「非正規雇用」と言う二つ名
私は「非常勤講師」として働いている。
40歳を過ぎてから教職に就いた私は常勤雇用になれるとも思わなかったし
そもそも、そのような働き方をしようと考えたことが一度もない。
常勤雇用の教員は、その24時間を仕事に捧げるような生活スタイルの人が多い。元来、教職は奉職・聖職と言われてきたのはその為だろう。
私は 仕事のために生きる気もちはまるでない。
家族や自分の生活スタイルを仕事のために変える気がない私はそういう意味では教職には向いていない。その働き方をわがままだと言う人もいる。
教員は担任を持った場合、自分の子供の入学式に行くのは非難されることなのだろうか?
有給をとって自分の子供の授業参観に行くのは非常識なのだろうか?
運動会は❔卒業式は❔
毎朝子供に「行ってらっしゃい」と言いたいのはわがままなのだろうか。
帰ってきた子供を「おかえり」と言って、その日に会ったことを子供の顔色や様子から悟ろうとするのは贅沢な望みなのだろうか?
自分で選んだ職業だから仕方ないでしょ?ってところなんでしょうか。
ところで教員に限らず「非正規雇用」と言うこの呼ばれ方。
すごく差別的な響きを以前から感じています。
「正規雇用」はちゃんとした雇用をされた人
「非正規雇用」と言うのはちゃんとした雇用をされた人にあらず。
正規雇用じゃないから結婚相手としてふさわしくない。
正規雇用じゃないから給料が安定しない。
正規雇用じゃないから・・・ ネガティブな情報が世の中にはあふれています。
あらずの人のわたしは あらずの働き方を選んでいる。
家族の生活のスタイルを乱すほどの仕事はむしろ私の生活を苦しくする。
シングルマザー(この呼ばれ方にも意見があるがそれはまた別の機会に)
である私は、家族の生活を支えるために仕事をして外貨を得ることにした。
その仕事につかえる時間は、家族の世話やちょっとした介護、自分のメンタルを保つための時間を浸食しない程度に限られる。
仕事で遅くなると食事は外食や出来合いのものが増える。
そういったことも私の生活を圧迫する容易になると思うと、非常勤の雇用に限られてくる。
外貨をたくさん稼ぐための時間がたくさん使える人が「正規雇用」
自分の生活を保つための時間がたくさん必要で、働くための時間が少ない人は「非正規雇用」?
若い世代で「非正規」と呼ばれる人々はどのように感じるのだろうか。
非常勤講師は正規雇用ではない人。
ただ、きちんとした雇用をされていない人ではなく、担当教科を教える「職人」だと考えます。
専任講師は担当教科を教える「職人」と現場を管理する「現場監督」の仕事も担います。そのうえ、生徒やその親に対するコミュニケーションを保持する「営業」の仕事が重くのしかかります。そのほかに書類の作成整理管理の「営業事務」学年費の管理などの「経理事務」が課されます。
一般企業でこんなにも一人で職を抱えた社員はいるでしょうか。
常勤講師の仕事 多すぎます。 しかも相手は一人ではない。
30人~40人はあたりまえに居ます。
これだけの荷重がかかれば 大概の人はメンタルが疲弊して当然です。
まだ、この上に職場の中での上下左右の人間関係もあります。
もちろん、家族や自分の私生活もあるわけです。
早急に改善が必要だと思います。
もっと「正規雇用」の教員を「正規の仕事」に戻し「非正規」の職人を増やして分業を進めたらいいのに。
そう感じる日曜の朝でした。
パンの一次発酵をまちながら、想いを書き出してみました。
乱文 お読みいただきありがとうございました。
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