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小説家としての半生と反省③2作目の壁編

いつも読んでいただいて、ありがとうございます!
前回、エンタメ小説をはじめて書いたら、勢いのままするするできてしまって、小説現代長編新人賞の奨励賞を受賞してしまったというお話をしました。
そんな私が2作目を書くときにぶちあたったのは、「え……、エンタメのストーリーってどうやってつくるの?」という、そもそもの疑問でした。

なんで、そんな大事なことを考えていなかったのでしょう……。まさか、受賞するとは思っていなかったということもありますが、私の間が抜けていたということもあります。

とにかく、担当の編集者の方からは、デビュー作が高校野球なのだから、つづけて書いたほうがいいというアドバイスを受けました。
たしかに、エンタメ初心者にとって、スポーツ小説というのはとっつきやすい分野ではあると私も直感的に思いました。

まず、シーンのメリハリがきく。
練習シーン、学校のシーン、日常のシーン、練習試合、そして本番の大会――というように、静と動がはっきりするし、展開もしやすくなる印象です。

そして、クライマックスも設定しやすいです。当然、最後には重要な公式戦が描かれるわけです。これが、たとえば恋愛小説とか、お仕事小説だったら、作者がみずから考えてクライマックスまで導火線を引き、着火しなければならないわけです。

しかし、もちろんデメリットもあります。流れが想定しやすいということは、イコール、「お約束」に流されやすいという傾向もあります。みなさん、映画やドラマ、小説や漫画でスポーツものに触れた経験はあるでしょうか? そこで必ず描かれる「お約束」ってありますでしょ。

たとえばですね、冒頭で主人公が新しくチームを立ち上げようとして、仲間を探して、勧誘している。ようやくあと一人……となったところで、有望なヤツがあらわれる。でも、そいつ「俺はできない」って渋りだすんです。

結局、最後には入るんですよ、絶対。でも、家庭の事情とか、過去にそのスポーツにトラウマがあるとかで断りつづける。
あの展開、なんなん?
最終的には入部するんだから早く入ってくれよ、じれったいんだよと、読んでるほうは思いますよね。でも、何回か断ってくれないと、お話の格好がつかないのもまたたしか。

部員同士がケンカして辞める人があらわれたり、練習試合ではボコボコに敗れたりという、ありきたりな流れをいかに退屈させずに読ませ、かつ、「お約束」から逸脱する部分をつくれるか。そして、ラストは誰もが納得する大団円に導けるか。なかなかハードル高めです。

どうやって打破したか。私はもう思いきり開き直ることにしました。最初の設定の段階から、誰もが見たことがないような極端なものにしてやろう、と。
たとえば、去年テレビドラマで「下剋上球児」という高校野球ものをやっていました。顧問であるはずの学校の先生が、教員免許を持っていなくて、逮捕されるという設定でした。観ていた私は思わず「嘘だろ……!」とつぶやいてしましました。弱小高が成り上がるという、ありがちな「お約束」を打ち破るには、そのくらい思いきらなければならなかったのかもしれません。

ところで、こんな記事がございました。

村山由佳さんがデビューしたとき、渡辺淳一さんからこういう言葉をかけてもらったそうです。
「特殊を描いて普遍に至るのが文学だよ」

まったくもってその通りだと、私ごときが言うのもおこがましいですが、まさにこれはその通りなのです。

では、小説において、「特殊」とは何なんでしょう?
「普遍」とは何なんでしょう?

ちょっと長くなってしまったので、次回に私が2作目のストーリーを考えたときのことを、「特殊」と「普遍」の観点から具体的に書いていこうと思います!

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