情が、その相手との関係性に良くも悪くも反映されていることが多い。
雨の日限定のBGMリストを作ってから、雨の日のイライラが少なくなりました☔️
電車で1つ空いた席に2人が同時に座ろうとして、お互いがどうぞ、と譲り合ったそのに第三者がしれっと座るあの現象に名前を付けたい。
"人の為"と"自分の為"は紙一重
「そんなことないよ。」 「大丈夫、自信持って!」 そんな一言を期待して、自分へ向けて毒を吐く。 本当は吐く必要のない毒。 救いを求める為の手段として自らに向けたものは ただただ自分を苦しめるだけの毒。 吐いた毒は侵食のスピードを止めることなく じわじわ中から広がっていく。 期待した通りの言葉を周りからもらえても 受けた自らの毒が弱まるわけでもなく 中から毒にじわじわ侵されていることにも気づかず、治らない表面の傷にただ絆創膏を貼っていくだけ。
ふと思うことがある。 私たちの生きているこの世界は実は箱庭のようなもので、箱庭の中の私たちは、この世界が全てと思って、その中で必死に生きているけれど、実は外にはもっと大きな世界が広がっていて、ただ箱庭の中を眺めている誰かがいるのかもしれない。 そして時折その手を伸ばし、箱庭の中の世界に影響を及ぼす。 私たちは時に無力であり、時に凄まじい力を持ち、動いて休まず、最後は静かに歩みを止める。歩みを止める、と言うのが正しいのかはわからない。消えゆく、が正しいのか、次の舞台に上がる
以前参加した学会の講演の中で、「今から1分目を閉じて、自分を愛してくれている人、大切に思ってくれている人達の顔を思い浮かべてみましょう。」というワークをしたことがありました。 愛してくれている人、というとやはりなんとなく気恥ずかしい。うーん、なんか難しいな、なんて思いながらも目を閉じます。 すると自分でもびっくりするくらい、たくさんの人の顔が自然に浮かんできました。 家族、恋人、友達、職場の仲間や子どもたち、お世話になっている人たち。その中には既に亡くなった人もいたし、
私は悩み事や気になる事があると、そればっかりに気を取られてぐるぐる考えてしまうことが多いのです。 そういう時って周りの景色なんて見えてなくて、いつのまにか職場の最寄りに着いてて、ハッと我に返る時もある。 ぐるぐる考えている自分に気付いた時には、あえて周囲に目を向けて実況中継みたいなことします。 今、黒の帽子を被ったおばさんとすれ違いました。道端には猫じゃらしがたくさん生えています。もさもさしてますね。今風が吹いて髪がボサボサになりました。木も草も随分と揺られてます。今日
心の空模様は実にさまざま。 晴れ渡る快晴のときもあれば、少し雲はあっても穏やかな風が吹いているときもある。どんより暗い雲に覆われ、雨が降ることもあれば、雷雨のような荒れ具合の時もある。 心が晴れている時は、とても活動的でイキイキとしていて、自分の意識は外へ外へと向いている。色々なことを経験し、挑戦してみたくなる。 一方で空模様が怪しくなってくると、自分の意識は暗雲を発生させた原因へと向き、不安な気持ちが大きくなってそこから目が離せなくなってくる。そうこうしているうちに、さ
起きた出来事や事実を変えることはできないが、それらに対する意味付けや捉え方は変えることができる。
幸せとまでは思えなくても、良かったな、ラッキーくらいの出来事を、1つでも多く見つけられる毎日にしたい
私生きてるーー!!と唐突にテンション高く感じたり、あ〜私って生きてるんだなぁ、とぼんやり感じることもある。生きてると感じる要素って、至るところに散りばめられてる。探し出すというより、そこに在ることに気付く的な。とにかく空が広いと感じたコロナ明け。健康って最高。生きてる!!
ネガティブなことや弱音は口にしてもいい。吐き出すことで楽になることもある。 でもそこには前向きな言葉も一緒にセットできた方が、次に進む力になる。