【コラム】恋愛リアリティーショーを観て思うこと
恋愛リアリティーショーには、10代や20代前半のお若い方々が出演することも珍しくはない。
彼等・彼女等は、総じて容姿も洗練されていて、SNS慣れによるものか、撮られること自体にも”こなれた”印象だ。カメラを向けられると(元々可愛らしいのに更に)可愛いお顔を瞬時に魅せてくれる。
また、初々しい感情表現と感受性の豊かさには、プロの俳優が演じるフィクションとは一味違った魅力があり、つい応援したくなる。周囲でなかなか出会わないタイプの方々を身近に感じることができるため、フレッシュな価値観に触れることで良い刺激をいただくことも多く、一視聴者として、時折パートナーと一緒に楽しく拝聴させていただいている。
一方で、ふと心配になることがある。
恋愛リアリティーショーに出る若い演者に対する心配
私が拝聴している恋愛リアリティーショーの演者は一応、法律上は成年である(多くの場合)。彼等・彼女等の判断で仕事を選ぶ権利はあるし、皆、やりたい仕事を選んで将来に亘って活き活きと活動して然るべき、才能溢れる方々だ。
「画(え)」としても、若い演者は彩があり、素直で初々しい恋模様を展開してくれる可能性が高く、番組に欠かせない存在であることは間違いない。中には、心から希望して、共演を通じた素敵な出会いを期待されてこられた方もいらっしゃるだろうと想像する。
他方で、恋愛リアリティーショーへの出演を「仕事」として見ると、請け負うにあたってのリスクが大きすぎる割には、そのリスクの蓋然性が不確実であり、リスクが顕在化した時(例: 出演者が誹謗中傷で体調を崩すなど)の責任の所在が不明瞭であると、言わざるを得ない。
果たして、彼等・彼女等にその「仕事」の裏にあるリスクについて、事前に十分に説明しているのだろうか?
そして彼等・彼女等は、そういったリスクが仮に自分に降りかかって来た場合、自分の心に一生消えない傷を残してしまう可能性があるということを、確りと理解した上で出演しているのだろうか…?
恋愛リアリティーショーに出演することのリスク
【1】名誉毀損のリスク
前提として、ドラマや映画は常に、演技や演出という「盾」がある。この「盾」は、演者をレピュテーション毀損や、望まないor誤った評価(誹謗中傷等)から、ある程度守ってくれる。
翻って、恋愛リアリティーショーでは、台本も役も無く、生身の人間がありのままの自分で出演する。それは即ち、日本中(場合によっては世界中)に、自分を晒すことと同義だ。
つまるところ、視聴者の人気や評判の矢面に、「盾」を持たない状態で、演者自らが立たされる、ということなのだ。
【2】若い恋愛模様を公にするリスク
【1】だけでも十分に大きなリスクなのに、それに加えて、恋愛を公にすること自体もリスクである。
本気で恋愛をすればするほど、人は傷ついたり、自分が自分でなくなって後悔したり、空回りして恥ずかしい想いをする。人によっては、トラウマになることもある。
本気の恋愛というのは、全てが綺麗な思い出になるとは限らない。
胸がギュッと締め付けられるような重みと葛藤する、かっこ悪い自分を、カメラの前で晒さなければならない。
一般に、年齢が上がるほど、かっこ悪い恋愛はしなくなりスマートに振る舞えるようになるものだが、若い恋愛は往々にして恥ずかしいものだ。
彼等・彼女等が大人になって、「恥ずかしい」「こんな過去、忘れてしまいたい」と思っても、それは一度ネット上で拡散されたら一生消えない過去となり、残り続ける。これほど残酷なことがあっていいのだろうか…?
恋愛リアリティーショーの演者を守るには?
恋愛リアリティーショーに出演するということは、上述の2つの強烈な「刃(やいば)」に心をズタズタにされる危険性がある、ということだ。
よって、大切なことは、大人が若い演者を守ることだと、私は考える。
若い演者の名誉やレピュテーションは、彼等より歳上または精神年齢の高い演者、ならびに、周りのスタッフや製作担当者が、責任を持って全力で保護しないといけない。
私は製作の現場を知っているわけではないが、例えば上記のような対策が当たり前のように講じられていることを、切に願う。
終わりに
今日は恋愛リアリティーショーを見ていて思ったことを書いたに過ぎないが、これは広く社会生活に一般化できる学びでもあると感じている。
どのようなコミュニティにおいても、自分よりも若いor立場が低い方々は、往々にして「自分よりも”弱い”(即ち、傷つきやすく危うい)存在」なのだ。
私は兎に角、立場の強い人(大人)が立場の弱い人(若い方々、ご老人、種々マイノリティの方々など)を傷つけることに対して、憤りを覚える性(さが)がある。私はなるべくそのような大人にはなりたくないと、常々思っている。
「強い者が弱い者を守る」
そんな、まるで当たり前に聞こえることができずに、弱者を淘汰するような力の使い方をする強者は、力を振りかざす価値なんてないと、私は思う。
「守るべきものは何か?」
「力の使い道はどこにあるか?」
これらの問いに対する回答だけは決して間違えないような世界を創りたい。改めて心から、そう考えさせられた。
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